第七話 彼らの勘違い
□■神楽零
零は暗闇の中にいた。
何も見えず、何も聞こえず、何も感じず、時間の感覚さえも曖昧な暗闇の中に、零はただ一人でそこにいた。
(…………あぁ。俺、死んだのか)
なんとも実感の籠っていない心の声で、零はポツリと呟く。
実際、零の中で死んだという実感は微塵もない。
ただ少しだけ寝ていたという方がしっくり来るほどだ。
(なんとも呆気ないものだなぁ……)
本当に呆気ない。
まさかこうもあっさりと死ぬ時が来るなんて思いもしなかったというのが正直な感想だ。
(最後は首を斬り飛ばされたのかねぇ? 《重力障壁》は発動していたはずだけど、突破されたということかねぇ?)
零は生きていた時と変わらず、自分が殺された時の状況を分析する。
狼の攻撃を防いだ時と同じように、ある一定以上の危険に対して無意識に発動する重力の壁が突破されたということは、相手はそれだけの力を持って、零の首を刎ねたということなのだろう。
だがそんな分析に、もはや意味はないのかもしれないが、少なくともあの世界には、零に勝る強者がいたということなのだろう。
(まぁこれで、俺の人生も終わりかなぁ)
出来ることなら、天寿を全うしてから死にたかったという思いは確かにある。
だが、これで終わりだというのなら、それはそれで構わない。
別に現世でやり残したことや、やりたかったことがあったわけでもない。
零にとって現世にあったものなど、一部の例外を除けば、等しくどうでもいい物事だったのだから。
(…………それにしても、これはどういう状況なのかね?)
物凄く今更なような気もしたが、零は今の状況に疑問を持つ。
物理的に首を飛ばされ、体が死んだことには間違いないはずだが、零の意識は未だにはっきりと残っている。
超能力がある以上、輪廻転生もまた存在し、その迎えを待っているというのなら少しは納得できるのだが、どうにもその兆候は見られない。
(となると……まだ死んでいないのかねぇ?)
零はおそらく、それが正解なのだろうと当たりを付ける。
(……だとしたら、どうやって生き返るのかねぇ?)
だが零には、その手段が分からない。
もしも生き返る手段があるのだとしたら、それは超能力以外では考えられない。
だが零は一度、この世界に来てから自分が使えるすべての力を把握している。
その中には、この現状を打開できるような力はなかったはずだった。
(やっぱり……他にもあるのかねぇ)
零は意識を集中させ、自分の内側へと意識を向ける。
自分の奥深くに眠っているだろう新たな力を求めて、その意識を沈めようとした瞬間、零は己の魂というものを感じた。
(!)
それは不思議な感覚だった。
自分というものを客観的に見ているような、そんな本来ならありえないはずの実感が、零の中を満たしていた。
(これは……死んだ影響なのかね?)
零はこれが、死んだことによって精神が肉体から離れた影響なのではと当たりを付ける。
体からの感覚がなくなったことで、今まで感じられなかったものが感じられるようになったとかそういうことなのだろう。
(まぁ今はいいか……さて…………これか?)
零は自分の魂の中から、超能力に関する領域を見つける。
(……あぁ。なるほど、やっぱりそういうことか)
零は自分の中に眠っていた本当の超能力の本質が、予想通りであったことに納得する。
同時に、今の状況を打開する方法についても理解した。
(さて、戻れるのならさっさと戻るとするかね)
時は満ちた。
再び現世へと戻るために、零はただ一言の事象を唱える。
(巻き戻れ)
その瞬間、零の時は再び動き出す。
まるで錆びていた振り子時計が、再びその振り子を揺らすのかのように、零の時計の針は反対方向へと回り始める。
停滞していた時は終わり、零の意識は、再び現世へと浮上した。
◇◆
その路地裏に、一人の老人がいた。
手には赤い血が滴る刀が握られ、その目の前に倒れる首なし死体と合わせれば、彼がその首を刎ねたのだということが容易に想像できる。
老人は刀を振って血を落とすと、その刀を鞘へと納めた。
「…………」
その老人――天眼家剣術指南役の速風剣士郎は、非常に残念そうな顔をしながら、目の前に転がる零の死体に目を落としていた。
「期待しておったのじゃがなぁ」
実際、速風は目の前で血を流して倒れる零に、それはもう大きな期待をしていた。
滅多に対戦することの叶わない一級魔戦士。
しかも、監視を始めてから一度も仲間と会う様子がないことから、単独任務であることが窺い知れた。
それはつまり、大規模破壊だけを得意とするのではなく、対人戦にも優れ、たった一人で任務を完遂できるという確かな信頼があるということに他ならない。
体の動きもまた、一挙手一投足まで、すべてが遠目からでもわかるほど洗練されており、零が魔法にだけ頼った二流の魔戦士ではないことを示していた。
