1.75-4 新しい自分
私の体の機能回復のための訓練は、初夏の頃に始まった。その時には薬の量も減ったし、声も出るし、簡単な身振りもできるようになった。
「私には経験があるから、安心しなさい」
アキヒコはそう言って、私の訓練を補助した。
まずは自分で立ち上がることから始まる。正確には、立つための訓練器具にすがりつくために腕力や胴の筋力も必要になる。
何度も何度も床に倒れ込み、繰り返し器具にすがりついた。
「ゆっくりやりましょうよ、サリーさん」
食事の時間はいつも、キラがそばにいてくれる。
少しずつ話を聞いたけど、キラは娼婦をやっているうちにアキヒコに出会ったという。それもアキヒコが女を買いに来たのではなく、キラが重病にかかり、それをアキヒコが治療したらしい。その時にアキヒコはキラに何かを見出し、看護師にするということで、娼館から身請けした。
それがもう二年は前だという。
キラは私に、今までどこで何をしていたのか、それとなく聞いてきて、私は彼女には正直に、事情を話した。
「あんなに凄いという噂のサリーさんが、切られちゃうなんてねぇ。しかも二人に」
私の胸には、脇腹に劣らない傷跡があった。
シュウラの一撃はほとんど致命傷で、あの場で、たまたまアキヒコが通り掛からなければ、死んでいただろう。
倒れて動かない私をアキヒコは蘇生させ、治療し、自身の病院に運び込んだ。
私が意識を取り戻すまで一週間が必要で、それから今に至るまで、半年以上が過ぎている。
どうしてアキヒコが私にそこまでするのか、質問したが、彼は真剣な表情で、
「医療の実験だ」
と、答えた。実験か。なるほど。
納得している私に、キラが笑みを見せて補足したものだ。
「先生は優しい方ですから、放っておけないのですよ」
優しいかどうかは知らないが、まぁ、私はいい患者だっただろう。瀕死の人間を治療することも、その患者が息を吹き返し、回復していく様も、滅多に経験できないだろうし。
「サリーさん、もう危ないことはやめてくださいよ」
食事をしながら、キラが穏やかに言う。
「もっと普通に生きてくださいよ。そうでないと、命がいくつあっても足りません」
面白いことを言うな、と思いつつ、私は食事を続ける。キラも食事をしつつ、ぼやいている。
「女の人なんですから、斬り合いとか、暗殺とか、そんなのは無しです。そんなの、粗暴な男に任せればいいですよぉ」
「私が粗暴に見える?」
「見えませんけどね、言葉の綾ですよ、まったく」
食事が終わり、午後もまた訓練。まったく体が思ったように動かない。
そんな日がひたすら続いた。一日で大きな進歩は起こらない。何日もかけて、少しずつ体が機能を取り戻す。器具を使って体を持ち上げる。持ち上げた体を震えながら支える。震えている体で、器具にすがって一歩踏み出す。そんな風に、段階を踏んで、亀の歩みで進んでいく。
夏が過ぎ、秋になり、冬になった。
私はどうにか杖をついて立ち上がり、一歩ずつ、ゆっくりと歩けるようになった。
その日は風もない暖かい日で、アキヒコが「少しは外の空気を吸えばいい」と言ったので、キラと一緒に建物の外に出た。
その時まで、窓から見える景色しか見ていなかったので、どんな場所にこの建物があるのかもよくわかっていなかった。
玄関から外へ出ると、狭い庭園があり、その向こうに柵が見える。柵の向こうは木々が密集していて、この建物は森の中にあるらしい。近くに集落があるのだろうか。
「街は遠いですよ。食料品などは届けてもらっています」
キラがそう教えてくれた。
アキヒコの助手はキラしかいないということも聞いていた。それにしてもアキヒコはものすごい富豪なんじゃないか?
「患者は二ヶ月に一度くらいですね。その時は先生の方が往診に出向きます」
そんなことも以前、キラの口から聞いた。つまり建物には、私、キラ、そしてアキヒコしかいないのだ。
庭をゆっくりと歩いて、狭い庭なのに一時間もかかった。
玄関でアキヒコが待ち構えている。
「回復してきたな」
「本気で言っている?」
「もちろんだ。死んでもおかしくない傷だった」
そう言った彼が、何かを掲げた。
剣だ。私がミチヲからもらった剣。
私はきっと、目の色が変わっていたんだろう。アキヒコに歩み寄ろうとするが、体がまだうまく動かない。さっとアキヒコが剣を隠す。
「少しはやる気が出たようだな。剣は私が預かっておく。回復に努めなさい」
さっさとアキヒコは建物の奥へ行ってしまった。私が歯噛みする横で、キラが笑う。
「先生も意地悪ね。ほら、サリーさん、とりあえずは部屋に戻りましょう」
その日から、私は必死で訓練を重ねた。何度も転び、立ち上がり、また転んだ。
冬が終わり、暖かくなり、春の日差しが降り注ぎ、そして夏の日差しになった。
私は小走りにアキヒコの屋敷を囲む柵の外側を走っていた。キラはもうついてこなくて、私に任せている。
屋敷の外を三周して、それから庭を抜けて、玄関に戻った。そこでキラが待っている。
ぽいっと投げられたタオルを受け取り、汗を拭う。
「あまり無理すると良くないんじゃないの?」
「少し追い込んだ方がいいかな、と思ってね」
二人で建物の中へ入り、二人でアキヒコの部屋に向かう。もう自然に歩ける。
「あまり無理しないように」
部屋で出迎えたアキヒコがそう言って、笑みを見せる。私は鼻を鳴らすのみ。
部屋にある寝台に横になり、アキヒコの診察に任せる。
胸の傷も、脇腹の傷も、まだ痛む時がある。
でも運動能力はおおよそ回復した。剣術の稽古も、棒切れでやっている。
まだ真剣は、アキヒコが渡してくれない。
「太鼓判とはいかないが、良いだろう」
アキヒコが寝台から離れたので、私は起き上がった。アキヒコは難しげな顔でいる。
「薬を飲まないと、おそらく不調を覚えると思う。というより、サリー、お前はこれから死ぬまで、薬を飲まなくちゃならん」
それはそれは、不自由だな。
「薬を飲まないと、どうなる?」
「まずは痛みが出る。痛みが消えなくなり、やがては傷跡から腐っていくだろうと思う。それも、皮膚の側から腐るのではなく、内側から腐る」
「薬を飲めば、そうならないんだね?」
「絶対ではないが、ある程度は予防できる」
うーん、そうか、仕方ないか。
「薬は薬屋で簡単に手に入る?」
「そのことだが、私から提案がある」
なんだろう? と思うと、珍しくアキヒコが伺うような視線を向けてきた。
「サリー、薬学を学ばないか?」
薬学?
(続く)




