【第一話 〜善〜】1
「君、荻原くん?」
おしゃべりの飛び交う放課後の廊下で、唐突に名前を呼ばれた。
振り返ると、女子生徒がこちらを向いて立っていた。探るような目だった。
「荻原ゼンくんだよね。あれ、違った?」
「はい……そうっすけど」
善はホームルームが終わり、鞄を担いで教室から出た直後だった。
あーよかったと、彼女の顔が安堵でほぐれた。くっきりとえくぼができて、長い髪が揺れる。
知り合いではなかった。話すのは初めだ。ただ、おそらく先輩だ。話し方に屈託のない感じとか、制服の着崩し具合なんかから読み取った推測だけど、たぶん当たっている。そう思って、荻原善は反射的に敬語を使った。
「突然ごめんなさい。実はちょっとお願いがあって」
三年の高橋。国際学科で、英会話同好会。彼女は簡単に自己紹介した。やっぱり、先輩だった。
荻原善は、今年度から高校二年生になった。
通っている修学院大学附属高等学校は、一学年で七クラスある。普通科が五クラスで、残り二クラスは国際学科になっていた。二年生になってクラス替えがあり、学科は跨がずに生徒がシャッフルされ、文理や志望する大学のレベルに合わせた編成になった。
善は普通科で、二年からは私大文系クラスに進んだ。一年の時に必修だった数学ⅠAや物理がほとんど理解不能だったため、半ば消去法で選んだようなものだった。
将来の展望はまだまだ霞がかかっており、目を凝らしても見ることはできない。銀行勤めの父親を見て、一度金融業界は選択肢から除外したものの、どこも似たようなもんだ、なんて身も蓋もないことを言われ、振り出しに戻ってしまった。
ただ、聞くと周りの同輩も似たようなものだったし、一年から同じクラスの平田も「今は興味関心を広げる期間だ。急いで絞っても逆にもったいないだろ」と言っていたので、比較的心穏やかに日々を送っていた。そういう平田は成績優秀だから、言えるんだろうけど。
兎にも角にも、まだ高校二年生。まだ六月。まだこれからだ。もうしばらくはゆるりゆるりと生活をしてもばちは当たらないだろう。
閑話休題、善はその置かれた身から、見知らぬ生徒に「お願い」や「相談」を持ちかけられることが少なくない。そしてその「お願い」や「相談」は、大きく二分できる。
ひとつは、友人である原智視に関すること。そしてもう一つは、善と智視が所属している「サークル」に絡むこと。
そして今回高橋先輩が持ち込んだ「お願い」は、前者だった。
実際これは、直接高橋先輩から用件を話してもらう前に、結論が見えてしまった。先輩の後方一メートルのあたりにもう一人、女の子が、居心地悪そうにもじもじしながら立っていたのである。
こういう構図には既視感がある。
二年になってからは、さらに増えた。要するに、原くんとお近づきになりたいので、紹介してくれっていう依頼だ。直接連絡先を聞くのはまだ段階がいくつか足りないから、まずは近しい友人で「手頃」な人物を探し当てたのだ。今回のパターンはさしあたって、後ろの女の子は一人じゃ聞く勇気が出ないから、さらにワンクッション挟んで、高橋先輩を攻撃表示で召喚したという具合だろう。
こういうとき、間に挟まるおれが当事者になったことは、これまで一度だってなかったけど。善は心の中で、開き直りにも近いため息をついた。
廊下では騒々しくてかなわない。善と高橋先輩、それにもう一人の女の子の三人は、中庭のベンチに移動することにした。




