52.激走キャットストリート!
午後7時50分、渋谷・美竹公園。
昼間にこの場所で顔を合わせた俊作と純は、再び同じ場所に来ていた。
昼間と違う点は、2人ともヒップホップのダンサー風な格好に変装していることである。
この1時間半ほど前に、創お抱えの情報屋から連絡があり、笹倉の自宅アパート付近にあるゴミ捨て場から、「●月☓日 20時 美竹公園」と書かれたメモが発見されたとのことだった。このことから、笹倉は8時に何者かと会うためにこの美竹公園へやって来る可能性が極めて高くなる。俊作と純が美竹公園にいたのは、そういった理由からだった。
俊作「…しかし、笹倉の野郎も不用心だな。そんなメモを裁断もせずに捨てるとは」
純「まったくだ。ところで俊作、道玄坂と歌舞伎町の調査はどうだった?」
俊作「道玄坂のほうは成果なしだったが、“サム”ってヤツに関する情報なら手に入った。フェアリー・ナイトでな」
純「ホントか?」
俊作「本名はわからなかったんだけど、有名企業に勤めるサラリーマンらしい。それ以外にも副業をやってるおかげでかなり金は持ってるって話だ」
純「よく聞き出せたな。“サム”は羽村と2人で話しこんでたんじゃなかったんか?」
俊作「基本的にはそうだったらしいんだけど、ヘルプがつく分には問題なかったみたいだな。羽村以外の子にも気さくに接してたって」
純「へぇ……」
俊作「なんでも、そいつは博学で話題が豊富だったんだと。パソコン関係と法律関係の話題が多かったらしい」
純「パソコン関係に詳しいと女から頼られやすくなるもんだよな。だけど、法律の話題が多いってのはどういうことだ?」
俊作「親友に弁護士がいるとかなんとか言ってたな」
純「おいおい、まさか、あの戸川弁護士じゃねーだろうな」
俊作「オレもそれ聞いてヤツの顔がパッと浮かんだよ。ちょっと、戸川の交友関係を調べてみる必要がありそうだな。その中に“サム”って付く人間がいたら――」
言いかけて、俊作は口をつぐんだ。
美竹公園に、あの「腕時計の男」が現れたのだ。
前に見た時と違い、今回は目元も肉眼で確認することができる。
切れ長で、とっつきにくい感じの目だ。帽子を深く被れば簡単に隠れてしまうだろう。
純「ん…?」
その男の顔を見て、純がやや前方へ身を乗り出す。
俊作「どうした?」
純「あいつ…なんか見覚えがあるぞ」
俊作「え?」
純「だけど、どこで見たかが思い出せねーんだよなぁ……」
純が腕時計の男をちゃんと見るのはこれが初めてのはずである。
そして、8時を30秒ほど過ぎた辺りで笹倉がやって来た。
腕時計の男と二言三言会話すると、2人はさっさと公園から出て行ってしまった。公園内には二十歳前後の若者が多数いる。おそらく、人気のない場所へ移動するのだろう。俊作と純はすぐに笹倉たちの後を追った。
笹倉と腕時計の男は、原宿の方向へ歩いて行った。少し歩くと閑静な住宅街が広がり、一気に人の気配がしなくなる。
やがて笹倉たちは近くにあった駐車場に入り、奥に停めてあった自動車の陰に隠れるようにして向かい合った。俊作と純は、道路側に停めてあった自動車の陰に隠れた。そして、iPOD型の高性能カメラをセットする。
腕時計の男「ここなら大丈夫でしょう」
笹倉「約束通り持って来たんだろうな」
腕時計の男「心配せんでくださいよ。ちゃんと持って来ましたから」
笹倉「早くしてくれ。これから吉原で豪遊してくるんだからよ」
腕時計の男「へいへい。わかりましたよ」
腕時計の男は、懐から小さな茶封筒を取り出し、笹倉に手渡した。すかさず中を覗き込む笹倉。
笹倉「おおお~、ずいぶんと色つけてくれたな」
腕時計の男「吉原で遊ぶには十分な金額だと思いますぜ」
笹倉「ふへへへ、悪いな! イヤなヤツを会社から追い出して金がもらえるなんて、こんなウマい話があるなんて思わなかったぜ!」
そこで、物陰から俊作と純が笹倉と腕時計の男に向かって、2人の退路を断つかのように走り寄る。
俊作「悪いが、てめーの行き先は刑務所だぜ」
笹倉は、まるで電気ショックを受けたかのように体をびくつかせ、同時に素早く背後を振り返る。
笹倉「し…柴田!」
これでもかというぐらい目を見開き、ビジー状態に陥ったパソコンのようにフリーズしている笹倉。
