表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖と剣聖  作者: 和泉茉樹
第1.75部 喪失と再生
60/136

1.75-3 報いと救い

 三日はあっという間に過ぎた。

 言われた大木が見える茶屋で、私はシュウラがやってくるのを待った。まだ早い時間で旅人も少ない。

 私はお茶を飲みつつ、何気なく腰の剣の柄を握っては放し、握っては放しを繰り返している。

 頭の中は、シュウラを切るべきか、切らないべきか、考えている。

 切りたいとは思わない。思わないけど、切らないという加減が可能な相手とも思えない。

 本気でやらなければ、私の方が切られてしまうだろう。

 しかし、彼に切られるというのは、因果応報、正しいことのような気もする。

 何も答えが出ないまま、私はこちらへ近づいてくるシュウラを見つけ、立ち上がり、大木の前に立った。

 目の前で、シュウラが足を止める。

「逃げなかったのは、さすがだな」

 前とは違う、落ち着いた口調のシュウラには、油断も慢心もうかがえない。

 私は無言のまま、その彼を見ていた。

 どうしたらいいんだろう?

「いざ、勝負」

 静かな声でシュウラがそう言って、身構えた。居合の構え。

 私は立ち尽くしたまま、それに対した。

 ここでシュウラが怒りを抱けば、私に勝ち目がはっきり出たはずだ。

 そうは、ならなかった。

 シュウラは、落ち着いた眼差しで、こちらを見ている。

 静かな表情、瞳。

 やはり、純粋な技量の勝負になる。

 ふっとシュウラが消えた時、私が動いていた。

 甲高い音。彼とすれ違い、お互いが振り返りざまに一撃。

 最後の甲高い音と火花。

 パッと二人が離れ、同時に剣を鞘へ。

「見事」

 シュウラがそう言って、ニヤッと笑った。

 私にはそんな余地はない。右手がビリビリと痺れている。今まで、様々な一撃を跳ね返したけど、こんなに重いのは久しぶりだ。ミチヲの変な剣術に近い。

 このまま続けていれば、じわじわと押し切られそうだ。

 一方で、シュウラを殺さずに無力化するのは、不可能だと悟った。

 手加減はやはり、通じない。

 ここに至って、私の中に強い意志が起こった。

 死にたくない。

 まだ、生きたい。

 生への執着が、はっきりと感じ取れた。

 切るしかないか。いや、切る。

 私は静寂の太刀を繰り出すために、僅かに姿勢を変える。

「静寂の太刀、やはり完成したか」

 いきなり、シュウラがそう言って、彼も姿勢を変えた。

「我が師の理想形を、壊してみせる」

 どうやらシュウラは対処法を考えていたらしい。しかし静寂の太刀の使い手は、極めて少ない、ほとんど門外不出だ。実際に剣を合わせていないだろう。

 こうなると、シュウラは私の剣を想像ながらも予測でき、私はシュウラの剣を何も知らない、という展開だった。

 構うものか。

 一撃で切れば、何も変わらない。

 シュウラが動くのが、わかった。

 予感に近い、直感。

 私も踏み出す。

 シュウラが消えた。

 実際には消えていないし、消えたと思ったのも錯覚だ。あまりに踏み込みが早すぎて、見えていても、意識が追いつかない。

 一撃が来る、と分かって、防御のために、私の居合を彼の剣に当てる。

 さっき以上の衝撃、と思った時には、私の剣は手を離れ、そして胸を何かが走り抜けた。

 体から力が抜け、前のめりに倒れていた。

 何かが私の下に広がる。液体。粘度がある。血か。

 私は切られた。私の負けだ。

 遠くで誰かが何か声をかけてきたが、よく聞こえない。

 いや、遅れて理解できた。

「苦しんで死ね」

 そんな短い言葉だ。ものすごく緩慢に理解されたため、長い言葉に聞こえたようだ。

 どんどん思考が緩慢になる。

 体が冷えていく。指一本さえも動かせない。

 意識が闇に飲まれた。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、私は何もない場所を彷徨っていた。

 腰には剣がない。それに気づくと、不安になった。

 何かが私を掠める。

 剣の一撃だ。体に痛み。

 また剣が私に襲いかかり、軽く切られる。

 避けたいのに、避けられない。

 全身が切り刻まれ、痛みが思考を支配する。

 真っ暗な闇が、私から全てを奪っていく気がした。

 全てが、失われる。

 急に光が蘇った。

 悲鳴を上げようとしたけど、唸り声しか出ない。口に何かが咬まされている。硬い。

 跳ね起きようとしたけど、体に力は入らない。

 荒い呼吸が自分でもわかった。

 視界がぼやけて、よく分からない。ここはどこだ?

