46.刺客
午後8時。
俊作と純は世田谷区内にいた。
笹倉派に襲われる危険性が高い米本の警護をするためである。
米本は世田谷区在住。
会社から30分もあれば帰宅することができる。
30分という時間が長いか短いかは、各々の捉え方次第だ。
おそらく、笹倉派の人間にとっては十分すぎる時間だろう。
俊作と純は、周囲360度に神経を張り巡らせた。
しかし、米本の周辺をガッチリ守ることはしていない。
純が米本の約10メートル前を歩き、俊作は米本の約10メートル後ろを歩いている。
べったりとくっついていては、誘い込める敵も誘い込めない。
更にいえば、俊作と純はホームレス風の男に変装をしている。いうまでもなく、カムフラージュのためだ。
今のところ、怪しそうな人物は見当たらない。だが、まったく人通りがないわけではない。笹倉派の人間に尾行されている可能性も決して低くはない。いつ襲撃されても迅速に対処できるよう、俊作と純は細心の注意を払っていた。
その頃、株式会社マグナムコンピュータ営業部のオフィスでは、高根伸子がようやく帰りの支度をしていた。
午前中の騒ぎで、さすがにこの日の笹倉は大人しくなっていた。
前日まで日に日に増えてきていた業務量も、事件前と同じぐらいに減った。
やはり、会田の「訴えますよ」という一言が効いたのだろうか。
しかし、その会田も事件のせいで業務量が激増してしまった。
俊作の顧客を一度に引き受けてしまっているからだ。
あの量では終電間際まで残業していてもおかしくない。体は大丈夫なのだろうか。
「ふぅ…」と一息つき、伸子は席を立とうとした。
――と、そこへ伸子を呼び止める者がいた。
会田だ。
伸子「会田さん」
会田「高根さん、今帰り?」
伸子「はい」
会田「そうか、お疲れ。今日は大変だったね」
伸子「ええ…」
会田「少しは落ち着いた?」
伸子「ええ、まぁ…。危ないところをありがとうございました」
本当は完全にショックは消え去っていないのだが、伸子はあまり心配させるのも悪いと思った。
会田「いや、気にすんなって。高根さんが大丈夫ならそれでいいんだよ」
伸子は「ふふっ」と微笑んだ。
伸子「…じゃ、お先に失礼しますね」
会田「――あ、ちょっと待って」
伸子「…?」
会田「あと30分ぐらい待てる? この後メシでも行こうよ!」
伸子「え…この後ですか?」
会田「うん。この際思い切りストレスふっ飛ばさないかと思ってさ」
伸子「あの……ごめんなさい、今日はこれから用事があるんです」
会田「あぁ…そう。もしかして、デートか何か?」
伸子「いえ、そういうのじゃないんですけど…」
伸子はこの後、俊作の頼みでヒナコと合流し、黒野が以前勤めていた歌舞伎町のホストクラブへ潜入しなければならないのだ。
会田「そっか。わかった。じゃ、またの機会にしよう」
伸子「すいません。じゃあ失礼します」
伸子は、少しだけ気まずそうにオフィスを後にした。
無意識に、エレベーターへ向かう足取りが少しだけ速くなる。
ただ、会田から軽く食事に誘われた。だが、都合が悪いので断った。
ただそれだけのことである。
それだけなのに、この、変に血圧が急上昇してくる感じは何だろう。
反射的に……警戒してしまったようである。
伸子「……」
伸子は、胸の内に湧き上がる妙な感情を振り払うかのようにエレベーターのボタンを押した。
ギュッと、いつもより深く基盤にめり込んだ。
俊作と純による、米本の警護はまだ続いていた。
米本の自宅まで、あと10分もかからない。
俊作も純も、「今日は不発だったかもしれない」と思い始めた時だった。
ちょうど、米本が十字路に差し掛かった。
突如、1台のスクーターが出会い頭に猛スピードで飛び出してきた。
米本「うわっ!」
驚きのあまり、米本はその場に尻餅をついた。
俊作「――!?」
俊作は米本に駆け寄ろうとしたが、一瞬目に飛び込んできた光に気をとられた。
曲がり角のそばに立っていた街灯の光が、何かに反射したのだろう。
スクーターのミラーか?
