51.限りなく線に近い点
社長「全ては、父親であるこの私の責任です……」
警視庁神宮前警察署の取調室で、笹倉課長の父親である株式会社SETの笹倉社長は目にうっすらと涙を浮かべながら湊刑事の聴取に応じた。
湊「責任…とは?」
社長「昔から夫婦揃って仕事仕事で、あの子に構ってやれなかったんです。そのせいで息子は常識知らずの人間に育ってしまい……。つき合う人間も素性のよろしくない連中ばかりで、近所の評判も悪くなる一方でした。それでも、幼なじみだったマグナムコンピュータの社長のおかげで仕事がなくなることはなかったし、息子の就職まで面倒見てもらえました」
湊「…でも、最近は経営状態があまりよくなかったようですね」
社長「ええ。いくら友達が手助けしてくれたとしても、やはり不況には勝てなかったんです。私は看板を下ろそうと考えていました。しかし、そこへ突然息子が現れたんです。弁護士と不良のような男を連れて」
湊「弁護士と不良…?」
社長「弁護士は戸川と名乗っていました。なんでも、息子が離婚する際お世話になった方だという話です。不良のような男は黒野という名前でした。彼は戸川弁護士に面倒を見てもらっているとのことでした」
黒野はSETの従業員だった。これで明らかになった。
湊「息子さんは、何故その2人を連れて来たんですか?」
社長「黒野をウチで働かせてやってほしいことと、面白い商品を手に入れたからウチで売り出したいという理由です」
湊「面白い商品? 何ですそれは?」
社長「詳しくは教えてもらえなかったんですが、どうやらセキュリティーソフトの一種だそうです。珍しく息子に頼みこまれましてね。“戸川さんの頼みを聞いてやってくれ”と」
湊「戸川さんの頼み…ですか?」
社長「やはりお世話になった方だからなんでしょう。そのソフトも戸川さんから紹介されたようでしたし」
湊「紹介されたということは、息子さんが自ら作ったソフトではないんですね?」
社長「はい。息子はパソコン関係に興味はあってもプログラミングなどの知識はないですから」
湊「……」
SETは、どうやら販売ルートとして利用されただけのようだ。
社長「しかし、こうやって警察の方々が来られたということは、あのソフトが違法なものだったということですよね?」
社長が、恐る恐る尋ねる。
湊「……はい。あれはセキュリティーソフトなんかじゃありません。実際はその逆で、他人のパソコンに侵入して個人情報を抜き出したりその人のパソコンを遠隔操作することができるソフトです」
社長「…そ……そうだったんですか……」
言葉と共に、社長の体から気力が抜けていったようだった。
正午過ぎ、渋谷に到着した俊作は、まず伸子に会うため彼女を美竹公園に呼び出した。
美竹公園は、宮下公園の近くにある比較的小さな公園で、隣には児童会館が建てられている。アクセスとしては、東京メトロ(JRではないので注意!)渋谷駅13番出口から地上に出るとすぐ右手に見えてくるのでわかりやすいだろう。
二十歳前後の学生に扮した俊作は、やや速足で公園に到着した伸子に気づいてはいたが、あまり目立った行動をとるわけにはいかないので、向こうが気づいてくれるまでじっとしているしかなかった。
30秒ほど経過した頃、ようやく俊作と伸子の目が合った。
ホッとしたような顔で、伸子は俊作に歩み寄った。
俊作「すまねーな、わざわざ来てもらって」
伸子「ううん、いいよ。でもあんまり時間がないから手短にお願いね」
俊作「わかった」
そう言って、俊作は伸子にもっと近寄るよう手招きをした。声を大にして話せないためである。伸子がその美形な顔を近づけると、俊作は口を開いた。
