57.急浮上
翌朝、午前9時。
ホットスパイス・エージェンシーに陣川調査員と、戸川の大学時代の同級生がやって来た。
俊作「お待ちしておりました。柴田と申します」
同級生は、岩殿と名乗った。おとなしそうで、小柄な男性だ。黒のナイロンジャケットを羽織り、ベージュのチノパンツを履いている。そして肩からは黒のショルダーバッグをかけている。
俊作は陣川と岩殿を応接スペース(普段はリビングである)へ案内し、ソファに着席させた。そして自分はコーヒーを淹れるためキッチンに立った。
人数分のコーヒーを淹れ、俊作が応接スペースに戻る。
俊作「せっかくの休日なのにわざわざお越しいただいてありがとうございます」
淹れたてのコーヒーを岩殿と陣川の手前に置きながら、俊作が礼を言う。
陣川「いえ、どうせボクはヒマですから」
岩殿「私もヒマだったんで」
俊作「いやいや、休みなんだからゆっくりしたかったでしょうに」
これも職業病なのか。自然と営業トークを繰り広げようとしているのが、自分でもわかった。
ようやく俊作も着席したところで、話は本題に入る。
俊作「岩殿さん、戸川弁護士とは大学時代の同級生で、しかもサークルも同じだったということですが、何のサークルに入っていらっしゃったんですか?」
岩殿「“IT研究会”という、いわばパソコンオタクの集まりです。戸川も私も4年間そこに所属してました」
俊作「戸川弁護士はどんな人だったんですか?」
岩殿「とにかく頭がよかったですね。大学在学中に司法試験に合格してましたから。卒業と同時に法律の道へ進んでました」
俊作「――ということは、新卒でいきなり弁護士として活躍されていた、と?」
岩殿「ええ。都内でもそこそこ名のある法律事務所で働いていたようです」
俊作「働いていた? 自分で事務所を設立したわけではないんですか?」
岩殿「え? 自分で? あいつ、独立してたんですか?」
俊作「…え? もしかして、ご存じではない……?」
岩殿「すいません、ここ4~5年ぐらい戸川とは連絡をとってないもんで、近況はよくわからないんです。それに、大学時代もそれほど仲がよかったわけじゃありませんでしたから。4~5年ぐらい前に弁護士事務所を辞めたって話は聞いてましたけど……」
俊作「辞めた? 何かあったんですか?」
岩殿「さぁ…詳しくはわかりませんが、なんでもある案件を“金にならない”と言って適当に対応したために依頼人と揉めたのが原因だったらしいです」
俊作「そうだったんですか。それは酷いですね。あの、失礼なこと聞くようですが、戸川弁護士って性格悪いんですか?」
岩殿「うーん……少なくともいいとは言えなかったですね。戸川って、冷たくて陰湿なところがあるんですよ。だから、私以外のサークルの連中からもちょっと距離をおかれてましたね」
俊作「なるほど。ちなみに、戸川さんと仲の良かった人っていたんですかね?」
岩殿「どうでしょう……あ、ちょっと当時の仲間に聞いてみましょうか? 今でも連絡取り合ってるヤツがいるんで」
俊作「え? いいんですか?」
岩殿「大丈夫ですよ。どうせそいつもヒマでしょうから。では、少々お待ち下さいね」
岩殿は携帯電話をチノパンツのポケットから取り出すと、通話のため玄関の方へ移動した。
約5分後、応接スペースへ戻って来た岩殿は、ショルダーバッグの中から1枚の紙を取り出し、テーブルの上に置いた。岩殿が在学中に使われていたサークルの連絡網である。昨夜、俊作から戸川との関係がわかるモノを持参するよう言われていたのでバッグの中に入れておいたのであった。
岩殿「いました。戸川と親しくしていた人間が。いやぁ、私としたことが情けない。みんな彼と距離をおいているものだとばかり……」
俊作「――で、誰なんです?」
恥ずかしそうに頭をかく岩殿を制して、俊作が尋ねる。
岩殿「あ、この人です」
岩殿は、リストのいちばん上に記載されている人物を指差した。
俊作「……え?」
俊作が岩殿と面会している頃、株式会社マグナムコンピュータ営業部では、伸子がパソコンに向かっていた。
いつもと違って、オフィスは静まり返っている。
土曜ということで、伸子の服装もいつもよりは少しだけカジュアル寄りになっている。黒のテーラードジャケットの中に白黒のボーダーカットソーを着込み、黒のプリーツスカートを合わせ、足回りを黒のパンプスでコーディネートしている。
音無商事とフェニックス・エンターテイメントに関わる社員を抽出するには、CRM(=情報システムを利用した顧客管理)を利用するのが最良といえよう。独自の社内CRMシステムがあるので、そこへアクセスする。そこから「音無商事」ないしは「フェニックス・エンターテイメント」で検索をかける。ちなみに、第30話で俊作が湊刑事に「発注書は社内の専用アプリケーションから作っている」と説明しているが、実はこのCRMシステムのことを言っていたのである。