そんな相手と殺し合いができるということに、速風はこの上なく心を躍らせていたのだ。
だが実際に蓋を開けてみれば、勝負はただの一閃で決着してしまっていた。
いくら魔法が優れていようと、どれだけ武術に精通していようと、速風の速さの前では意味をなさなかったということを物語っていた。
「流石は先生、お見事です」
「ふんっ。肩透かしもいいところじゃったがなぁ」
肩に蒼鳥の召喚獣を乗せたまま近くまでやって来た結城に対して、速風は本心からの愚痴をこぼす。
速風の性格を知っている結城は、苦笑いをして返しながら、改めて零の死体を確かめる。
「この様子では確実に死んでいますね……随分と早く機会が来たものです」
結城の言うとおり、本来はこんなにも早く、しかも町中で奇襲を仕掛けるつもりではなかった。
本来の予定では、零が町を滅ぼすために町から距離を取り、大規模魔法を放つための準備に入ったところで奇襲を仕掛けるつもりだったのだ。
もちろん、町中でその兆候が見られた時にはその限りではなかったのだが……
だが今回、零が路地裏で裏組織の幹部たちと戦闘に入った時点で、報告を受けた心悟は、速風と結城に、幹部たちとの戦闘が終了したタイミングで襲撃を仕掛けるように命令を下していた。
その理由は主に二つ。
一つは、零が入った路地裏の先にある広場が、城壁に面した町外れであったこと。
しかもその周りは現在、ほとんど住んでいる者がおらず、たまに不良たちの溜まり場になる程度で、人的被害がほとんど出ない場所だったこと。
もう一つの理由は、零が裏組織の幹部たちと戦闘を始めたこと。
本来ならここで、少しでも力を削いでくれることを期待するのだが、心悟はあまりそこの部分は期待していなかった。
だが、勝負がついて気が抜けた瞬間というのは、誰でも隙ができるものであり、心悟はそのタイミングで奇襲を仕掛けるように命じたのだ。
「死体は後で部下たちに運ばせましょう。遺留品などを調べれば、この男の正体もわかるでしょうから」
結城はそう言うと、一旦城に戻るために来た道を引き返して歩き出す。
速風もまたその後に続いて歩いていく。
△▼
今回の一件において、天眼家側は一人の例外を除いて、零に対して多くの勘違いをしていた。
零はどこかの国の一級魔戦士などではなく、ましてや町を滅ぼしに来たわけでもない。
ただ異世界から舞い降りて、そこに町があったから来ただけの事でしかない。
だが彼らの抱いた勘違いは、この世界の常識から考えれば寧ろ正常とさえ言える。
一個人が核兵器並みの戦力を持ちえるこの世界において、一つの判断の誤りが町一つを滅ぼしうるのだ。
だが一つだけ、彼らは勘違いしてはならないことを勘違いしていた。
それは一級魔戦士と同等の力を持つということが、いったい何を意味しているのかということだ。
彼らは知っているはずだった。
一級魔戦士とは、この世界において最強の存在に数えられることを――
彼らは知っているはずだった。
後ろに転がっている青年が、その内の一人だということを――
彼らは知っているはずだった。
そんな存在がたった一太刀で……その程度で終わるような存在ではないということを――
△▼
「「!」」
その気配に対して、速風と結城は同時に反応する。
素早く後ろへと振り返り、その気配の発生源へと視線を向ける。
「「!」」
その二人の目に映ったのは、まるで時間を巻き戻しているかのように修復されていく、死んだはずの零の体だった。
地面に転がっていた頭は宙に浮き、地面を染めていた血は波が引くように引いて行き、そしてその全てが、零の体に集約されていく。
その異様な光景に、速風も結城も驚愕を隠しきれていなかったが、そんな光景を野放しにする二人でもない。
「ッ!」
速風は素早く、音を置き去りにするほどの神速で肉薄し、ちょうど起き上がって来た零の上体に向かって刀を振るい――
――宙に浮いていた血の一滴によって止められた。
「!」
そのありえるはずのない出来事に速風は驚愕し、結城の下まで後退する。
「先生!?」
「ありゃまずいぞ。お主は結界を張れ! 奴の相手は儂がする」
「……わかりました!」
「おい、お主ら! 死にたくなけりゃそいつら連れてさっさと逃げろ!」
速風は素早く結城に指示を出すと、状況に全く追いつけていない裏組織の取り巻きたちに向かって大声で急き立てる。
速風の叫びによって、取り巻きたちは正気に戻り、何人かは幹部たちを担ぎながら、その場を離れていく。
結城もまた後ろへと下がり、零と速風を覆うように自身の魔法である結界を展開する。
一人残された剣士郎は、刀を鞘に納めて構えを取り、間もなく修復が完了する零の姿を睨む。
そして修復が終わってそこに立っていたのは、一分の隙もないこの世界における“最強”の姿だった。