第三話 黒猫の友情と殺意 参
◇◆
その男は今、興奮の只中にいた。
他者を踏みにじり、蹂躙し、いたぶる様は、言いようのない愉悦感を彼に与え、これ以上になく彼の心を満たしていた。
そして男はまた一つ、新たに自分が蹂躙するものを見つけた。
それが今、目の前に座り込んでいる一人の少女だ。
腰までありそうな、長くきめ細やかな黒髪に、宝石のように輝く赤い瞳。
その整った顔立ちには傷一つなく、色っぽさというよりも、可憐で清楚というイメージが先に湧いてくる。
華奢でありながらも、しっかりとした凹凸が服の上からでも主張し、まるで黄金比を当てはめたかのような容姿を構成している。
そんな高嶺の花のような少女を、これから我が物にできるという快感に、男は頭に献上すべきという考えも浮かばない程に満たされていた。
男は一度、少女の前髪を掴んでいた手を離す。
楽しむにしても、ここでは些か場所が悪い。
少し移動しようと、男は少女に持っていた剣を突き出す。
「立て」
男は今すぐにでも襲い掛かりたい衝動を抑えながら、何とか少女を立たせるように促す。
男からすれば、少女はただのか弱い存在でしかない。
だからこそ、男は剣を突き出せば、簡単に言うことを聞くだろうと思っていたし――
――自分が彼女に怯えることなどないと思っていた。
「!?」
その瞬間、男は空が降って来たのではないかと錯覚するほどの重圧に襲われる。
だがそれは物理的なものではなく、精神的なもの。
魂に刻まれた根源的な恐怖が揺さぶられ、息をすることも、立つことすらもままならなくさせるほどの重圧。
それ程のものが何なのかを、男は既に知っていた。
それは戦ってはいけない、触れてはいけない強者の気配だと。
「…………」
ふと男は、目の前にいる黒猫の少女に目を落とす。
少女はまだ俯いていて、その顔を覗き見ることは叶わない。
だが逆にそれが――その顔を望めないことが、男にとっては何よりも恐ろしかった。
「絶対に――」
「!」
紡がれた言葉と共に、少女の顔がゆっくりと上げられる。
その端整な顔立ちが露になるにつれて、男は首を絞められるかのように息が苦しくなる。
そして少女が顔を上げ、男をその視界に収めた瞬間――
「――許さない!」
万衣の中にあった魔法の枷が外された。
彼女の黒い影が伸び、その中から何対もの赤い何かが覗いてくる。
まるで黒い池の中から、決して逃がさない獲物を見定めるかのように、それは次第に、池の全てを埋め尽くしていく。
それは殺意に滲んだ猫の目。
万衣と同じ、赤く煌めく瞳を持った黒猫たち。
その数は幾千にも及び、数えることすらばかばかしくなる。
そしてその全てが、たった一人の男を睨んでいた。
「あ、ああ! あああああ!」
声にもならない音を叫び、男は僅かに残った思考の中で悟った。
愚かにも自分は、決して踏んではいけない尾を踏んだのだと。
虎や獅子などと生易しいものではない、もっと恐ろしい何か。
決して呼び覚ましてはならなかった、蹂躙の権化。
男は万衣の尾を――八百万の猫の尾を踏んだのだ。
「や、やめっ!――」
次の瞬間、黒猫の大群が男に向かって襲い掛かる。
万衣が宣言した通り、「絶対に許さない」という殺意をもって――
△▼
盗賊団がこの村を襲った目的は、至極簡単なものだった。
その目的とは、先日アジトに足を踏み入れて来た連合国への報復だ。
国境付近にある村を焼きながら、王国側に攫った獣人たちを密輸して売り捌く。
中々にうまい商売が軌道に乗ろうとした、まさに最中での出来事だった。
盗賊団の被害は軽微だったとはいえ、落とし前はしっかりと付けなければならない。
そういった意味では、この村は彼らにとっては非常に都合が良かったと言えよう。
主要な都市間を結ぶ街道に位置するこの村は、連合国側に嫌がらせをするには、ある意味で最適だったと言える。