 誰かが何か言うけど、曖昧にしか聞こえない。

 腕に痛み。なんだ? 痛みが強くなる。

 意識が曖昧になり、また闇に落ちた。

 でも今度は暖かい闇だった。私は海というものを知らないけど、海に入っているとこんな感じかもしれない。ただ、呼吸をしなくては死んでしまう。

 闇の中で呼吸を意識した。何かを吸い込める。苦しい。吐いた。また吸う。今度は少し楽だ。

 浅い呼吸を繰り返し、じっと闇の中を意識した。

 何もない。何も、何も。

 体がどこかへ浮上する感覚があり、闇が消えた。

 気づくと目を開いていた。

 まだ視界がぼやけている。そこへ人の顔が現れたけど、判別がつかない。

「大丈夫? 何が起きたか覚えている?」

 声はどうにか聞こえた。

 首を振ろうとしたけど、まるでなんかで固められたように、首が重い。

 誰かが何度か頷き、視界から消えた。

 少しずつ視界がはっきりして、全てが輪郭を取り戻した。どこかの建物の中だ。体は全く動かない。首が動かないのは、どうやら何かで固められているわけではなく、純粋に私の体に力が入っていないせいらしい。

 その視界に、初老の男の顔が現れた。知らない顔だ。

「生きているか? 体は痛むか?」

 痛み? 痛みはなかった。

 どうにか首を振ると、男がかすかに笑みを見せた。

「それは薬が効いているということだ。これから一ヶ月は、その調子だろう。気を楽に持って、安心しなさい」

 声を出そうとしたけど、声も出ない。

 男が頷く。私の顎の動きを見たんだろう。

「ここは安全だ。この娘を知っているか?」

 初老の男とは反対側から、少女が顔を覗き込んできた。

 どこかで見た顔だけど、思い出せない。

「サリーさん、私ですよ、キラですよ。忘れちゃいましたか?」

 キラ? 過去に聞いた名前だ。

 あれは、娼館で……。

「事情はいずれ、話す」男性がいう。「休みなさい。お前さんには長い休養が必要だ」

 二人の顔が視界から消え、いつの間にか瞼を閉じて、私は眠っていた。

 何度、目覚めと眠りを繰り返したのか、わからないまま、目が覚める度に変化を感じた。体が熱を持っていることもあれば、冷え切っていることもある。痛みが激しい時、悲鳴を上げたい時もあれば、何も感じず、不安でやはり声を上げたい時もある。

 そのうちに声が出せるようになったけど、はっきりとは発音できない。喉が壊れたのではなく、あまりに長い時間、喋れなかったせいだろう。

 時間の感覚が根こそぎになくなった頃、キラが私を抱え上げて、上体を起こしてくれた。今までは彼女が私に重湯を食べさせてくれていたけど、今日からは自分で食べていい、と例の男性が言ったのだ。

 彼の名前は、アキヒコ、と聞いている。医者だった。

「こんなに細くなっちゃって」

 最初に娼館で会った時とは別人のように成長しているキラが、私の腕を撫でた。

 私自身が見ても、びっくりするほど痩せていた。

「ここに運び込まれて、もう半年ですよ。冬の盛りです」

 冬の盛り、という表現は珍しいな、と思いつつ、私は少し開けた視界でストーブを見た。

 それからどうにか食事をして、また横になった。

 どうやら私は死ななかった。意識を取り戻してから、何度も繰り返していた考えを、やっぱり考えていた。

 このまま死ぬかもしれない、と思ってきたけど、どうやら、私はまだ死なないのだ。

 ベッドに横になったまま、近くの窓の外を見た。

 雪が降っている。

 あのアンギラスでの冬から、もう一年が過ぎたのだ。






(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