種明かし
「リリ、ポーチ。持ってきてやったぞ」
お昼を過ぎた頃、病室にポーチを持ったたっちゃんが戻ってきた。来るのは夜だと思ってたから、とっても嬉しかったんだけど……。
「ありがと……。えっ、たっちゃん、会社は?」
「会社なんて行ってられるか。休んだ」
「休んだって……、大丈夫なの!?」
「あぁ。有給も消化しなくちゃだしな。それよりさ、リリ……」
本当に平気なのかな……って心配してたら、一歩下がった彼が急に、深々と頭を下げてきた。わけが分からなくて、ただただおろおろする私……。
「俺のせいでこんなことになってしまって……。本当に申し訳なかった! すまんっ、リリっ! 許してくれなくてもいい、でも、最後まで償わせてくれっ!」
何のことだかさっぱりわからない。急に謝られたって混乱するだけなんだから、やめてよ……。
「ちょ……、どうしたの急に!? 何がたっちゃんのせいなの!? 私が……こんな病気になっちゃったのは、私のせい……」
「違う、俺のせいだっ!! これっ!!」
たっちゃんは私のポーチを突然開けて、中から去年の業務手帳を取り出すと、あるページを開いて私の前に突き出した。
「俺があの時、無理をいってデートを優先させなければ、こんなことには……」
そこには「要精密検査/たっちゃんとのデートを優先」という、私のメモがあった。顔を歪ませるたっちゃんを見てはっと我に返った私は、慌てて彼から手帳を奪い返す。まさか、中を見られちゃうなんて……!!
「かっ……勝手に見ちゃダメなのっっ!!」
私は、取り返した手帳を急いでポーチにしまった。この様子だと、もう一冊の……、例の冊子のほうは、見られてないみたい。少しだけ安心する。
たっちゃんは、あの日のことをすごく後悔していた。あの検査を受けていれば病気が発見できた保証なんてないのに、自分を、責めて責めて責め続けていた。そんなたっちゃんを見ているだけで、私は苦しかった。
そして、私に対する罪滅ぼしのつもりなのか、彼は……
「最後まで、最後の一秒までずっと、リリに尽くしたい」
「……たっちゃん、これってもしかして……」
「結婚してくれ、リリ」
こんな、もうセミより短い命かもしれない私に、プロポーズしてくれた。
「この先のリリの寿命がどのくらいであろうが、関係ない。俺は最後までリリに尽くす。俺のことは心配するな」
その言葉が嬉しくて、彼を苦しめることはわかっていたのに……
「よろしく……お願いします」
「おう、よろしくな」
私は彼のプロポーズを、受けてしまった。本当に、自分勝手な私……。
その日はずっと、今までの思い出話に盛り上がって、二人で笑いながら話し続けていた。そして夜の9時頃、「明日もくるから」と言い残し、彼は帰っていった。
……幸せだった。こんなに幸せなのに、どうして私は死ななくちゃいけないんだろう。死にたいときはたくさんあったのに、なんで死にたくないときに死ななくちゃいけないんだろう。……それがわからなかった。もし、死ぬのが怖くないときに死ねていたら……。
「……自殺なんて、ずるいよ」
……独り言がこぼれた。死にたいときに死ねるなんて、ステキすぎる。要するに、辛いときに死ななかった私がバカだったってこと?
いじめに遭ったとき、お父さんが死んだとき、孤独に苦しんだとき、お母さんが死んだとき……。自殺しても後悔しないタイミングは、私にだってたくさんあった。それなのに私は、なぜかここまで生きてしまった。
たっちゃんのお陰? それとも、たっちゃんのせい? ……どう考えればいいのか、よくわからない。
……はっきりしているのは、一番死にたくないタイミングで死ぬということ。
でも、人生なんて、みんなそんなものなのかもしれない。死にたいタイミングで死ぬのがズルいから、自殺はいけないのかもしれない。思えば、お父さんも、お母さんも、……一番幸せなときに死んでいった。
……そして私も。
そっと、ポーチを手に取った。今日は、九月五日。彼に……渡しそびれちゃったな。
この冊子をたっちゃんに返さなくて、未来の彼が私を愛してるってことを過去のたっちゃんに伝えてくれなかったら、今までの幸せは、なくなってしまうのだろうか。
そんなことを考えながら、私は冊子を開いた。その時……
「……えっ……? なに……これ……」
そこは白紙のページだった。……つい数秒前までは。今その場所には、黒い小さな点のようなものがポツポツと現れている。その点は徐々に大きく、そして伸びてゆき、隣の点とくっついて……。まるであぶり出されてゆくかのように、そこに文字が現れた。
【篠原卓哉】
「たっ……ちゃん……?」
それは、パソコンで打ち出されたかのようなきれいな活字だった。前のページで見た、あの字体と一緒……。
「……もしかして、ここに文字を書き込むと……こんな感じで活字に変換されて、同じように過去の冊子に届くのかな? ……だとすれば、たった今……過去のたっちゃんが冊子に書き込んだってこと?」