俊作「石原さんって覚えてるか? 昔、ウチの総務部でのぶちゃんの教育係をしてた人だ」
伸子「石原さん!?」
今まで忘れていた名前だったのだろう。伸子の目が驚きで大きく見開いた。
伸子「も、もちろん覚えてるよ! どうしてあの人が出てくるの?」
俊作「石原さんは今、池袋で会社を興してエクストラ・マジシャンの対策用ソフトを開発してる。さっき本人に会って、最新バージョンをもらって来た」
伸子「へぇ~、そうだったの。でも、それとあたしがここに呼ばれたのとどう関係があるわけ?」
俊作「一つ、条件を出されたんだ」
伸子「条件?」
俊作「のぶちゃんを石原さんに会わせること。話したいことがあるんだってさ。それが、対策用ソフトをもらう条件だったんだよ」
伸子「話したいこと? あたしに?」
俊作「うん。どうも、石原さんが会社を辞めた経緯と関係がありそうだったよ。総務にいた頃あの人と何かあったの?」
伸子「何かって……何度かお誘いのパソコンメールをもらったぐらいだったよ。でも、その頃あたしは彼氏がいたから断った」
俊作「…それだけ?」
伸子「うん、それだけ。まぁ、メールの内容がちょっとナルシストっぽかったのがイヤだったかな」
俊作「ナルシストっぽい……」
伸子「そうなの。こっちが恥ずかしくなるようなセリフがちょこちょこ織り交ぜられてたわ。それで、あたしが誘いを断ってすぐに石原さんは会社を辞めていったの」
俊作「ふーん…。石原さんはどうやってのぶちゃんのパソコンのメアドを知ったの?」
伸子「総務部で行った旅行の画像を送ってもらう時に教えたの。石原さんは、メールの内容はさておき先輩としてはいい人よ。別にあのメールだって全然気にしてないし」
俊作「じゃあ…石原さんに会ってくれる?」
伸子「いいよ。てゆーか、石原さんもあたしに会いたいなら直接連絡くれたらいいのに」
俊作「自分からは連絡しづらいみたいだよ」
伸子「でも、今更あたしに何を話したいのかな?」
俊作「それはオレにもわからん。告白とか?」
伸子「えぇ~……そうなのかな?」
俊作「いや、オレはわかんねーよ?」
伸子「……柴ちゃん、念のためついてきてくれない?」
俊作「…わかったよ。オレが石原さんと連絡とるから、日時が決まったらすぐ連絡するよ」
伸子「ごめん、お願いね!」
伸子は申し訳なさそうに、顔の前で両方の掌を合わせながら言った。
伸子「じゃあ、そろそろ行くね。お昼も食べないといけないから」
俊作「おう。食い過ぎて午後居眠りすんなよ」
伸子「あはは。そんなことしないよぉ~」
ニコリと微笑み、小さく手を振りながら伸子は会社へ戻って行った。
5分後、入れ違いに純が公園へやって来た。
俊作「手に入れたぜ、エクストラ・マジシャンの対策用ソフト」
そう言って、俊作は石原社長から受け取ったUSBメモリを差し出した。
純「USBメモリか。CD-Rじゃないんだな」
俊作「ああ。だけどこれ一つで5台までソフトをインストールできるんだってよ」
純「5台か…。今のところ乗っ取られたパソコンは、お前のと藤堂さん、そして米本さんのだったな。これ一つでどうにかできそうだ」
俊作「藤堂さんと米本のヤツは問題なくいけると思うけど、オレのは急がないと処分されちまうかもしんねぇ。システム部か総務部の人間を口説くなりしてうまくやってくれ」
純「わかった。お前はこれからどうするんだ?」
俊作「湊さんの所へ行く。裏付け捜査で対策ソフトを使うだろうからな。その後は夜まで道玄坂と歌舞伎町を中心に聞き込みでもやろうと思ってる。羽村が酔っ払ってなかったって目撃証言と“サム”ってキャバクラの客についての情報が聞けるかもしれん」