CRMシステムは、訪問履歴のある顧客に関しては、そのやり取りが全て記録されている。担当者や商談の内容も一発でわかるようになっている。誰かが訪問していれば、ヒットするのは当然のことなのだ。
伸子は左クリックを繰り返し、音無商事とフェニックス・エンターテイメントを検索した。
伸子「えぇ……?」
調べていくうちに、伸子の顔が驚きと若干の動揺で支配されていく。
ほぼ同刻、地下3階――。
この地下3階の倉庫は、地下2階よりも薄暗い。
そんな地下3階に、一人の男が、まるで周囲の目を気にするかのように地下倉庫へとやって来た。
その男は、周囲に誰もいないことを確認すると、いちばん奥にあるガラクタの山へ一直線に走っていった。
このガラクタの山は、その名の通り、もう会社内では使う用途のない備品を業者に引き取ってもらうまでの間だけ置いておくスペースだ。
その山の隅っこに、黒い布を被せられた物体がある。
男は、その布を剥いだ。
中から現れたのは、パソコン一式だった。
本体と薄型モニター、キーボードにマウス――通常使用するモノは全て揃っている。
男はひと呼吸置くと、パソコンを持ち上げようと本体の下に手を入れた。
スーツの袖から腕時計が覗き、ライトの明かりに照らされて銀色に輝く。
――と、何者かが背後からその腕時計を掴んだ。
一瞬、男が硬直する。
その後、おそるおそる背後を振り返った。
純だった。
純「やっと見つけたぜ。あんた、総務部の前岡さんだろ?」
地下3階の照明は、はっきりとパソコンを抱えたままの前岡を照らしていた。
この男は前岡だったのだ。
純「とりあえずそいつを下ろしな」
純は、前岡に一度持ち上げたパソコンを床に下ろさせた。
純「あんただな、金の受け渡し役を任されてたのは」
前岡「か、金? 何のことだ…?」
前岡は明らかに動揺している。
純「おい、ウソをつくとためにならんぞ。羽村佐知絵から金を受け取り、大成さんと笹倉に渡そうとしてただろうが。しかも、大成さんがオレらを襲おうとした現場にもいた。ネタはあがってんだよ」
前岡「し、知らないッ!」
純は前岡の胸ぐらを掴み、思い切り睨みをきかせた。
純「だからウソつくんじゃねーっつってんだよ。そんな珍しい腕時計つけて歩いてりゃ目立つだろうが」
前岡「う……」
前岡はうなだれた。どうやら観念したようだ。
純「金の受け渡し役をやったのは、あんただな?」
前岡「……はい」
力なく、前岡が返答する。純は、掴んでいた手を離した。
純「そうか。それと、今あんたが持ち運ぼうとしたパソコン、もしかしたらそれは柴田俊作のじゃねーのか?」
前岡「……!」
純「そうなのか?」
前岡「そうです……」
純は、パソコン本体に「十文字」の落書き跡を確認した。間違いない。俊作が使っていたパソコンだ。
純「あんた、俊作のパソコンを隠したのか?」
前岡「はい」
前岡が俊作のパソコンを隠した?
どうりで伸子が地下2階の倉庫に来た時は見当たらなかったはずだ。
しかし、事前に純はそれに気づいていたようだ。何故なら……
前岡「でも、どうしてわかったんです?」
純「簡単だ。高根伸子から、既に俊作のパソコンが業者に持って行かれたって聞いたもんだから、その業者へ問い合わせたんだ。そしたらパソコンなど引き取っちゃいないって言われて、それで怪しいと思ったんだよ。昨日彼女と地下倉庫へ来たのは前岡さん、あんただったからな」
前岡「そうだったんですか……」
純「浅はかだったな。土曜日なら誰にもばれねーとでも思ったか」
前岡「……」
純「だがよぉ、一つわかんねーことがある。調べたところ、あんたは“笹倉派”じゃねぇ。それなのに、どうして今回の一件に関わってんだ?」
純は、業者への問い合わせをすると同時に、米本に依頼し、人事データベースを使って前岡の基本情報を調べておいたのだ。
前岡「それは……」
純「話してくれ、前岡さん。これには俊作の人生がかかってんだ」
前岡「……わかりました。話します」
午後4時、池袋。
バイティング・ダイバー株式会社の応接室にて、伸子は俊作立ち会いのもと、元先輩で現在はここの社長である石原と久方ぶりの対面を果たした。
上座に座る石原。
下座に座る伸子、そして立会人の俊作。今回はラフな恰好で来てくれと言われたので、ライトグレーのロングTシャツの上に黒のシングルレザーライダースジャケットを羽織り、ボトムスはビンテージジーンズ、足回りはレッドウィングのダークブラウンが渋いエンジニアブーツできめている。
伸子も石原も、やはりどこかぎこちない感じだ。
その緊張を破るかのように、伸子が口を開く。
伸子「石原さん、お久し振りです」
石原「……久し振り。来てくれてありがとう」
