第四話 黒猫の友情と殺意 肆
□■???
「クソッ! いったい何が起きていやがる!」
また一匹。
襲い掛かって来た黒猫の心臓を握りつぶしながら、豪鬼は誰に言うでもなく悪態をつく。
握られていた掌を広げると、手に付いた血が光の粒子となって消えていく。
(明らかに普通の魔獣じゃねぇ。どこかに本体がいるはずだ)
物体が光の粒子となって消えるのは、その物体が魔力によって構成されたものだからに他ならない。
ならば当然、その魔力を練り上げた存在が近くにいるはずだった。
(だが、こっちの被害も馬鹿にならねぇ)
既に確認できるだけでも何人もの部下が殺されており、形勢は既に盗賊団の方にはなかった。
(潮時か)
盗賊団の頭として、部下たちに撤退の指示を下そうとしたその時――
「!」
――突如向けられた殺気で、豪鬼は後ろへと振り返った。
「ッ!」
「!」
喉元に振るわれそうになった手を、持っていた剣を使って防ぎながら、豪鬼は襲撃者の姿を見る。
相手は素手であり、刃の部分が当たっているにも関わらず、その皮膚が傷ついた様子はない。
それだけ、彼女の肉体性能が高いということなのだろう。
(こいつが黒幕か!)
豪鬼は彼女こそが、黒猫たちの主であると確信する。
長い黒髪をなびかせて、赤く彩られた瞳は、そこら中にいる猫のものとそっくりだ。
そして何より、黒猫から発せられる殺気と、少女から発せられる殺気は、まったく同質のものだった。
「手間が省けた」
向こうからやって来てくれたのであれば、願ったり叶ったりだ。
豪鬼は掌を広げ、自身の魔法を発動させる。
「グハッ!…………」
すると少女は口から血を吐き、まるで力が抜けたように倒れ込む。
豪鬼の開いていた手の中には、今も鼓動を鳴らす少女の心臓が握られている。
《跳躍奪取》。
それがたった今、豪鬼が少女に使った魔法だ。
透視して見えた対象を、空間を跳躍させて手元まで引き寄せる魔法。
どれだけ強かろうと、心臓を奪われてしまえば、後は成す術もなく死を待つだけ。
そんな彼女のくたばる姿を見届けようと豪鬼は彼女に視線を落として――
――少女の体が、光の粒子となって消える様を見た。
「!」
有り得るはずのない光景に、豪鬼の思考が一瞬だけ空白化する。
その刹那、豪鬼の目の前に鋭い爪が振るわれた。
「ッ!」
突然現れた爪は、額から頬にかけて振り降ろされ、豪鬼の左目が潰される。
「グアッ!」
焼けるような痛みに額を押さえ、持っていた剣を振って傷をつけた存在を下がらせる。
そこで見えた正体は、先ほど確かに殺したはずの黒猫の少女だった。
「貴様ァ!」
豪鬼は彼女に掌を向けて魔法を発動させ、今度は頭部丸ごと手中に収める。
だがすぐにその頭部は光の粒子へと変わり、豪鬼は後ろに振り返って剣を振るう。
そこには変わらず黒猫の少女がいて、彼女は直前で間合いを外すようにして後ろへと下がった。
(どうなっていやがる!)
何が起こっているのかわからず、豪鬼の思考が混乱の只中に突き落とされたような気分になる。
豪鬼は確かに、少女の頭と心臓を抉り取って殺した。
その時の感触は、紛い物では有り得ない実感が確かにあった。
だというのに、目の前の少女は何食わぬ顔で復活している。
(まさか不死身――!)
そんな思考に没頭していた豪鬼に向かって、洪水のように黒猫の大群が迫って来る。
今まですっかり忘れていたが、豪鬼は今、少女一人を相手にしているわけではなかった。
「ウオオオォォォォ!」
迫りくる大群に、豪鬼は我武者羅に剣を振って応戦する。
だが斬っても斬っても、黒猫の大群は止まることを知らない。
まるで無限に湧くとすら思えるその勢いに、豪鬼の心は次第に陰りを見せ始める。
不死身の少女と、無限に湧いて来る黒猫の大群。
そんな相手に勝てるはずもなく、抗えるはずもない。
最早豪鬼の前には、黒猫という名の絶望しかなかった。
嘗ての戦場で、“奴”と対峙した時と同じように
「アアアアァァァァァ!」
豪鬼はただひたすらに剣を振るい続ける。
例え誰かに無駄だと言われようとも、もう止まることなどできるはずがない。
止まってしまったら、今度こそ心が折れてしまうから。
豪鬼はただ、無心に剣を振るい続ける。
その結果かどうかはわからないが、どうやら天は、まだ豪鬼のことを見離してはいなかったらしい。
「!」
肉壁の間にできた僅かな隙間。
その隙間目掛けて、豪鬼は無理やり体をねじ込ませる。
全身に傷がつくのも厭わず、前に足を踏み込んで、黒猫の包囲網を突破する。
「! 待て!…………!」
少女の声が後ろから聞こえるが、振り返るようなことはしない。
豪鬼はただ、逃げ延びることだけを考えて、ただひたすらに走り続けた。
□■万衣
気が付くと、万衣は知らない天井を眺めていた。
横になっていた体を起こしてみても、やはり万衣の知る部屋ではない。
周りには誰もおらず、そんな状況がどこか、初めてこの世界に来た時のことを思い出させる。
「桃ちゃん……」
初めてこの世界に来た時に、初めて万衣のことを見つけてくれた人。
万衣のことを理解して、寄り添ってくれた人。
もうここにはいない、初めて親友と呼べたかもしれない友達。
どこを見るでもなく、万衣はただ静かに窓の外を眺めた。
「おっ。目が覚めましたか…………泣いているのですか?」
「……え?」
部屋に入って来た白猫の男性に言われて、万衣は自分の頬に手を当てる。
指先に水滴がついていて、今まで自分が泣いていたのだと気づかされる。
(涙?)
