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リリー  作者: かねとけい
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【第九話 ~善~】

「松本さんとは、あれから話してないんですか」

「うん」


 善は高橋先輩と会っていた。

 夏休みに入る直前。学校の昼休みの中庭。

 前に始めた会った時に、松本さんと三人で座ったベンチだった。


 ファミレスでの一件以降、探偵サークルのメンバーは律儀に「フィリップ・マーロウ」に集まるようになった。漆崎先輩は相変わらず学校には出てきていないが、時折田村と連絡を取り合っているらしい。正直誘われているのならそのまま就職した方が良いのではないかと、善は思った。


 美那未先輩については、ほとんど受験勉強の息抜きに顔を出している、と言う感じだった。前は弓道部の事故があった関係で「リリー」に変なこだわりを見せていたが、今は落ち着いている。


 智視はと言えば――その真意は推し量れないが――松本さんが帰国したら彼女と付き合おうかなと抜かしている。選ぶ側の人間の発言は、本当に憎たらしい。


 そして、荻原善は今日、ちょっとした勝負の日だった。


「松本さんは、留学にきちんと行きます。智視が説得してくれました」

「――そっか。ありがとう」


 先輩の昼食は、お弁当ではなかった。学食で売っているコッペパンだ。

 七月に入ってまもなく、高橋先輩は退院し、今は包帯もとれている。病室で会った時より顔色が良くなっていて、善はほっとした。


「出発は来週の火曜です。先輩は見送り、行かないんですか?」


 高橋先輩は答えない。

 中庭は生徒たちのおしゃべりでとても騒がしい。夏休みを目前にしているので、いつもより余計に浮かれている。


 善もしばらく無言だった。学食の惣菜パンを何度かかじった。


「伝えたいことって、それ?」高橋先輩が言う。

「はい。僕は見送り、行こうと思います」

「そう」


 善はベンチからひょいっと立ち上がった。


「僕、空港好きなんですよね。いろんなお店あるじゃないですか。それに開放的で、離着陸のアナウンスとかも、聞いていてわくわくするというか」


 先輩は首を傾げている。


「なあに? どうしたの?」

「松本さんを見送った後、少し見て回りましょう。先輩も、受験勉強の気分転換になるんじゃないですか?」


 高橋先輩は目をぱちくりさせた。

 そして、くすりと笑った。


「なに? そこまでして見送りに行かせたいの?」

「別に、嫌ならいいっす。その日は智視も用事あるっていうし、ひとりでぶらぶらするんで」

「ふーん」


 先輩は、少し空を見上げってから、コッペパンをかじった。

 それからちょっと真剣な顔になる。


「ちゃんと謝らなきゃとは思ってる。郁には」


 善はベンチに座りなおし、惣菜パンを平らげる。先輩もぱくぱくとコッペパンを食べる。また、しばらく無言だった。


 昼休み終了の予鈴がなる。先輩が先に立ち上がった。


「ねえ、それってデート?」高橋先輩が言う。


 善はすぐに答えられず、言葉になっていない妙な声でごまかした。


「考えとくよ」先輩が笑って言う。「善くん、ありがとう」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 大きなスーツケースをがらがら引っ張って、松本さんは空港の保安検査場の前で立ち止まった。


 あと一時間で、ニュージーランド行の旅客機の離陸時間となる。

 松本さんは、他の留学組と一緒に最後の記念撮影を撮り終え、検査場を通過するところだった。

 松本さんのお父さんがぎゅっと彼女を抱きしめる。英会話同好会のメンバーが駆け寄り、しばしの別れの言葉を言う。その中には泣きながらしきりに謝っている女の子がいた。その子は「リリー」で臨戦態勢をとっていた富沢香奈だと、智視が教えてくれた。


 紺野先輩が近づいて、小声で何か言っている。途端に松本さんが眉をハの字にし、泣き出しそうな顔になった。


 僕と智視も挨拶に向かった。そばに言って、別れの言葉を言う。たいそうなものでもなく、帰ってきたら遊びに行こうとか、本場の英語を教えてくれとか、小さな約束をいくつか交わす程度のものだった。


「先輩、トリですよ」智視が言う。


 まだ挨拶を交わしていない人物が一人、留学組の団体を遠巻きに突っ立っている。


「原くんがトリでよかったのに――」


 高橋先輩は顔を伏せたまま、松本さんの前までとぼとぼと歩く。

 二人とも、目を合わせないで下を向いている。


「――これ。まあ、多分機内食とかあるんだろうけど、あんたよく食べるから、お腹空くといけないし」


 そう言って高橋先輩が差し出したのは、ランチョンマットに包まれたお弁当だった。

 松本さんは手をのばしてそれを受け取る。


「――うん。私、いっつもお腹ぐーぐー鳴らしてたもんね」


 松本さんはぎこちなく笑う。


「あのさ、郁」


 先輩は顔を上げて、まっすぐ松本さんの顔を見た。


「ワタシ、もう郁のことは助けない。でも、応援してる。精一杯応援する」


 松本さんは一瞬目を丸くしたが、すぐに顔をくしゃくしゃにして笑った。


「うん」


「半年間、あんたは向こうでもっともっと成長してくるんだろうけど、私も負けない」

「うん」


「英語も上達して、進路もバッチリ決めて――オマケにイケメンの彼氏もつくってやる!」

「うん!」


 先輩の声は途中から裏返った。肩で息をして、赤い顔で、大粒の涙を落としていた。


「ごめん、郁。絶交なんて、本気じゃないから! ごめん、ごめん――」

「分かってる。私も嫌だよ。美緒ちゃん――」


 顔を両手で覆う高橋先輩を、松本さんは抱きしめた。

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