大した戦力も置かれていない村一つを滅ぼすことなど、嘗て騎士であった彼らにとっては、赤子の手をひねるのに等しい。
そして彼らは、村の殺戮へと乗り出した。
ただ己が心を満たすために、壊れてしまった心の恐怖を拭うために。
だが彼らの殺戮は、ある時を境にして忽然と鳴りを潜めた。
それは決して、彼らが村から退いたことを意味しているのではない。
それは彼らの蹂躙が、より大きな蹂躙によって塗り潰されたことを意味していた……
△▼
「な、なんだ!」
「魔獣の大群か!」
「なんでこんなところに!」
盗賊たちの間で衝撃が走る。
それは突如、この場にあるはずのない脅威が現れたが故だ。
その正体こそが、万衣の呼び出した黒猫たちに他ならない。
彼らは一度殺戮の手を止め、少人数で固まりながら、現れた黒猫の大群に剣を向ける。
その身のこなしは、嘗て彼らが盗賊になる前、騎士だった頃に身に付いた動きそのままだ。
四級以上の魔戦士で構成された彼らは、迫りくる黒猫の大群を迎え撃つ。
両者の間で衝突がなされた時――
「クッ!」
――盗賊たちの顔がわずかに歪んだ。
小柄で身軽そうに見える動きだが、その実、小さな体からは想像できない程の剛力が秘められていた。
軽く見積もっても、一匹一匹が四級相当の実力を秘めていることはすぐにわかった。
だが別に、それで彼らが対処できないというわけではない。
一線を退いたとはいえ、彼らは元々、魔獣討伐の専門家だ。
三級以上の魔戦士もそれなりにいるため、すぐに数で押されるという事態にはならなかった。
確実に一匹ずつ、彼らは迫りくる黒猫たちを倒していく。
数が減っていけば、いずれ形勢は自分たちに傾く。
統率の取れていない魔獣の群れなど、恐るるに足りない。
そう盗賊たちは考えていた。
だが彼らは知らない。
彼らの命が尽きるまで、その大群が減ることなどないということを――
彼らは知らない。
その大群が、たった一つの殺意を持った意志によって動かされているということを――
「クソッ! いったいどれだけ湧いてきやがる!」
一人の盗賊が、堪らずそんなことを叫んだ。
それは間違いなく、この場にいる全ての盗賊たちの代弁だっただろう。
斬っても斬っても湧き続ける猫の大群に、盗賊たちの間で不安と恐怖の色が滲み始める。
このまま行けば、喰われるのは…………
そんな思考が頭を過った瞬間――彼らの前に“それ”は現れた。
長い黒髪を靡かせて、盗賊たちに迫ってきたのは、一人の黒猫の少女だ。
走ってきた勢いのまま、止まることもなく、少女は陣を組んでいた一人の盗賊に襲い掛かる。
黒猫の大群によってできた隙を、少女はまるでわかっていたかのように突いて――盗賊の喉元を引っ掻き殺した。
本体と分身体の見事な連携によって、盗賊の一人が倒され…………今まで持ちこたえていた盗賊たちの連携が瓦解した。
それから彼らに待つのは、ただ数という名の暴力による蹂躙。
この瞬間、村を襲った彼らの蹂躙は、万衣というより大きな蹂躙によって塗りつぶされた。
この時、彼らが思い出した光景は、きっと同じものだったのだろう。
それは、ここから遠く離れた戦場での記憶。
嘗て騎士としての誇りを胸に、戦いに挑んだ戦場で出会った――出会ってしまった存在の記憶。
決して勝てず、決して抗えず、ただ殺されるのを待つしかできなかった、無力の恐怖を突き付けられた記憶。
その恐怖に心を折られ、壊され、逃げ出した先に今の彼らがある。
そして万衣という蹂躙と殺意は、彼らに再びその無力の恐怖を呼び覚ませた。
「あああぁぁぁぁ!」
「や、やだ! 来るなー」
「た、助け……」
万衣の本体が通り過ぎた後ろで、盗賊たちの断末魔が響き渡る。
生きながらにして歯を突き立てられ、少しずつ喰い殺されながら、盗賊たちはその肉体と魂を散らしていった。
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