(泣いている?)
(私が?)
(なんで?)
(悲しいから?)
悲しい。
それはきっと、桃がもういなくなってしまったから。
もう会えなくなってしまったから。
だからきっと、万衣は悲しいのだ。
桃と過ごす時間が、もう二度と訪れないと知っているから。
だけど、それはきっと――
「……私……幸せ……だったんだ……」
友達が側にいてくれるという幸せを、桃は万衣に教えてくれた。
だからこんなにも胸が苦しくて――
――流れる涙が止まらないのだ。
△▼
「えっと……誰?」
再び静かになった部屋の中で、万衣はいつの間にか傍にいた白猫の男性に問いかける。
「これは失礼を致しました。私は近衛騎士団所属の、白矢と申します」
「……騎士、団?」
聞き覚えのない単語に、万衣は首を傾げる。
「はい。我々はこの村の救援要請を受けて駆けつけました。もっとも、我々が到着した頃には、全てが終わった後だったようですが……」
そこで一旦言葉を切ると、白矢は真っ直ぐと万衣の方を見る。
「単刀直入にお尋ねしますが……黒猫の魔獣を呼び出して、盗賊団を撃退したのは、あなたですか?」
白矢の真っ直ぐな言葉に、万衣は首を縦に振って頷く。
「……私が……殺した」
殺すという言葉を口にしても、自然と罪悪感は湧いてこなかった。
それだけ盗賊たちを憎んでいたのか?
あるいは、元から万衣はこうだったのか?
今の万衣にはよくわからなかった。
「ありがとうございます」
そんなことを考えていると、白矢が急に頭を下げてくる。
意味が分からずに、万衣は首を傾げる。
「我々に変わり、村を救っていただき。騎士団を代表して、お礼を言わせて下さい」
村を救った。
その言葉が耳に入って来ても、万衣はそれを受け入れることはできなかった。
いくら盗賊たちを殺しても、いくら他の人を守っても、たった一人の友達も救えなかったのだから。
「救えてなんてない!」
だからこそ、救ったなんて言わないでほしかった。
万衣に救ったなんて言える資格なんてない。
万衣は膝の上に掛かった布を握りしめる。
「いいえ、あなたは多くの人々を救いました。あなたがいなければ、被害はもっと深刻なものになっていたはずです。ですから……そのことはどうか、心に留めておいて下さい」
「…………」
白矢の言葉には何も答えず、万衣は視線を合わせないように、彼から目を逸らす。
「……ところで、話は変わりますが。私は一つ、あなたにお願いがあって来ました」
「……何?」
突然の話題変化に、万衣は改めて白矢の方を見る。
「今回の一件で、あなたにも彼らの脅威をご理解いただけたと思います。このまま野放しにするには、彼らはあまりにも危険すぎる。ですがお恥ずかしながら、我々は一度彼らに敗れてしまっています。優秀な騎士も多く失い、再び討伐隊を組むには戦力が足りません」
そこで一度言葉を切り、白矢は再び万衣に頭を下げる。
「ですからどうか、我々にあなたの力を貸していただけませんか」
白矢の申し出に、万衣は少しの間思案する。
だが結論を出すには一つだけ、彼に尋ねなければならないことがあった。
「…………一つ、いい?」
「……なんでしょうか」
万衣の言葉に顔を上げ、白矢は伺うようにこちらを見てくる。
別に気を張らなくても、万衣が尋ねたいことは、そんなに難しいことではない。
「逃げた奴、殺せる?」
それだけが、万衣が白矢に確認したかったこと。
あの戦いの最後で、万衣は長く魔法を使い過ぎたせいで倒れてしまった。
そのせいで、あと一歩まで追い込んだ盗賊を逃がしてしまった。
友達を殺した報いは、絶対に受けさせる。
「……そのためのお願いです」
「…………わかった」
白矢の返答に、万衣はただ一言そう返した。