純「そうか。気をつけろよ。それと、夜は笹倉の尾行だからな。忘れんなよ」
俊作「午後8時だろ? 大丈夫だよ。お前の方こそ、新田さんとは接触できたのか?」
純「おう。ばっちりよ」
純は、新田へのヒアリング結果を報告した。
俊作「離婚だって? あのハゲ結婚してたことがあったのか?」
これには俊作も驚いた様子だった。
純「ビックリだろ? オレも信じられなかったよ」
俊作「結婚には向いてねーだろ、あれは」
純「現に離婚してるしな。しかも引き金になった原因はキャバクラだ」
俊作「結構前から通ってて、来店の度に羽村を指名してた……ってことは、笹倉は羽村に入れ込んでた可能性が高いな」
純「オレもそう思う」
俊作「ところで、例の“証拠写真”は手に入りそうか?」
純「難しいな。この後道玄坂へ聞き込みしに行くんだったら、あの辺のラブホを片っ端からあたったほうが早いかもしれないぞ。あの夜羽村を送って行ったルートは覚えてるんだろ?」
俊作「だけど、ラブホに聞き込んでどうするんだ? たいがいラブホのフロントなんて顔が見えねーぞ?」
純「……そうか。じゃあ意味がないな」
俊作「聞き込みをするなら、通行人にやったほうがいいだろう」
純「そうだよなぁ……。結局はオレが写真を手に入れるしかないか」
俊作「そうだな」
純「よし。入手できたら連絡する」
俊作「頼んだぞ。じゃあ――」
純「あ、待った」
俊作「?」
純「ついでにこれを湊さんの所へ持っていってくれるか?」
純は、唐突にA2サイズの茶封筒を俊作に手渡した。しかも一つだけではない。10束ほどの封筒が輪ゴムで一まとめになっている。
俊作「これは?」
純「今まで集めた下足痕だよ。ロッキーに急遽特殊カーボン紙を用意してもらって、会社にある全部の男子トイレで採取した」
俊作「おぉ! やるな!」
純「結構大変だったんだぜ? できれば変わってほしいよ」
俊作「そうだよなぁ~……まぁ、引き続き頼むぜ」
純「お前交替する気ねーな」
俊作「ははは。じゃ、これ湊さんに届けとくわ」
純と別れた俊作は、その足で湊刑事のいる神宮前警察署へ向かった。
道中、竹下通りの100円ショップで茶封筒を入れる紙袋を探しながら、メールで湊にこれから渡したいモノがあるので会いに行く旨を伝えておいた。
その後で石原社長に電話をし、2日後である土曜日の午後4時に伸子を連れて行くことを約束した。
神宮前署に到着するなり、俊作は会議室へと通された。湊の指示である。
数分後、湊がせわしなさそうに入って来た。おそらく走って来たのだろう。
湊「おう柴田、待たせたな」
俊作「刑事って仕事は忙しそうですね、湊さん」
湊「何を言うか。市民の安全を守るのが警察の仕事だ。泣き言は言ってらんねーの」
俊作「そうでした。あはは。すいません」
湊「…そんで、渡したいモノって何だ?」
俊作「エクストラ・マジシャンの対策用ソフトです」
湊「おぉ、そうか! もらってきたのか!」
俊作「はい。ちょうど最新バージョンを作ってたところでした」
湊「でかした! これで裏付け捜査ができるぜ。よし、礼と言っちゃあアレだけど、こっちもこれまでにわかったことを教えてやるよ。メモの用意をしな」
俊作は、バッグから素早く手帳を取り出した。
湊「今朝、SETに踏み込んで、社長を参考人として引っ張って来た。今取調室にいる」
俊作「笹倉の親父さんですね?」
湊「ああ。彼の供述から、黒野がSETの従業員だったこと、SETはエクストラ・マジシャンの販売ルートとして利用されただけだったことがわかった」
俊作「黒野がSETの…?」
湊「戸川って弁護士の紹介らしい。笹倉も戸川には世話になってるから断れなかったんだろう」
