【第三話 ~善~】2
「姉ちゃんさ」
フライパンをシンク下のキャビネットから出しつつ、善は聞いてみた。
「片親だってことで、からかわれたりしたことある?」
ジャスティン・ティンバーレイクが終わって、今度はホセ・ジェイムスを始めていた玲子は「別に。お母さん死んだこと、学校で行ってなかったし」と、あっさり答えた。
「何、善いじめられてんの?」
気遣わしげでもなく、面白がっているわけでもなかった。ただ、聞かれた。
「違えよ。今日知り合った奴がさ。言われてて」
ふん。姉は鼻から声を出す。
「しんどそうだよな、きついよなって」
善はふと思う。
あの書き込み、本人は見たのだろうか。
見たとしたら、どんな顔をしたのだろうか。
やっぱり、泣いたのだろうか。それとも、憤慨したのだろうか。
「優しいじゃん。何、女の子?」
こういうときだけ、いやに鋭くて腹が立つ。
「女子――だけど、だからどうってわけじゃねえよ。まだそんなに話もしてないし」
「まだ? これからは?」
「うるせえ。そいつは智視が好きなんだって。今日、紹介してって言われた」
「智くんか。あんたじゃ相手にならんね。心中お察ししまーす」
「だからそういうんじゃねえって」
酔った姉に持ちかける話としては、適切でなかったかもしれない。善はざく切りにしたキャベツをフライパンに放り込んだ。
善と玲子の母親は、八年前に亡くなった。
三十六歳のとき、進行した動脈硬化が原因で、心筋梗塞で倒れたのだった。
「その子助けたいの?」
髪を乾かさないまま、玲子は足の爪を切り始めていた。
「――まあ、状況が改善されるに越したことはないかな」
ふん。そうかそうか。姉はなぜだか満足げだ。
「方法は一つだけだよ」
逃げる。
徹底的に逃げることだと、玲子は言ったのである。
「巧妙に、戦略的に。物理的にも精神的にも、逃げて逃げて、逃げ切ること」
相手にするだけ、時間の無駄。だって相手は、人間じゃないもの。
そこまで、我が姉は言い切った。朗々とした声で、言い切った。
うん。善は同意した。相槌の声が小さくなってしまった。姉には届いていないかもしれない。
彼女の言葉からは、底知れない含蓄が感じられた。やっぱり、強いな。
爪をパチパチしながらじゃなければ、もうちょっとサマになったぞ。
善はフライパンに豚肉を突っ込み、最後に合わせ調味料を投入する。香ばしいにおいが辺りに立ち込める。爪のパチパチが止まる。
「ごめんやっぱ食べたいかも! ねえ善――」
案の定、匂いにやられたか。しょうもない姉め。
「二人前、炒めてる。もう少し待て」
「おおっ! さっすが我が弟!」
回鍋肉を平らげた後、善は高橋先輩に「リリー」で返信した。
智視がもう少し、松本さんのこと知りたいって言ってます。正直、おれも驚きました。ぶっちゃけ無理だと思ってたんで……すみません。それで、とりあえず先輩からまた話聞けたらいいなと思うんですけど、どこか空いてます? ――という具合だ。
その日中に返信が来て、翌日の昼休みに会うことになった。