伸子「お元気そうで何よりです。それよりも、まさか会社を立ち上げてたなんて知りませんでしたよ」
石原「まぁ、たいして儲かってないけどね」
石原は照れながら頭をかいた。
伸子「そういえば、昔からパソコンは詳しかったですもんね。あたしもパソコンで困った時はいつも助けてもらってましたからね」
石原「そうだったね。高根さんは初めの頃、Excelがうまく使えなくて困ってたっけ」
伸子「そうでした。あの頃はいっぱい迷惑かけちゃったなぁ」
石原「いや、いいんだよ。あの頃はまだ新人だったんだから」
しばらく昔話で盛り上がる伸子と石原。少しずつ固さもとれ始めていた。
しかし、そろそろ本題を切り出さなければならない。
俊作「――ところで石原さん、今日彼女に話したいことというのは?」
石原「あぁ、そうでしたね。今日は高根さんにお話ししたいことがあるんでした」
改めて、伸子は姿勢を正した。
石原も、改めて伸子に向き直る。
石原「話す前に、まず謝らせてくれ。オレはキミの教育係としてふさわしくなかったようだ。キミに好意を持ってしまうなんて……」
伸子「いえ、そんなことはないですよ。石原さんにはお世話になりましたし、恋愛対象として見られていたこともなんとなく気づいてはいましたけど、特に不快じゃありませんでしたし」
石原「でもオレは、デートに誘うようなメールを何通も送って、キミを追いつめてしまった」
伸子「追いつめた? あたし、全然追いつめられてませんでしたよ?」
少し話が食い違っているようだ。
石原「え? だけど、メールは来てたんだよね?」
伸子「ええ。自宅のパソコンから送ってきたのは不思議でしたけど」
石原「おかしい。あの時オレが伝え聞いた話と違うぞ……」
伸子「伝え聞いた話?」
石原「ああ。好意がばれて、なおかつ誘いのメールを送りまくったせいで高根さんが気持ち悪がっている。業務にも支障をきたすから、これ以上彼女に接近しないほうがいい。彼女も距離をおき始めている――そう聞いたんだ。自分の好意がそこまで彼女を追いつめたのかと、オレは自責の念に駆られた」
伸子「じゃ、じゃあ、会社を辞めたのもそれが理由だったとか……?」
石原「そうだよ。オレにはキミを教育する資格はないと思ったし、“これ以上会社にはい辛いだろう”って言われたから……」
伸子「そんな……もったいないじゃないですか! 現にあたしは気持ち悪いなんて思ってなかったですし、距離をおいてたわけでもありません! そんなの思い違いですよ! せめてその時あたしに確認してくれれば、こんなことには……」
思わず伸子の口調も熱くなる。
石原「ごめん…あの時はああするしかないと思ってた。それは反省してる。でも、これだけは知ってて欲しい。これを伝えるために、今日柴田さんに頼んでキミをここへ連れて来てもらったんだ」
伸子「え……?」
石原「オレは、誘いのメールなんか、1通も送っちゃいない!」
伸子「……えっ!?」
伸子が、一瞬だけフリーズした。
伸子「メールを送ってない? ホントですか?」
石原「ああ、ホントだ。初めにメールを送りまくったって話を聞いた時はわけがわからなかった。しかし、自分じゃ送った覚えがないのに、キミのケータイにはオレのパソコン用メアドからメールが何通も届いてる。これじゃ認めざるを得ないだろう? それに、自分はしつこくしたつもりがなくても相手にはしつこいと受け取られる場合だってある。いずれにしてもオレは会社を去るべきだったのかもしれない」
伸子「……」
伸子が悲しそうな顔をする。
俊作「そのメールはちょっと妙ですね、石原さん」
俊作が口を挟む。
石原「柴田さんもそう思われます?」
俊作「ええ。好きな人を誘うのに、わざわざパソコンからケータイにメールするのは不自然でしょう。自分のケータイから送ればいいじゃないですか」
石原「そうなんです。私もそこは疑問だったんです」
俊作「もしかしたら、そこで気づかれたんじゃないですか? “エクストラ・マジシャン”の存在に」
石原「はい。鋭いですね。送った覚えのないメールが相手に届いてるというのが気味悪かったもんでね。それでこの会社を立ち上げ、あのソフトの撲滅に乗り出したんですよ」
俊作「なるほど。それで、ご自分のパソコンは“エクストラ・マジシャン”に侵入されてたんですか?」
石原「はい。やられてました。ですが、当時の“ハイパー・バイティング”は、侵入元までは特定できなかったので犯人の断定はできませんでした。断定はできなかったけど、なんとなくの心当たりはあります」
伸子「誰なんですか? あたしも知ってる人ですか?」
石原「ああ。キミたちのよく知ってる人物さ」
俊作「“キミたち”? …というと、私もあてはまるんですかね?」
石原「はい。そうです」
伸子「え? 誰ですか、それ?」
石原「営業部法人営業一課・会田修。彼がやったんじゃないかと思ってる」