9.親友・鳴海純
なす術なく会社を解雇された俊作。彼の運命は……?
ある秋の夕暮れ。
この日の代々木公園も、散歩やデート、明治神宮への参拝を目的に、多くの人が訪れていた。
その中を、1匹の子猫が駆け抜けていく。
見事なまでの真っ白な子猫。高級な皮製の首輪を身につけており、どことなく上品な印象を受ける。
ふと、その子猫は後ろから追いかけて来る男の気配に気付いた。
子猫の約5メートル後ろに、1人の男が迫っていた。
身長は175センチほどだろうか。スマートな体型で、白地にカート・コバーンの顔写真がプリントされたロングTシャツの上にグレーのニットカーディガンを羽織っている。そして下衣はブルージーンズとコンバースのオールスター(黒・キャンバス)を着用している。
ほぼ真ん中辺りで分けられたオシャレな無造作ヘアーは、うなじにかかるぐらいの長さだ。
特に彫りが深いわけではないが、男っぽい顔立ちだ。アゴにたくわえたヒゲもよく似合っている。
見た感じ、年の頃は20代半ばだろう。
子猫は、その男の様子をじっとうかがっている。
ジリジリと、イライラするほどゆっくり子猫との距離をつめる男。
残り、目測で約3.5メートル。
子猫はまだじっとこちらを見ている。
残り3メートル……2.5メートル……2メートル。
勝負は一瞬。
ちなみに言い忘れていたが、この男は今、目の前にいる子猫を捕まえようとしている。
男が一気に飛び掛かる。
しかし、子猫はこれをいとも簡単にかわし、そのまま走り出してしまった。
「くそっ」と舌打ちをして、猛ダッシュで後を追う男。
しかしその数秒後、男は勝利を確信したかのようにニヤリと笑った。
子猫が走って行った先にはベンチがある。
ベンチには、男と同世代ぐらいだと思われる、サラリーマン風の男性が座っている。
子猫は、うなだれて座っている男の右足に顔をかすめた。
男は驚きのあまり身体をびくつかせ、子猫を凝視する。子猫のほうもビックリしたのか、顔をサラリーマン風の男に向けて目を見張っている。
それと同時に、男の声で「おーい!」と叫ぶのが聞こえてきた。
見ると、カート・コバーンのロングTシャツにグレーのニットカーディガンを羽織った男が全速力で走ってくるではないか。
あの男は……。
サラリーマン風の男ははっとした。
カーディガンの男が再び叫ぶ。
「そこにいるのは、柴田俊作だなッ!?」
そう、回りくどい言い方をして申し訳なかったが、このサラリーマン風の男は柴田俊作だったのだ。前話で思わぬ罠によって会社を解雇されてしまった、あの男だ。
俊作「そういうお前は……鳴海純!」
子猫を追って来た男の名は、鳴海純。俊作とは幼い頃からの親友であり、共に青春時代をヤンチャしながら過ごした仲でもある。
ちなみに2人は、街中で偶然出くわすと十中八九、今のように、某有名マンガのワンシーンを思い起こさせるやり取りをかわす。
俊作「てゆーか…純、お前こんなとこで何してんだ!?」
純「説明は後だ! 猫だ! その子猫を一緒に捕まえてくれ!」
俊作「子猫……?」
俊作は、つい今し方自分の足に突進してきた子猫に目をやる。
子猫は、その白い毛を夕日に照らされつつも、目だけを見開き、じっと俊作を見ていた。
俊作「あいつか?」
純「そうだ! ちょっと捕まえるの手伝ってくれ!」
純は、眉間にシワを寄せ、鼻の穴がやや広がっている。
こういう時の純は相当必死である。何らかの緊急事態でも起きたか。
俊作「よし、やるか。あの猫を捕まえりゃいいんだな?」
純「おう! 助かるよ!」
白い子猫を捕獲するために急遽手を組んだ俊作と純。
早速2人は、それぞれ子猫の頭側とシッポ側に分かれ、子猫と対峙した。
頭側に回った純が、俊作にアイコンタクトをする。
“2人同時に飛び掛かるぞ”という合図だな、とシッポ側に回った俊作は解釈した。
3、2、1……。
俊作と純は、目だけを合わせながらカウントダウンをした。
――ゼロ!
