56.ホテル潜入
午後7時20分頃。
渋谷の東急本店前で待っていた俊作と湊のもとに、純と伸子が到着した。
マグナムコンピュータの定時は午後6時。
すぐに業務を切り上げて退社するにしては遅い。
俊作「遅かったな」
伸子「ごめんね。ちょっと仕事がたまっちゃってて」
そう答える伸子の表情は、どこか含みのありそうな感じに見受けられた。
俊作「米本と藤堂さんは?」
伸子「米本くんはちょっとあがれそうにないって。部長も会議が長引いてる」
俊作「そうか。じゃあ、さっさと行くか」
純「――あ、ちょっと待ってくれ」
俊作「どうした?」
湊「今日採取した下足痕を、忘れないうちに湊さんへ渡しとかないと」
純は、かばんからA2サイズの茶封筒を取り出すと、湊に手渡した。
湊「サンキュー。鳴海、お前いい仕事するよな」
純「え? 何でですか?」
湊「昨日もらった下足痕、採取した場所と時間、誰の足跡かってトコまで明記してくれてるんだもんな。あの中から怪しい下足痕が出た場合、その人物を特定しやすい」
純「ああ、そうですねぇ」
純は、少し照れ臭くなった。
湊「今日の分もその辺きっちりやってくれてんだろうな?」
純「もちろんっす」
湊「でかした。戻ったらちゃんと調べとくよ。あと、それからな、秋池を拉致した車が見つかったぞ。連中のたまり場もつきとめた」
純「マジすか?」
湊「ああ。だが、ヤツはいなかった。隙を見て逃げ出したらしい」
純「逃げた?」
俊作「心配するな。情報屋の一部を秋池の捜索にあたらせてる」
純「そ、そうか」
湊「よし、行くぜ」
俊作たちは、「証拠写真」に写っている建物の外観と、俊作が羽村佐知絵を送って帰った時の記憶を頼りに道玄坂界隈を歩き回った。
その結果、「Call Me」という名前のホテルに辿り着いた。
しかしこのホテル、何というか、生気が感じられない。
電飾看板は点灯してはいるが薄暗い。そのうえ消えかかっており、ホコリまみれだ。
俊作「こんなホテルあったっけ…?」
純「おい、何だよここ。ちゃんと営業してるのか?」
湊「とにかく中へ入るぞ。調べてみないことには何もわからん」
湊刑事を先頭に、俊作たちはホテルの中へと入っていった。
内部も所々ホコリの塊が散見され、とても営業中のホテルとは思えない。不意に伸子が咳き込んだ。
真っ先にフロントへ向かう湊。カウンターの小窓から明かりが漏れている。どうやら人はいるようだ。
湊「すいません」
すると、中から無精髭を好き放題伸ばした年齢不詳の男が顔を覗かせた。この男が従業員だろうか。
男「何です?」
湊は警察手帳を提示した。
湊「警察の者ですが、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
男「何でしょう?」
湊は俊作に手招きをし、自分の横に立たせた。
湊「◎月▲日の夜11時半過ぎ、この男がある女性を連れてこのホテルに入ったか、あるいはホテルの前を通ったりしたのを見ませんでしたか?」
男「女性? どんな女性ですか?」
俊作「こんな女性です」
俊作は「証拠写真」を見せ、佐知絵の方を指差した。
男「……あぁ、そういえばあの夜、入口の方で男女の押し問答がありましたね。まぁ、よくある“1回だけ!”って感じのアレでしょう」
意外にも、その受け答えはあっさりしていた。この手の質問をされた場合、普通なら記憶を辿るため若干間が空いたりするものなのだが、この男にはそれがない。俊作も、純も、湊も、伸子も同じ印象を受けた。
男「もし疑わしいんだったら、防犯カメラでも見ていきますか?」
男も俊作たちが疑っているのを感じたのだろう。先手を打つかのように言った。
湊「……是非」
男は俊作たちを事務室へ招き入れた。
やはり、ここも汚い。まったく掃除をした気配がない。
従業員らしきこの男も、よく見ると薄汚れた作業着を着ており、少なくとも清潔とはいえない。
男「ちょっと古い型なんで画像は粗いですが、そこは勘弁して下さい」
男は手慣れたように奥に置いてある段ボール箱から1本のビデオテープを取り出すと、手早くビデオデッキにセットし、再生ボタンを押した。
映し出された画面の右下には、ちょうどあの夜、俊作が佐知絵を送って帰った◎月▲日の夜11時半過ぎが示されていた。
