【第二話 〜沖弓〜】1
よくもまあ、ここまで極値に振り切れた人材が揃ったものだ。
沖弓桃は感激していた。絶望していたと言ってもいい。
大袈裟にため息を吐き出してみた。何も起こらない。
数日間雨が続いていたせいで、部室の中はカビ臭い。カビが原因で発病する健康被害は意外と多いらしく、その中にはアトピー性皮膚炎とかいう到底歓迎できないものも含まれていたので、なんとか臭いだけでも抑えようと対処法を検索した。部屋の四隅に撒かれている重曹はそのためである。三日経つが、効果が得られた感触がない。そのうえ、盛り塩みたいで薄気味悪い。
そして、それに負けず劣らず薄気味悪い、わが新聞部――もとい、「メディア研究会」が今、部室に勢揃いしている。選りすぐりの精鋭二名の会員たちをご紹介しようではないか。
倉木充流。名前から、もしかしたら淑やかにせせらぐ清流のような青年を思い浮かべたかもしれない。残念ながらその想像は裏切られる。
駱駝みたいな面長の顔に、腫れぼったいまぶたの目が付いている。そのまぶたは見たところ、途中までしか開かない構造らしかった。口元は彼の性格を一番よく表しているのか、不気味に歪んでいた。ちょうど今もタブレットでいくつかの記事を見ながら唇をひん曲げて冷笑している。大手新聞社の社説を見比べて批評するのが彼の趣味だった。誠に悪趣味である。
もう一人は、加瀬宗典。名前から、もしかしたら多少なりとも顔立ちの良い、往年の脇役俳優のような姿を思い浮かべたかもしれない。残念ながら、二度目もその想像は裏切られる。
彼のような体格の人間を、世間では二文字でこう表現する。「デブ」と。カタカナにこだわりはないので、「でぶ」でも「肥満」でも、なんなら文字数にもこだわりはないので「豚」でも、なんでもいい。
日本でよく使われる調味料に「酢」というのがある。彼のような体格の人間のうち、時折「酢」のような独特の臭いを放つ種類がいるが、幸いにも彼は清潔だった。実際には、近くで嗅いだことなどないのでよくは知らない。得意分野は現代視覚文化。平たく言って、アニメである。なるほど、世界に誇る日本のアニメーションが、彼のような人間に支えられていると思うと、やれやれこの国の未来は安泰である。
いいだろう。沖弓は開き直って、善後策を思考した。前向きに考えよう。そうすることが重要だ。
必要なのは、「キラキラ」した何かだ。私は「キラキラ」したものを求めている。具体性に乏しい表現だが、現状沖弓にとっては一番すわりのよい表現だった。高校一年生は、キラキラと煌めかなければいけない。
入学式が終わり、四月が終わり、五月の連休も明けて、六月になった。
しかし沖弓の日常は、どういうわけか、キラキラしない。どういうわけか、煌めかない。今年の梅雨入りは少し早かったらしく、五月の下旬から愚図ついた天候が続いていたが、それよりもさらに早足で、沖弓には梅雨が到来していた。そして明けるのはずっと先らしい。
空を見上げる。今日は久しぶりに晴れた。
だが、梅雨明けには至らない。この瞳に虹が架かるのはいつ頃なのだ。沖弓は自問した。
そもそも、修学院大学附属高校には「キラキラ」するために入学した。公立よりも私立の方が自由度が高く、活動の幅が広がるに違いない。学費が高い分、設備も充実しているに違いない。その上修学院大附高は、生徒の評判が良かった。口コミサイトの星の数もコメントも上々だ。色々な同好会やサークルが地域と交流し、社会貢献度も高い。いいじゃないか。学内にとどまらない活動的で自由な校風。美男美女多し。完璧だ。
騙された。裏切られた。
いや、正確には期待値を上げすぎていた、と言うべきか。
クラスには馴染めた。朝も帰りも何人かと挨拶を交わすし、さらにそのうち何人かとはランチを共にする。皆、親切だ。私立の学校ではよく「内部生」と「外部生」で軋轢が生じると聞いていたが、杞憂だった。個性を尊重し合うように、互いが互いを認め合うように、色とりどりの生徒が校舎や中庭、グラウンド、そしてここ、部室棟にも分布している。口コミ通り、部活も同好会も盛んで、活気があった。
しかし彼らは、分布しているだけだ。散らばっているに過ぎない。見ている方向はてんでバラバラで、総体をなしていない。個性があるのは結構なことだ。それが過ぎてかえって没個性化を招いている嫌いはあるが、皆バイタリティを失ったりはしていない。しかし、足りない。
もう一滴のエッセンスで、見違える。
情報の共有だ。少し表現を崩して、話題のシェア、と言ってもいい。一次的な情報の伝達から始まり、意見や推論、批評が集まって二次的情報に体系化される。
そういう「情報の発信源」を作ろう。
理想を描いて、四月の終わりに新聞部を訪ねてみたら、すでに廃部していた。
それを知ったとき、沖弓に落胆はなかった。判断と行動は、素早かった。新聞部。ないならないでいい。仕方がない。
立ち上げ直せばいい。
幸いにも新聞部は廃部直後だったらしく、部室が余っている。廃部したことなど生徒たちは知る由もない。沖弓は部室を切望していたノロマな団体各位を出し抜いた。新聞部を復活させるかたちをとり、部室を受け継いだ。
さて、「新聞部」という名前をそのまま使うほど、沖弓は馬鹿じゃない。どうして新聞部が廃部になったかは定かではないが、昨今、紙媒体の情報が淘汰されたとしても全く不思議ではない。新聞部が本当に新聞だけでやっていたのだとしたら、当時の新聞部の部長は残念ながら浅はかだ。沖弓は新聞が司る「情報」を広く解釈し、「メディア研究会」とした。これからは紙媒体だけでなくWEB媒体も駆使する。
ただ後になって、この命名を沖弓本人が深く後悔する。「メディア」というワードで釣り上げることができたメンバーは、駱駝と豚だったのだ。
彼ら二人ががメディア研究会を訪れたのはほぼ同時期、連休が明けた五月の中旬だった。