俊作「どういうことだ? オレを会社から追い出して金をもらうなんてよ。やっぱりセクハラ行為なんてのはデタラメだったってわけか」
純「だいたいよぉ、俊作がセクハラなんてするばずがねーんだよ。普通に考えて不自然だろ、今回の事件は」
笹倉「ぐぅ……」
俊作「きっちり事情は話してもらうぜ。オレたちに黙秘権は通じねーからな」
笹倉に目だけで殺気を放ちながら、俊作はじりじりと距離を詰める。その笹倉は、俊作の眼光にすっかり恐れをなしているようだった。思い切り顔が引きつっている。
俊作「――!」
と、俊作が突然足を止めた。
背中に、無数の殺気が突き立てられている。
振り返ると、十数人の不良少年が駐車場を取り囲んでいた。
不良A「柴田…だな?」
俊作「……ロック・ボトムのヤツらか?」
不良B「困るんだよなぁ、オレらの邪魔されちゃあ」
不良少年たちは、全員が拳にメリケンサックを装備している。
殺る気だ。言葉に出さなくとも連中の態度がそう言っている。
一瞬にして緊張が高まる。
その緊張を破るように、腕時計の男が俊作に殴りかかった。
俊作「むっ!」
紙一重でそれをダッキングでかわす。
不良A「いくぞ!」
駐車場を取り囲んでいたロック・ボトムの連中が一斉に遅いかかってきた。
俊作は、そのどさくさに紛れて逃げ出そうとする笹倉と腕時計の男を見逃さなかった。
俊作「純ッ! わかってるな!」
純「おう!」
とりあえず今は追跡経路を確保するため、相手を倒さずに攻撃を回避するだけに留める作戦だ。今、俊作と純は一瞬でそれを確認し合った。
なんとかメリケンサックの雨あられをくぐり抜けて道路へ出ると、笹倉と腕時計の男がキャットストリートの方向へ走り去っていくのが見えた。
既に数十メートルは離されただろうか。
位置関係でいうと、笹倉のほうが先を走っている。意外と逃げ足の速い男である。
純「意外と速えーじゃねーか、あのハゲ!」
俊作「関係ねぇ! とっ捕まえて洗いざらい全部吐かせてやんよ!」
俊作と純は懸命に笹倉たちを追って、キャットストリートをものすごい勢いで駆け抜けていった。
後ろからは先程の不良どもが追って来る。みんな、口々に「待ちやがれ!」と怒号を発している。
純「うるせーガキどもだ。近所迷惑って考えたことないのかね」
俊作「後で説教してやんねーとな。大人として」
すると、腕時計の男だけが突然目の前に差し掛かった丁字路を左折した。追手を撹乱するためか。
純「ここはオレが行く!」
俊作「任せた!」
純は腕時計の男を追って路地を左に折れて行った。
引き続き笹倉を追う俊作。笹倉がちょくちょく後ろを振り返るようになった。それと同時に距離がこれまで以上に縮まり始めている。笹倉のスタミナが尽きてきたのだろう。
しめた。
俊作は思った。
しかし、その時だった。
笹倉が十字路に差し掛かる。
突然、俊作から見て左の方向から黒くて大きな影が大砲並みに勢いよく飛び出してきた。
次の瞬間、その影は笹倉を思い切りはね飛ばした。
空中でひっくり返った笹倉の体は、そのまま地面に叩きつけられた。
自動車だ。
俊作が、笹倉をはね飛ばしたのが自動車だと識別したのは既にそれが走り去る時だった。
しかも、あの車には見覚えがある。
秋池を拉致した時に使われた車だ。
ちなみに俊作を追って来た不良どもは、笹倉がはねられたのを目の当たりにすると、急に怖くなったのか一目散にどこかへ逃げて行ってしまった。
俊作「ちっ、何てことだ!」
ようやく笹倉に追いついた俊作は、笹倉の状態を確認した。だが、救急車を呼ばなければならないことは一目瞭然だった。
携帯電話で119番通報を終えた頃、車が走って来たのと同じ方向から純が走って来た。
純「俊作!」
俊作「純! 笹倉が……!」
路上に転がりぐったりしている笹倉を見て、思わず純は足を止めた。
純「What happened? これはいったい…」
俊作「笹倉がはねられた。はねたのは、秋池を拉致したのと同じ車だ」
純「そうか、やっぱり!」
俊作「やっぱり? どういうことだ?」
純「オレがあの腕時計の男を追って行った時、ヤツの先に見覚えのある黒い車が停まってたんだ。その車は腕時計の男を乗せると、オレが今来た道をすげースピードで走り去って行ったんだよ」
