第96話 寝かせておいてくれ
シャロンヌとリナが正位の間にて、失意の女王ルキナと対面を果たしたその頃。各大陸の冒険士達が集う王宮の客間では、新たな緊張と対立の火種が生まれようとしていた。
「そこの娘を起こせ。今すぐ。直ちにだ」
正面に立つ獣人の女騎士は言った。声こそ静かだが、彼女の口調には殺意にも似た怒りの色が滲んでいた。
「すまないが、寝かせておいてくれ」
返事があったのは部屋の奥にある赤いビロード張りの長椅子からだ。
「寝かせておけだと……ふざけているのか」
「見ての通りこの子はまだ幼い。どうか寛大な心で頼む」
膝の上ですやすやと寝息を立てるラムの頭に手を置いて、天は言った。こちらは至って涼しげな声での対応である。ただしその余裕ぶった態度は、単純明快な拒絶でもあった。
「……もう一度言う。その娘を起こせ」
「しかし、寝る子は育つというだろう」
「そうか舐めているのか。いい度胸だ」
互いに譲る気はないという意思疎通を済ませると、双方の視線が激しくぶつかり合う。
「ここに来るまで、ずっと歩き通しでな」
「それがどうした」
「長旅の疲れが出たんだ。大目に見てくれないか?」
「ダメだ。起こせ」
鋭い言葉で一蹴すると、女騎士は腰に帯びた剣を鞘ごと抜いて、その剣先を長椅子でくつろぐ天達に向けた。
「やれやれ、随分と物騒だな」
「シラユキ様が御挨拶なされているのだ。居眠りなど、無礼にもほどがある!」
シャンデリアの明かりに照らされた猫の目は鋭く、瞳孔が針のように開いていた。逆立った黒毛からは憎悪すら感じられる。ラムが自分と同じ黒猫型であることも相まって、憎さ百倍といったところか。
「この非常時に呑気に寝息など立てて……私が叩き起こしてやろうかっ」
彼女はシラユキの護衛を務める近衛騎士。見た目は若いが、その華々しい装いから高位の役職であることは間違いなかった。だから仕方がないといえば仕方ないことだが。しかしそれでも、シラユキやサランダに対するものとは百八十度態度を変えた女騎士に、天は失笑を禁じ得なかった。
「一つ訊ねたいんだが、そっちの振る舞いは客人に対して無礼にあたらないのか?」
「うるさい黙れ。もとよりお前のような助っ人など、我らが望んだわけではない!」
瞬間。客間の空気がさらに張り詰める。重い岩が転がるような、声なき激情が室内に広がる。それまで静観していた冒険士達が、あからさまな不快感や怒気を発したのだ。
「これって問題発言じゃありませんの?」
ブリジットのぼやきは他の者たちの心情も吐露していた。その証拠に、みな程度の差はあれ眉をひそめている。それは天とラムの左隣にいた弥生も同じだ。
「……俺は関係ない、俺は関係ない、俺は一切関係ない……」
唯一例外がいるとすれば、天とラムの右隣でガクガク震えながら頑なに下を向いたままの淳だけだ。
――お前らなどお呼びじゃない。
たった今女騎士が吐き捨てたそれは、天だけでなく、この場に集まった冒険士全員に向けられたもの。紛れもない暴言であった。
「いい加減にするッス。ココロア」
「っ」
サランダが強い視線で女騎士を見た。王女らしからぬドスの効いた声で名前を呼ばれた女騎士、ココロアがびくりと肩を震わせる。
「……申し訳ございません」
と聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で謝罪をし、ココロアは悔しげに唇を引き結んだ。その態度は反省とは程遠いものだ。己の失言に気づきながら、それでも自分の主張を曲げたくない、そんな思いがひしひしと伝わってくる。現に今もなお、ココロアは鞘付きの剣先を天に向けたままだ。
そんな中。
「肩車で手を打つのじゃ!」
と、可愛らしい子供の声が上がった。
「長旅で疲れておるなら仕方ない。ワレも鬼ではないのじゃ」
「シ、シラユキ様」
困惑する部下をよそに、シラユキは小さな指を勢いよく立てて言った。
「そのかわり肩車一回じゃ。これ以上はマケられんぞ?」
「オーケーだ」
天は首を傾けて、肩まわりの筋肉をこれみよがしに見せつけながら言った。
「俺がここにいるあいだ、この肩はあんたの特等席だ。プリンセス」
「交渉成立じゃな!」
やったと白い両手を腰に当てて、シラユキはにんまりと笑った。
「姫様!あのような者に頼まずとも、肩車ならこの私が……!」
「残念じゃが、ワレは広くたくましい益荒男の肩がよいのじゃ」
「そんなっ」
「見よ。あの岩山のような見事な肩を。肩車どころか座れそうじゃぞ」
「あんなゴツゴツしたものに座ったら、姫様のお尻に傷がつきます!」
「心配無用じゃ。ワレの尻はそんなにヤワではないわ。なにせ豪気な姉上達にさんざん叩き上げられとるからのう。フハハハハハ!」
「はいはい、無駄話はそのへんにするッス」
サランダがパンパンと手を叩いて言った。
「シラユキ。皆さんにオニ大事な用があるんスよね……まさか冷やかしに来ただけとか言ったら、また尻ぶっ叩くッスよ?」
「のわっ」
豪気な姉の一睨みにシラユキはお尻をガードして身震いする。そのやり取りを見て他の者も緊張を解いた。兎人の王族姉妹が荒れた空気を変えるために動いたのは明白だった。
「くっ……」
こうなると、ココロアも矛を収めるしかない。ここで癇癪を起こせば、それこそ主人達の顔に泥を塗る行為だ。ココロアは渋々と剣を腰に戻す。そして最後に一度だけ、恨みがましい視線を天に向けた。調子に乗るなと釘を刺したのだろう。やれやれと肩をすくめながら、天は思い出したように口を開いた。
「ああそれと、あまり軽々しく人の妹に武器を向けるなよ」
そして底知れぬ笑みを浮かべて、天はこう述べた。
「うっかり壊したくなるだろ?」




