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リリー  作者: かねとけい
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【第三話 ~善~】5

 その日の放課後も、善はいつものように喫茶店「フィリップ・マーロウ」にいた。向かいでほうじ茶を啜っている智視も昨日のまんまだった。

 到着早々に、智視が「忘れないうちに、共有だよ」と美那未先輩からの伝言を持ってきていた。とすると、彼女は今日も来ないらしい。依頼を受け、サークルに持ち込んだ張本人がいっこうに姿を現さない。

 付け加えると彼女はうちのサークルの代表を務めているのである。本来なら司令塔として、多少忙しくても顔を出すべきじゃないか。善は少しいぶかった。


「英会話同好会の『リリーコミュニティ』は『ランク3』。設定規則は『人を差別せず、グローバルなコミュニケーションを目指すこと』。一応、留意しておいてほしいって」

「『リリー』絡み。美那未先輩がずっと追ってる方の件と、何か関わりがあるのか」

「さあね。そっちの方は僕たち、あまり首突っ込んでないし」


 美那未先輩には、二年前から長期で捜査を進めている一件がある。前に資料を見たことがあったし、まれに思い出さないことこともないが、その件は基本的に美那未先輩と、もう一人の幽霊部員に任せっきりだった。

 善は、今日高橋先輩から聞いた話を智視に説明する。

 常連の老婦人は今日は来ていなかった。テーブル席で女性二人組が熱心に何かを話している。「旦那」とか「教育費」などの言葉の切れ端が飛んできたので、主婦仲間だろうかと、善は想像した。

 一通り話し切る。智視はほうじ茶をごくりと喉に流し込んだ。


「ゼンちゃん、それはつまり『成果を得ることができなかった』ってことだね」

「そういう言い方も、まあ、するかもしれない。でも、全く得ていないわけでもない」

「結論として、高橋先輩は松本さんの留学のことも、今置かれている状況のことも、一切話題に出さなかったわけだね。出せなかったのか、あるいは出したくなかったのかはともかくとして」


 智視は善の持ち帰った情報を、つらつらとまとめていく。

 高橋美緒と松本郁は、小学校からの友人だった。親友と言ってもいい。ただ、主従関係のはっきりした親友であった。いつも道の数歩前を行く高橋美緒と、従属するかのようにその後ろを追いかける松本郁。

 二人の関係性は、現状の情報から考えればおおむね良好と言えた。高橋先輩は「主」の立ち位置に満足しているし、松本さんは「従」に、いわば依存していると思われた。


「自分の進路すら、先輩を追いかけてきたんだね。松本さんは」


 智視は少しのあいだだけ真剣な顔になった。その顔には、ほんの僅かではあるが軽蔑の色が混じる。その色は薄暗いダークグレーだ。でもそれはほんの一瞬智視の顔に立ち寄っただけで、すぐにどこかへ立ち去ってしまった。


「おれは、今回の留学を松本さんに勧めたのは、高橋先輩だと思う」善は考えを述べる。

「同じ意見だね」智視は頷いた。「そうじゃないと整合性がとれない。二人の関係性に従えば、松本さんのことを決めるのは、高橋先輩でなくちゃいけないんだよ――じゃあさ、その上で、高橋先輩が留学について言及しなかったのは、どうしてだと思う?」


 善の中では、一つの答えが導き出されていた。

 しかし、仮にその解答が正しければ、善にとってあまり好ましくない結論を導き出すことになる。


「羨望。もっと否定的に捉えれば、嫉妬だろうと思う」善は言う。

「うん」智視は首を縦に振る。予めそうするつもりだったかのように、首を振る。


 世間一般で思われているほど、人は会話の中で真実を語らない。

 親しい間柄でさえ、言葉は言葉として声に乗せられた瞬間に、それは演出的な要素をはらんでしまうからだ。ましてや出会って間もない相手の場合、人は重要でないことほど饒舌になりやすい。一方で、重要なことは口をつぐむか、あるいは偽りの言葉で壁をつくり、自らの身を守ろうとする。

 善はそれを、ある程度感覚的に嗅ぎ分けることができたし、そうやって人と対話をすることが癖になっていた。

 言葉の裏側に身を隠している生々しい輪郭をもった真実を、切削し、掘り当て、研磨するように対話することが、癖になっていた。あまり褒められたものではないとつくづく感じるが、この癖は実際のところ、役に立った。今日の昼休みだって、じゅうぶんにその力を発揮してくれた。


「高橋美緒は、松本郁を羨んでいる。自分に付き従う存在だった後輩にが留学を勝ち取り、いくらか『先に進む』という事実に、ほとんど嫉妬している。先輩が松本さんに留学を勧めた時点では、もしかしたら先輩自身も、まさかそういう気持ちになるなんて思っていなかったのかもしれない」

「飼い犬に噛まれた、みたいな気持ち?」

「その表現は、あまりしたくない」


 善はブレンドコーヒーを一口啜った。

 ところで、お前の方はどうなんだ。善は智視へ役割を回す。


「ああ、もちろん仕事したよ。とりあえず代表の柿田先輩とは連絡がついて、うちの代表の代わりにもう少し詳しく話を聞かせてもらうことになった。来週の月曜。放課後だ。同好会はちょうどコンテスト明けだから、その日くらいは同好会も休めるらしいよ」


 善も智視も、依頼主からはもう少し情報を引き出せると踏んでいた。美那未先輩の資料が不十分というつもりは全くないが、文章化されたものと、直接人から話を聞くのとではやはり違いがある。


「了解」善は頷く。

「あとね、ゼンちゃん。僕やっぱり松本さんと連絡を取り合ってみるよ」


 智視は言う。

 実際のところ、善もそのラインをつなげておくことは有益だと思っていた。今回の捜査の「本丸」でもあるのだし。


「でも、それは智視にとってはどうなんだ? 嫌がってたろ」


 松本さんは原智視に恋心を抱いているが、残念なことに智視の方にはその気がなかった。今日の話をひととおりしてもなお、その気がなかった。


「まあ、そっちの方はなんとか。案外相性がよくって、いつの間にか付き合っちゃって、彼女の留学当日には僕が号泣している、ということになっているかもしれない。いずれにしても、今は高橋先輩の側からしか情報が入ってきていないんだから、彼女に直接聞かなければいけないことがごまんとあるでしょ?」


 少しだけ間をおいて、善は頷いた。「そうだな。お前がいいなら、高橋先輩にそう伝えておく。悪いけど、頼むよ」


 それからは、昨日起きた野球部の事故の話になった。

 野上先輩が受けたボールを投げた一塁手は同じ三年生というのは聞いていたが、彼は野上先輩とは旧友だったらしい。

 そのうえ、中学時代からずっと野球部で時間を共にしてきた「親友」だったのだという。

 善は智視からその情報を聞いたとき、なにか黒くて重いものが、ずしりと腹の奥に落ちるのを感じた。

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