【第三話 ~善~】3
次の日の朝、学校は物々しい雰囲気が漂っていた。
「野球部で事故だ。主将の生徒が救急車で運ばれたって」
校門前でちょうど鉢合わせたクラスメイトの平田だ。
彼は昨日の放課後、吹奏楽部の練習で遅くまで残っていたらしい。パート練習で部室棟から出て外で合わせていた低音パートの平田たちは(彼はコントラバスで、パートリーダーを担っていた)サイレンを聴く。最初は遠くだったが、だんだん近くなり、一体どこで救急なのかと校庭の方を見渡すと、人だかりができていたというわけだ。
「ボールを取り損ねて、顔面にガツンらしい。今学校も『リリー』もその話で持ち切りだ。初戦間近だからな」
昨日の夜は「リリー」のタイムラインは見ずに放って寝てしまっていた。平田に促され確認してみると、野球部主将の野上先輩に向けたエールが何本も投稿されている。「♯諦めるなマサ」と言うハッシュタグまですでに出来上がっていた。
昼休みに中庭で落ち合った高橋先輩とも、自然とその話題になった。
三年生の中ではもっと話が込み入っており、野上先輩の彼女がショックで学校を休んでいたり、ボールを当ててしまった一塁手の部員が、一部の生徒から白い目を向けられていることも知った。
なんでも一塁手は今年三年生で、しかし今回レギュラーから外れる予定だった。大会では二年生の期待のルーキーが出場することになっており、その方針を監督に進言したのが、野上先輩だった。一塁手にはいわゆる「動機」があったと言うことになる。なんとも、きな臭い話だった。
「ごめんね、放課後は同好会でさ」
昨日の今日で、高橋先輩はかなり睦まやかに話をしてくれた。
もともと人懐こく、人見知りをしない性格なのだろう。途中から呼び名も「荻原くん」から「善くん」になったので、少しくすぐったいような気持ちがした。今日は英会話同好会の活動が忙しい日らしい。スピーチコンテストの全体練習なのだそうだ。昼休みしか時間が取れないということだった。
「ほら、言ったじゃない! 話してみないと分からないって」
場所は昨日と同じ中庭だ。今週ももう終わり。金曜日だ。
昨日に引き続いてとても心地よい陽気だった。外に出ると、昼食を取ろうとする生徒で賑わっている。ベンチの確保ができず、二人は植え込みの囲いに腰掛けることにした。中庭の真ん中にある、円形の大理石だ。中心には校舎の三階に届きそうな高さのマテバシイの木が植わっているため、いい具合に木陰ができている。毎年十月には大量のドングリを落とすため、生徒の間ではよく「中庭のドングリで!」と、お決まりの待ち合わせ場所になっていた。
「でもあの二人、同じクラスなんだし、おしゃべりくらいすればいいよね。本当なら」
まあ、郁からは到底ムリか。高橋先輩は断念したように笑う。先輩はこじんまりとしたお弁当を膝の上に開いている。善は購買で調達してきた惣菜パンをかじっていた。
「智視も、ああ見えて奥手なところあるんで」
これは嘘だった。奥手なのではない。本人の興味関心の問題である。
「ぶっちゃけ、どうなの? 可能性ありそうな反応だった?」
「いや、まだなんとも。あいつもまずは知ってみないとって感じで。なんで、逆に依頼されたんですよ」
その先輩、松本さんと仲良いんだよね? まずはゼンちゃんから聞いてみてくれない? あと、教室で松本さんと気まずくなるのも嫌だから、先輩にだけこっそりさ――そんな風に智視は言った――ということにしようと、智視が提案した。
「いいけど――でも、どんなことが聞きたいの?」
善は、手軽く些細なことから質問を始める。
英会話同好会の代表から「調査依頼」があったことは、高橋先輩も知らないようだった。それも当然のはずだし、そうでなければならない。
探クルでは依頼を受ける際、捜査のことを依頼主が他言しないように守秘義務を課している。加えて、依頼の受諾は個人に限っており、特定の団体からは引き受けない。少人数であっても、複数の人間が依頼について知っていると、何かと不都合が生じてしまうのだ。
この「純然たる個人からの依頼受諾の原則」と「捜査依頼内容の守秘義務」は、探クルではずいぶん昔から決まっていた「鉄の掟」だった。
なぜそんな掟が生まれたのかは聞いていない。智視は「先輩の誰かが、しくじったんじゃない? ルールが敷かれるのって、大抵過去の〝判例〟があるものだから」と言っていた。善にとっても、確かに捜査の際この二点が守られていると進めやすかった。事態が混線しないで済むのだ。
今回の依頼を受けたのは美那未先輩だろうから、あの人はきっちりこれを依頼主に伝えたのだろう。そして依頼主である英会話同好会代表の柿田優馬は、掟を守っている。
あの三枚の資料から得た情報に関しても、すぐには出すことができない。松本郁が留学に行くことや、同好会の状況、中傷コメントの内容など――これらは全て、できるだけ聞き込みの中で引き出したい。
急を要する本格的な捜査の場合は、仕入れている情報を突きつけることで「吐かせる」ことも必要かもしれないだろう。だが善たち探偵サークルは、なにも犯人をとっ捕まえて、牢屋に放り込むつもりでやっているわけではない。
言うなれば、当事者たちが和解や示談という答えを導けるよう、依頼主の望む情報を正確に集めて整理することが目的だ。
高橋先輩だって、当然知っているはずだろう。松本郁が今、英会話同好会でどうなっているか。「リリー」のコミュニティや匿名の掲示板などで、どうなっているか。善たち探クルよりも、より詳細に、より生々しく知っているはずだ。
それを知っていて、一体どういう理由で松本さんの恋を手助けしているのだろうか。
松本郁は、高橋先輩から話を聞けば聞くほど、純真無垢なように思えた。
先輩は話のいたるところに「郁の笑顔」というワードを散りばめた。表現はその度に違えど、つまりは「笑顔が可愛い」ということを、合計で五、六回、言及した。一級品だとか「Brilliant!」だとか、男子受けカンペキだとか、そんな感じで繰り返し絶賛する。「原くんも、同じクラスにいて気づかないもんかなあ」とボヤく。
「性格も、すんごくピュアなの。もしあの子の『湖』があったりしたら、湖水の透明度が高すぎて魚が住めないんじゃないかな」
高橋先輩のプレゼンは聞きやすく、善は妙に感心してしまった。テンポが良く、言い回しが聞き手に落ちてきやすい。パラグラフがごとに主張がよくまとまっている感じだ。英会話同好会では、単によく使う語彙や会話文を覚えたり、発音練習をするだけではないらしい。
途中、唐突に「善くんも、そう思わなかった? 郁の笑顔」と聞かれたので、不覚にも面食らった。「緊張してたみたいなんで、あんまり分かんなかったです」と誤魔化した。
でも、本当にあの時はあなたの陰に隠れてしまっていて、ほとんど見えなかったんですけどね。