第93話 噂の男
「生レオスナガルだ……生レオスナガルがいるよ……‼︎」
広い客間の隅っこで、淳はこれでもかとガクガク震えていた。
『嵐の皇帝』レオスナガル。
『銀の聖女』エメルナ。
『闘拳』サランダ。
『高貴なる血の乙女』ブリジット。
王宮の一室に集められたメンバーは、それぞれが各大陸の代表とも呼べる冒険士達。思わず息を呑むほどの豪華な顔ぶれだった。
「レオスナガル、そう呼んでほしい」
「花村天だ。こちらも天で構わない」
そしてその筆頭格である嵐の皇帝レオスナガルは、ただいま部屋の中央でくたびれたTシャツ姿の男と握手を交わしている。信じられないと、淳は両手で頭を掻きむしる。
「何であいつは速攻で打ち解けてんだよ? 相手は生きた伝説だぞ? しかもあんな格好で腹立つくらいいつも通りにっ。おかしいよ。絶対におかしいよ、あいつ!」
「に、兄様。少し落ち着いてくださいまし」
ほとんどパニック状態に陥りかけの淳を弥生が宥める。もっとも、姉にしか見えない兄を落ち着かせる妹の声もまた、小刻みに震えているが。
「う〜ん、この場合レオスナガルさんと一瞬で打ち解けた天兄がすごいのか、天兄に一見で認められたレオスナガルさんがさすがなのか。迷うところなのです」
そんな軽口を言ったのはリナだ。ただその砕けた態度とは裏腹に、こちらも表情はどこかぎこちない。いつもより口数が多いことからも、内面の動揺があらわれている。本人は認めないだろうが、旧友サランダとの再会はリナにとって特別な意味を持つのだろう。腕を組んで忙しなく犬の尻尾を振るさまは、ことのほか余裕がない証拠だった。
ただし以下の三人も、彼女よりはマシだ。
「……………………、」
シャロンヌは苦虫を噛み潰したように押し黙っていた。ただじっと。部屋の中央を凝視したまま。他を寄せ付けない女帝メイドのオーラにあてられて、淳と弥生が小さく悲鳴を洩らした。やれやれと訳知り顔で注意を促したのは、彼女の親友であるリナだ。
「シャロ姉。顔が超怖いのです」
「……私は生来こういう顔です」
「まあ確かに、シャロ姉と天兄の時と比べたら雲泥の差だけどね」
「……お黙りなさい」
図星を突かれたシャロンヌの顔がより苦々しいものへと変わる。一方のリナは、多少なりとも余裕を取り戻した様子だ。喧嘩別れした幼馴染への意識をリラックスさせ、嫉妬と羨望に身を焦がす親友をイジる余裕を。だがしかし。そんな犬耳娘の余裕も長くは続かなかった。
「――キミ、闘技を覚える気はないかッ!」
その瞬間、リナの顔がピシリと凍りつく。
「は、え? とうぎ?」
「ああ、すまない。俺は花村天という」
簡単に自己紹介して、天は言葉を続ける。
「闘技というのは俺が考えた格闘術、まあ平たく言えばオリジナルの戦闘スタイルみたいなもんだ」
「は、はあ……」
サランダは曖昧に返事をする。レオスナガルとの会話を切り上げた天が、次に声をかけたのは彼女だった。しかしながら、興奮を隠しきれない様子はあきらかにレオスナガルの時よりも上である。
「いやはや、驚いたぞ」
ぎりぎり肌には触れていないものの、それぐらいの距離まで近寄って、天は感嘆の目でサランダを見る。
「まさかコッチで、純粋なファイターに会えるとは思わなかった」
「そ、そうッスか」
困惑した表情を浮かべながらたじろぐサランダ。五年ぶりに再会した幼馴染に声をかけようか迷っていたところに、Tシャツの変な奴に迫られれば、さすがの彼女も狼狽えざるを得ないようだ。
「俺の見立てが正しければ、キミと闘技は相性が良い。これは断言できる」
「すいませんッス。申し出はありがたいんスけど、今はオニそれどころじゃないんで」
たじたじに顔を引き攣らせながらも対応に嫌気を感じさせない。王族でありながら誰とでも同じ目線で対話する。これこそ普段のサランダの姿。彼女の美徳である。一方。急激にテンションを上げてまくし立てる天の姿はなんと珍しいことか。しかも相手はまったく面識のない美女子。中性的な顔立ちで男よりの格好をしているといっても、どう見ても年頃の娘だ。なのに仕事抜きで、特に必要もないのに、天が進んでフレンドリーに話しかけている。はっきり言って超激レアである。
「……ケッ」
盛大な舌打ちとともに、リナがそっぽを向く。その横顔は、隣にいるシャロンヌに負けず劣らずやさぐれていた。
「ラムさん。よろしければクッキーなどいかがですか?」
「えっ! いいんですかっ!」
「もちろんです。他にもアメやケーキ、チョコレートなどもあります」
「うわぁ、ありがとうございますですぅ!」
エメルナから大量のおやつをもらい、大喜びするラム。こちらは実に平和であった。
◇◇◇
「なんですの、この状況は……」
美999の衝撃からようやく立ち直ったブリジットは、呻くように呟いた。少し前までのシリアスな空気はもはや皆無。高貴な宮殿のスイートは、ただただ混沌とした空間に成り果てていた。
「……優雅さの欠片もありませんわね」
ブリジットはくらりと目眩を覚える。花村天のことは、当然ブリジットも知っていた。なるほど。確かに常識が通じない相手ではあるようだ。ブリジットは、疲れと憂鬱が入り混じったような溜息をついた。
「……ワタクシには関係ありませんし、興味もございませんけれど」
呟いたセリフは舌に馴染んだ口癖である。ブリジットはぐったりと一人がけのソファーに座り直し、テーブルの上に置かれた花柄のティーポットに手を伸ばす。
「まぁ、退屈ではなくなりましたわね」
呆れまじりに一言。賑やかな室内を改めて見回した彼女の率直な感想だった。ブリジットはもう一度小さく溜息をついて、新しいカップに紅茶を注ぐ。高級茶葉の香りがふわりと辺りに広がった。
……こうしている時が一番落ち着くわね。
ブリジットはもともと使用人のいない貧乏貴族出身だ。来客用のティーセットの扱いも慣れたものである。ちなみに魔力でカップを温めてから茶を入れるのがブリジット流だ。
「ふふふ、紅茶は淑女の嗜みですわ」
まずは甘い香気を楽しんでから、ブリジットは温かい紅茶に口を付ける。
「それにしても、あの男……地味ですわね」
形の良い唇をカップに添えたまま、ブリジットは呟いた。噂の男の第一印象だった。
◇◇◇
それから小一時間ほどたった頃、再び客室の大扉が開かれた。
「フハハハハハッ! 待たせたな皆の衆!」
高笑いを響かせて扉の向こうから登場したのは、頭の天辺から足の先まで真っ白なウサギ耳の女の子。まるで童話の世界から出てきたような美幼女だった。
「ワレがラビットロード初代女王、境界の英雄ルキナじゃ!」
堂々と名乗りを上げて、幼女はまた高らかに笑った。