確かに古い型だ。モノクロで、画像がぼやけている。しかしそれでも、画面の奥が入口側だということだけは識別できる。カメラはエントランスホールの奥に設置されているのだろう。
再生開始から約1分。
入口の方で出入りを不規則に繰り返す男女が現れた。
サラリーマン風の男性と、OLらしき女性がホテルを出たり入ったりしているのだ。
男「あぁ、これです」
俊作たちは画面を凝視した。
よく見ると、確かに男性は俊作に、女性は佐知絵に見えなくもない。
俊作は、下唇に力を込めながら、ただ黙ってビデオを見ている。
湊「あの、このビデオ、マスターテープは保管してありますか?」
男「え、ええ、ちゃんと保管してますよ」
湊「じゃあ、このテープをお借りしても差し支えありませんね?」
男「あ、はい、どうぞ」
湊「ありがとうございます。捜査が終わり次第返しますので」
湊は、自ら停止ボタンを押し、テープをデッキから取り出すと勢いよく事務室を飛び出た。
俊作「湊さん!」
慌てて俊作も後を追う。
事務室を出た湊は、何故か周囲をきょろきょろと見回していた。
俊作「湊さん? どうしたんすか?」
湊「……いや、何でもねぇ。帰るぞ」
ホテル「Call Me」を出て、合流地点だった東急本店まで戻って来た俊作たち。
俊作「思いっきり怪しかったな、あのホテル。だいたい、オレ自身あんな所にラブホがあったなんて気づかなかったし」
伸子「うん。あれじゃお客さん来ないよね……」
俊作「もう一度調べる必要がありそうだ。ちゃんと営業してるのかも怪しいし」
湊「同感だ。オレが思うに、あそこはたぶん営業してねーぜ」
純「え? 何でそんなことが言えるんすか?」
湊「まずはありえねーぐれーにホコリだらけだったこと。これはみんなも気づいたよな?」
俊作たちは黙って頷いた。
湊「それと、出てくる時エントランスホールを見渡してみたけど防犯カメラが見当たらなかった。さっき見たビデオはエントランスホールを映したモノであるはずなのに、撮影する媒体のビデオカメラがないってのはおかしいだろ?」
伸子「確かに…!」
純「じゃあ――」
続きを促すかのように、純は俊作を見遣る。
俊作「まさか、証拠を偽装した……?」
湊「たぶんな」
伸子「え? どういうこと?」
湊「あの写真は、柴田が羽村って女をあのホテルに連れ込もうとした写真だ。しかし柴田は羽村を連れ込もうとしちゃいねぇ。事の真偽を確かめるためにはあのホテルに行くのが当然の流れだろ? ところがそのホテルがやってなけりゃウソが一発でばれる。そこで敵さんはいかにもホテルが営業してるかのように装ったのさ」
伸子「そんな……。何でわざわざ営業してないホテルを使う必要があるんですか?」
湊「そこはオレもわからん。もしかしたら営業してないのを知らなかったのかもな」
純「そうだとしたら、ヤツらも相当な間抜けですよ」
湊「ああ。その通りだ。そもそも証拠を偽装すること自体浅知恵だがな」
純「そうですね」
純は苦笑いした。
湊「よし。ホテルの営業云々についてはオレが公安に問い合わせて確かめてみる。お前らはお前らのやるべきことをやるんだ」
俊作「はい。何かあったら連絡くださいね」
俊作、純、そして伸子の3人は湊と別れ、帰途につくため近くのコインパーキングへ向かった。
純と伸子は、終業後ハワイアン・クリーンの社用車で道玄坂まで来ていたのだ。
駐車料金を支払い、まずは伸子の自宅がある中野へ向かう。
走り出した車の中で、伸子が突然口を開く。
伸子「柴ちゃん、今日は遅くなってごめんね」
俊作「な、何だよ急に。別にオレは気にしてないぞ」
伸子「…実はね、会田さんに、食事に誘われてたの」
俊作「……え?」
伸子「柴ちゃんが会社からいなくなって、あたしが笹倉課長に嫌がらせを受けるようになったからって、あの人気にかけてくれてたみたいで。それで、あたしを元気づけようとして……」
俊作「そうだったのか…」
伸子「でも、あたしは平気だよ。柴ちゃんはしっかり前を向いて闘ってるし」
俊作「オレがこれくらいで潰れるわけねーじゃん。売られたケンカは買ってやるぜ」
伸子「ふふふ。柴ちゃん、男らしい~!」
伸子が突然おどけたように俊作の背中をバシバシ叩く。
俊作「いっ、いてっ! 何すんだよ!」
純「ふっ、ずいぶん仲がいいんだな、お前ら」
純は、そのやりとりを聞きながら、くわえタバコのままハンドルを握っていた。
俊作「――そうだ、昨日頼んだ音無商事とフェニックス・エンターテイメントの件はどうなった?」