俊作「そうだったのか……」
そう言って、俊作は何気なく純が走って来た道を見回していた。
すると、彼はあることに気づく。
俊作「あれ、見てみろよ」
俊作は、背後に設置されている道路標識を指差した。
「一方通行」を示す標識だ。
矢印は、黒い自動車が走り去って行った方向とは逆を向いている。
純「……おい、これってまさか、一方通行を逆走してきたってことか!?」
俊作「そういうことになるな」
純「…気づかなかった」
俊作「一方通行を逆走してまで笹倉をはねたってことは、故意的だったかもしんねぇ」
純「わざとだってのか?」
俊作「ああ。しかも浅はかな作戦だってのが見え見えだぜ。おそらく、オレらにある程度手の内を暴かれたのを知って慌てたんだろう。普通は交通違反なんて致命的なミスはしねーはずだ。それを踏まえて考えると、こいつは黒幕じゃねーってことになるよな」
純「ん…? そうだな。他に今回の事件を企んだ人間がいて、笹倉は口封じのためにこんな目に遭ったってわけか。でも、誰に計画を練る動機が存在するんだ? 黒野や戸川弁護士はもともと関わりが薄いし、羽村にしたって前からお前を嫌ってたわけじゃなかったんだろ?」
俊作「ああ、たぶんな」
純の眉間に、だんだんとシワが集まっていく。
純「うぅぅーん…………わかんねーなぁ…。心当たりのある人物には動機が見当たらねーし」
純は乱暴に髪の毛を掻きむしった。そして、その場をふらふらと行ったり来たりした後、タバコに火をつけて「ヤンキー座り」の姿勢でしゃがみ込んだ。
しばし沈黙した後、俊作が口を開く。
俊作「……皮肉なもんだ。笹倉はもう救いようがねぇ。散々部下をいじめるばかりか悪事にまで手を染めたからこうなるんだ。因果応報ってヤツだな、まさに」
純「……」
純は黙って俊作の話を聞いている。
俊作「だけどよ、笹倉がこんな状態になっちまった今、事件の鍵を握るキーワードは“秋池”と“サム”、そしてお前が調べてる“下足痕”だ。羽村が持ってる写真も重要な手掛かりになるだろうよ。戸川の野郎もまだ調べる余地がありそうだしな」
純「……!」
俊作「まだまだ行き詰まっちゃいねーぜ。落ち着いて考えてみろよ、純!」
純は、無言のままで微笑んだ。
やはり、俊作は頼りになる男だ。こいつを探偵業に誘ってよかった。純は心からそう思った。十代の頃から、何らかのトラブルに巻き込まれた時も俊作がいれば解決できないモノはなかった。そして、標識一つでこれだけの推論を組み立ててしまうほどの鋭い勘。サラリーマンよりこっちの方が向いているのではないかとさえ感じた。
純「ひとまずこのことをロッキーとその情報屋たちに連絡しとこうか。まだあの車を探してくれてる情報屋もいるわけだし」
俊作「そうだな」
純が一通り連絡を済ました頃、遠くからサイレンの音が鳴り響いてきた。
どうやら救急車が近くまで来ているようだ。
俊作「…しかし、複雑な気分だぜ。何でこんなヤツのために救急車なんか呼ばなきゃなんねーんだよ」
純「しょうがねぇ。見殺しにするわけにはいかねーだろう。意識が戻ったら事情聴取もできるしな」
俊作「それはわかってるけど…。でもよ、逆の立場だったらどうだ? オレ、ぜってー笹倉に見殺しにされてるぜ?」
純「ふっ、そうかもな。だけど、これでこいつも今までのこと深く反省するだろう」
俊作「……だといいがな」
それから数分後、救急車が到着し、笹倉が車内に運び込まれていく。救急隊員から同行を求められ、しぶしぶそれに応じる俊作と純。
俊作「あくまでその時の状況を説明するだけですよ。それが終わったらさっさと帰りますから」
病院に到着するまでの間、俊作はしきりにそう繰り返した。よほど笹倉に付き添うのがイヤだったのだろう。
病院到着後、まずは緊急手術が行われた。手術終了後、担当の医者に事件発生当時の状況を簡潔に説明すると、本当にそれだけで帰ってしまった。
ちなみに笹倉は、とりあえず一命は取り留めたとのことだった。しかし、「あくまでも一命を取り留めただけにすぎないので、今後身体のどこかに障害が残るかもしれない」と担当医は話していた。