二つの大きな黒い影が、子猫を挟み打ちにする。
ところがどっこい、子猫は自分から見て左の方向に飛びのいた。つまり、縦方向から攻めたが横方向へ逃げられてしまったのだ。ここは広い代々木公園。こうなる可能性は十分にある。
純「くっそぉ〜、またしても失敗か!」
俊作「しょうがねぇ、追うぞ!」
2人は慌てて子猫の後を追った。
しかし、さすがに猫は素早い。あっという間に茂みの中へ隠れてしまった。
辺りを捜すものの、一向に見つかる気配はない。
俊作「見失ったか……。てゆーかさぁ、お前どうして子猫なんか追っかけてんの?」
純「仕事だよ、仕事」
俊作「仕事? …あぁ、そーいや便利屋やってるって言ってたっけ」
純「違う! 探偵だ! 私立探偵!」
鳴海純の職業は私立探偵である。
純は四年制大学を卒業してから1年間、アメリカに留学していた。どうやらその時に探偵業をやりたいと思い立ったらしく、帰国後間もなく探偵学校へ通うと同時にアルバイトで事務所開業の資金を貯め、1年半前にようやく自身の探偵事務所を開いたのであった。
純「ウチの近所に犬山さんっていただろ? あの猫はその犬山さん家の猫なんだって。なんでも一昨日ここへ連れてきたらはぐれちまったんだと」
俊作「やれやれ……あの人の猫好きも困ったもんだな」
言いながら、俊作はあるものに注目した。
俊作「純、あれを利用してみねぇか?」
見ると、100メートル近く先にたこ焼き屋があった。
屋台では、ねじりはちまきをした中年男性がたこ焼きを焼いている。
純「たこ焼き…? そんなの使ってどうすんだよ?」
俊作「たこ焼きにはかつお節が乗っかってるだろ? その匂いで子猫を誘き出すんだよ」
純「なるほど……うまくいくかわからんが、手段を選んでるヒマはなさそうだな」
作戦決定。
俊作はたこ焼きを買いに行き、純は辺りを見回し、行き止まりを作るのに適切な場所を探した。
俊作がたこ焼きを買い終えて戻ると、純が、まるで恋人のように寄り添い、空に向かって背伸びをしている2本の大きな桜の木の間から顔を出して手招きしてきた。
純は、周りから適当に拾い集めたダンボールで高さ80センチほどのパーテーションを作り、桜の木の間にわずかな奥行きだけを設けて、あとは完全に塞いでいだ。
俊作「おぉ、これなら捕まえられそうだ」
純「それと、こんなモンが落ちてたぜ」
純が得意げに差し出したものは、なんと虫とり網だった。
俊作「何でそんなのが落ちてんだよ!」
思わず俊作が吹き出す。
純「ウケるだろ? でも、これがあればより確実に猫を捕獲できるよ」
俊作「そうだな。早いとこやっちまうか!」
2人は早速作戦に移った。パーテーションの奥にたこ焼きを置き、木の陰に隠れながら様子を見る。
待つこと約5分。
叢の奥から、白い影がヒョコヒョ近づいて来るのが見えた。
Bingo!
計算通り、犬山さんの白い子猫が、たこ焼きに使われているかつお節の匂いにつられてやって来た。
たこ焼きを目の前にして、ピタリと動きを止める子猫。完全にたこ焼きしか見えなくなっているようだ。
俊作は“チャンスは今だ!”と純に目で合図した。
純もコクリと頷き、気配を殺しつつ子猫の背後に忍び寄った。
息を呑む純。
子猫はまだ気付いていない。
息を吐くと同時に、純は虫とり網を子猫目掛けて振り下ろした。
「フギャッ!」と子猫が叫び声をあげるが、時既に遅し。
純の放った虫とり網がスッポリと子猫の全身を被っていた。
捕獲成功!
俊作と純は小さくガッツポーズを作った。
俊作「これで犬山さんも一安心だな」
純「そうだな」
網ごと子猫を抱き上げ、純も安堵の表情を浮かべる。
俊作「ところで純、その猫をどうやって犬山さん家まで連れて行くつもりだ?」
純「オレの車で連れて行くよ。近くのコインパーキングに車を停めてあるんだ」
――と、純はあることに 気付く。
純「そういや俊作、お前仕事中じゃないのか? いいのか、こんな所で油売ってて?」
俊作は、急に黙りこんでしまった。“セクハラ疑惑をかけられてクビになった”なんて言いづらい。
純「……その顔は、何かあったな?」
俊作は小さく頷いた。
純も、俊作がなかなか言いづらそうにしているのがわかったようだ。
純「…よし、じゃあ一緒に板橋まで帰るか。話は帰りの車の中でゆっくり聞こう」
そう言って純はニコリと笑った。純は笑顔が大変爽やかである。
俊作「…おう。悪いな」
俊作も笑顔で応えるが、どこか哀愁が漂っていた。
純「さぁ、帰るぞ!」
純が、俊作の肩をポンと叩いた。
〜登場人物おさらい〜
柴田 俊作(27):本編の主人公。空手使いでケンカが強く、昔はヤンチャだった。思わぬ疑惑により会社を解雇されてしまう。
鳴海 純(27):俊作の親友で、共にヤンチャな青春時代を過ごした。職業は私立探偵。アメリカに留学した経験あり。
高根 伸子(27):俊作の元同僚。美人で性格もよく、みんなから好かれている。会社では俊作と一番仲がよかったようだ。
会田 修(30):俊作の元同僚。やり手の営業マン。
羽村 佐知絵(25):俊作の元同僚。俊作からセクハラ被害を受けたと訴える。
藤堂部長(45):(株)マグナムコンピュータ営業部長。かつては俊作たちの課で指揮をとっていた。
笹倉課長(42):俊作の元上司。俊作を目の敵にし、いつも嫌がらせをしていた。
戸川 昭雄(30):戸川法律事務所の弁護士。佐知絵からセクハラ被害の相談を受けている。