伸子「あ、ごめん、今日は見積と会議資料を作りまくってたからやる時間なくて。明日は土曜だけど、休日出勤してやろうかなって思ってる」
俊作「いいのか?」
伸子「全然大丈夫よ、部長の許可ならとってあるから。土曜ならゆっくり作業できるじゃない? それに、夕方から石原さんとも会う用事があるし」
俊作「すまん。頼む」
伸子「いいのよ! ここまできたら犯人の正体を暴いてやるわ!」
やがて車は伸子の自宅前に到着した。
伸子「じゃあね、お疲れ! 気をつけてね!」
伸子は、さっぱりとした、気持ちの良い笑顔を浮かべながら手を振った。
俊作「おう。お疲れ」
俊作たちは伸子の住む中野を後にした。
俊作と純だけになった車内。
純は、また新しいタバコに火をつけた。
純「あの会田って人、のぶちゃんをメシに誘ったのは今日だけじゃねーんだ」
俊作「え?」
純「一昨日も誘われたらしい。清掃スタッフからの情報だ」
俊作「そうなの?」
純「あの人、のぶちゃんに気でもあるのかい?」
俊作「さぁ」
純「“さぁ”? 何か心当たりとかは?」
俊作「心当たりって言われてもなぁ……ちょくちょく朝礼直後に給湯室前で立ち話をしてるのを見るぐらいかな」
純「立ち話?」
俊作「ああ。のぶちゃんは朝礼が終わったらコーヒーを淹れに行くのが習慣だし、会田さんはまず喫煙室で一服してからトイレへ行くのが習慣みたいだからな。だけど、会田さんがのぶちゃんをメシに誘ったりすることはなかったぞ?」
純「そうか。でもお前よく見てるな」
俊作「伊達に5年間営業やってねーよ」
純「確かに会田さんは朝礼終了後、高確率でトイレに来る」
俊作「知ってたの?」
純「昨日今日と、男子トイレで下足痕とってたからな」
俊作「あぁ、そうか」
純「――あ!」
突然、純が大声を出す。
俊作「な、何だ!?」
純「じゃあ、こないだ会議室でのぶちゃんが笹倉に襲われた時、会田って人はどうやってそれに気づいたんだ?」
俊作「どうやって…って、会田さんが外回りに行く途中で会議室からの物音を聞きつけたからじゃなかったのか?」
純「あれは朝礼が終わってすぐに起きた。のぶちゃんが笹倉に連れて行かれるところを会田さんが見てたら気づけそうだが、その時会田さんは喫煙室でタバコを吸ってたはずだ。つまりタイミング的に無理なんだ!」
俊作「何だって?」
純「うーん…今回の事件と関係があるかどうかはわかんねーけど、なんか気になる」
俊作「オレも、なんとなく気にはなってた。外回りに行こうとしてる状態であったのなら、あの人は1階にいるはず。会議室は2階だ。あの場所から1階まで会議室内の物音が聞こえてくるってのは考えにくい」
純「一応、検証してみるか。どうせオレも明日は会社へ行くつもりだったし」
その時だ。
俊作の携帯電話が鳴る。
戸川弁護士の調査にあたらせていた「二番隊」の陣川という男性の調査員から電話がかかってきたのだ。
俊作「もしもし柴田です」
陣川『あ、お疲れ様です、陣川です』
俊作「お疲れ様です。何かありましたか?」
陣川『あの、今、戸川弁護士と同じ大学の同級生だったという方と一緒にいます』
俊作「え? ホントですか?」
陣川『ええ。しかも同じサークルに所属してたそうですよ。どうしますか?』
俊作「じゃあ、ちょっとお話を伺いたいので、明日の午前9時にホット・スパイス・エージェンシーまで連れて来てもらってもいいですか?」
陣川『わかりました。ちょっと聞いてみますのでしばらくお待ちください』
暫し間が空く。陣川が戸川の同級生にも同意を得ているのだ。
陣川『…お待たせしました。構わないそうなので、明日午前9時に同級生の方とそちらの事務所へ参ります』
俊作「ありがとうございます! あ、その際ですね、同級生だってわかるモノを持参するよう伝えてもらえますか?」
陣川『わかりました。伝えておきます』
電話を切った後で、純が話しかける。
純「どうした?」
俊作「情報屋が、戸川の大学時代の同級生を連れて明日の9時に事務所まで来てくれるってさ」
純「マジか?」
俊作「ああ。これで、戸川の身元が少しはわかりそうだぜ」
純「そうだな。でも、オレはその頃会社へ行ってるぜ。まぁ、スペアキーを貸すよ。その代わり、事務所は自宅と兼用だから、寝室だけは勝手に入るなよ!」
俊作「わかった。ありがとうな」