俊作「離婚のことですか?」
湊「知ってたのか?」
俊作「さっき純に聞きましたよ」
湊「そうだったのか。さすが鳴海だな…。それと、エクストラ・マジシャンは戸川が笹倉に紹介したモノみたいだぞ」
俊作「戸川が……。しかし、これで笹倉と戸川と黒野が一応は繋がりましたね」
湊「あとは、ソフトの製作者と共犯をつきとめるだけだな」
俊作「はい。だんだんと敵の全貌が掴めてきましたね。今の話だと、戸川が製作者について何か知っているかもしれない」
湊「おう。早えーとこヤツらを引っ張って来て詳しく聞き出さねーと。あ、それからな、前にエクストラ・マジシャン絡みで逮捕したヤツらから最低限の聴取が済んだから、特別に参考情報として教えてやるよ。…といっても、まだ聴取は継続中だから絶対ばらすなよ」
俊作「大丈夫です。ばらしません」
湊はしばらく俊作の目をじっと見据えた。
湊「…よし。じゃあ言うぞ。まず、一人暮らしの女性を暴行した事件からいこう。被疑者の名前は石上三年。千葉県市川市在住。年齢は32歳。職業は大手商社勤務の会社員だ」
すらすらとペンを走らせる俊作。
湊「次はクラッキングした犯人な。名前は桶田吹男。東京都大田区在住。こちらも32歳。テレビ制作会社勤務。購入先を吐いたのはこいつだ」
俊作「…ったく、いい歳こいて何やってんだか」
湊「まったくだ。じゃ、最後に女につきまとったヤツな。名前は壁井昭二。埼玉県川口市在住。年齢は29歳。広告代理店勤務」
その瞬間、俊作の手がピタリと止まった。
俊作「壁井……昭二?」
湊「む…知ってるのか?」
俊作「壁井って人、オレが担当してた会社の担当者ですよ」
湊「え? ホントか? 何て会社だ?」
俊作「白鷺堂って広告会社です。オレが行った時は必ず壁井さんが応対してくれました。しかし、まさかあの人がエクストラ・マジシャンを使ってたなんて……」
俊作は、湊の告げた真実を受け入れることができなかった。今まで良好な関係を築いてきたのだから無理もない。
俊作「湊さん、壁井さんたちはどうやってエクストラ・マジシャンのことを知ったんですか?」
俊作の語調も興奮気味になる。
湊「すまん。それはまだ聞き出せてないんだ。これから何とかして吐かせるから、それまで待っててくれ」
俊作「…そうですか、わかりました」
熱が、急激に冷めた。
湊「わかり次第すぐに連絡するから心配するな」
俊作「――じゃあ、一応、他の2人の勤務先も教えてもらえます? もしかしたら3人ともオレの会社の客先に関係してるかもしれないし」
湊「そうか。それもそうだな。…えーと、まず石上が音無商事で、桶田はフェニックス・エンターテイメントだったな。心当たりあるか?」
俊作「いや…ないっすね。一応マグナム・コンピュータのほうでもあたってみますよ。笹倉派の誰かが関わってるかもしれませんから」
湊「そうだな。頼んだ」
俊作「あ、それと、湊さんに渡さなきゃいけないモノがあるんですよ」
俊作は、先程100円ショップで購入した紙袋を差し出した。
湊「何だこれ? プレゼント?」
俊作「今日、純が採取した下足痕です。鑑定をお願いします」
湊「わかった。急ぎで取りかかるよ」
神宮前署を後にした俊作。
携帯電話で伸子にメール。「マグナム・コンピュータ内で音無商事とフェニックス・エンターテイメントに関わる社員がいないか確かめてほしい」と打診した。
そして今度は再び南下して渋谷の道玄坂へ。あの夜のことに関する聞き込み調査だ。
――だが、これといった成果は得られなかった。
俊作はすぐさま歌舞伎町へと飛んだ。
向かった先は、フェアリー・ナイトである。