なんとなく予想はできていたけど、やっぱりそういう仕組みだったんだ。
「じゃあ、私がここに何か書き込んだら……。別にたっちゃんじゃなくても、言葉を届けられるってことになるよね……?」
気になってきた私が、ペンをとって冊子に突き立てようとしたとき……。またそこに、新たな文字が浮き出してきた。
【バカヤロー!】
びっくりして、反射的にペンを冊子から離してしまう。お前がここに書き込むな、そう怒られたような気がした。
……だけどその時。私は、気づいてしまった。
もし私がここに文字を書いたとしても、過去には活字に変換されて届くのだから、相手が誰なのか、過去のたっちゃんに知る術はない。メールならアドレスで相手を判断できるけど、これにはそんなものもない。
文章の雰囲気とかノリだけで、相手を推定するしかないんだ。だとすれば。
「私が未来のたっちゃんになりすましてしまえば……」
もう、どうとでも言えてしまうってこと。君は磯本理々と結婚する運命にある、だから明日必ず告白しなさい……こんな強引な展開だって、やろうと思えばできちゃうんだ。……だけど、そんなことして本当に……
『ただし、最終的に恋を叶えるのはあなた自身であることをお忘れ無く』
――思い出した。
あの冊子の使い方には、最後にこんな一文があったんだ。これって要するに……。そっか、そういう……ことだったんだ……。確かに、話がうまくできすぎているとは思ってた。
未来のたっちゃんが偶然私のことを好きで、それを過去のたっちゃんに伝えたから恋が芽生えた……と思い込んでいたけど、そうじゃない。
全て、私一人の策略だったんだ。過去の私がたっちゃんに冊子を渡し、たっちゃんになりすました未来の私が、将来私と結ばれる運命にあることを彼に伝え、私に恋をさせた。まさに、過去の私と未来の私のタッグプレイ。
それが、「恋を叶える草紙」が「恋を叶える」仕組み。
あの説明書きの本当の意味を、今、ようやく私は理解した。
もし今の私が、過去のたっちゃんに「私を好きになるよう」仕向けなければ、たっちゃんは私に告白することもなく、これまでの幸せは全てなかったことになってしまうのかもしれない。
それでいいのか悪いのか、もはや私にはわからない。わからないけど。
『こんにちは。ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?』
私はペンを取り、ノートに書き込みをしていた。もう、止められなかった。
そういえば、10年前にも一度、書き込みをしたことがあったっけ。未来からの返事は来なかったけど、あの文字がこっちに届くのはいつなんだろう。……きっと、私が死んだあとなんだろうな。
結局、その日のうちに過去のたっちゃんから返事が来ることはなかった。翌日の朝も確認したんだけど、やっぱり書き込みはなくて。使い方が違うのかな……っていう不安が、襲いかかってくる。
もし、私の考えたことが全て的外れだったとしたら、早くこれをたっちゃんに返さないとマズイのかもしれない。でも、私には自信があった。だって、今更だけど、やっぱりこんな私のこと、たっちゃんが自発的に好きになるとは思えないもの。私が仕組まなきゃ、こんな恋はあり得ない。
そう、あり得ない。この冊子がなければ、たっちゃんは他の人と結婚して、幸せな人生を歩んでいたのかもしれない。私が、彼の人生を……奪い取ってしまったのかもしれない。だけど……。
「私だって、幸せになりたかった……!! 結果的にあなたを苦しめてしまうのに……たっちゃん、ごめんね……!!」
気がつけば、もう夜の九時。私はまた、ペンを持っていた。
【うるせぇよ! 誰だよテメー!】
今、ようやく過去から届いたこの返事に、私は。私は……!
『俺は、未来の君だよ』
大嘘を、書き込んでしまった。手が震え、涙が溢れ出す。……でも、私には止められなかった。どうにもできなかった。幸せが、欲しかった。
【嘘つくなよ! そんなわけあるか!】
その通り、嘘なんだ。未来っていうのは本当だけど、書いてるのは君じゃない。書いているのは、私。磯本……理々。
『嘘じゃないよ。君のことは何だって知ってるし、これからどうなるかだって知ってる』
だけど私はもう、完全にたっちゃんになりきっていた。君のことなら何だって知ってる。なんだって答えられる……。
【じゃあ、俺の好きな食べ物は!?】
『どらやき』
【俺の好きなゲームは!?】
『スーパーモンキーコング2』
【俺の好きな小説は!?】
『播井堀太と健太の意思』
これで信じてくれたかな? 私が、未来の……君だってこと。
【彼女は? 好きな人はいるのか?】
……そしていよいよ、本題の登場。ここで……ここで違う人の名前を書けば。例えば、ハルカの名前とかを挙げれば。
『俺が好きなのは』
たっちゃんは、幸せな未来を手にできるのかもしれない。でも……
『磯本理々』
……結局私には、できなかった。