いや、違う。
腕だ。
スクーターを運転している人物の腕が光っているのだ。
運転しているのは、体格からして男性だ。
黒のヘルメットを深く被り、上下共に黒い服を着ているので光る腕がよく目立つ。
俊作「――!」
その「光るモノ」は、俊作にとって見覚えのあるモノだった。
しかし、いくら見覚えのあるモノを見つけたからといって時速60キロ近く出ているスクーター相手にはどうすることもできない。特徴を捉えるだけで精一杯だ。そのまま、スクーターは減速することなく走り去って行った。
米本「うがぁっ!」
俊作「!?」
米本の悲鳴に驚き、俊作は素早く振り返った。
米本が、某ホラー映画に出てくる仮面を被った男に角材で殴られている!
純「米本さん…!」
純が勢いよく体を後方へ反転させて駆け出した。
俊作「オラァッ!!」
ホームレス姿の俊作が吠える。
ビクッと、仮面の男の体が一瞬にして強張った。
仮面の男「ひっ…!? しっ、柴……」
純「“しば”…?」
純は、しっかりとその耳で聞きとった。
この、仮面を被った小太りの男は俊作を知っているのか?
俊作「いきなり現れやがって……何モンだてめぇ!」肩をいからせながら、俊作がズンズンと仮面の男に近づいていく。
仮面の男「う…うわぁっ! 来るなっ!」
後退りしながら、男が闇雲に角材を振り回す。一方の俊作は、一定の間合いを保ちつつ、飛び込むスキをうかがっている。
仮面の男「ああああぁっ!」
絶叫しながら、男が、角材を、剣道でいうところの上段に構え、一気に振り下ろしてきた。
――ここだ。
“ガシッ!”
仮面の男「!!」
振り下ろされた角材は俊作にがっしりと掴み取られ、仮面の男が引き抜こうとしてもビクリとも動かない。
その引き抜こうとする力を利用して、俊作はいったん体重を仮面の男に預けてから、素早く上体を捻り、一気に角材を男から奪い取った。
間髪入れず、奪い取った角材で男の腹部を突く。
仮面の男「がふっ…!」
男の体が「く」の字に折れ曲がる。
俊作は更に、右足での前蹴りを男の鳩尾辺りに見舞う。
男が勢いよく吹き飛び、ゴロゴロと地面を転がる。
純「そいつの仮面を剥ぎ取れ! どうやらお前を知ってるみたいだ!」
俊作「OK!」
俊作は、のたうち回る男の胸ぐらを掴み、無理矢理に引き起こした。
俊作「ツラァ拝ませてもらうぞ」
俊作は、一思いに仮面を剥ぎ取った。
街灯の光に照らされた男の顔に、俊作たち3人は驚きのあまり言葉を失っていた。
無意識に投げ捨てられた仮面が、地面に落ちてバウンドする音だけが突き抜けていった。
仮面の男は、人事部の大成部長だった。
米本「ぶ…部長……!」
俊作たちの中で最も動揺を露にしていたのは、人事部のメンバーである米本だ。無理もない話だろう。
純「やれやれ、どうりで俊作の顔を知ってるわけだぜ」
俊作「大成さんよォ、これは一体どういうことだ? まさか、あんたが笹倉派の1人だったんか?」
大成「……」
俊作「観念しろ。オレらは警察じゃねーから黙秘権は通じねーぞ」
その言葉を聞いた途端、大成は大きく息を吐いた。彼の全身から力が抜けていく。
大成「……そうだ。オレは笹倉派だ。だが……」
俊作「だが……何だ?」
大成「だが……オレは……自分の意思で笹倉派にいるわけじゃない」
俊作「あ? 何だそれは? 笹倉があんたを無理矢理引き入れたってのか?」
大成「…オレも、罠にはめられたんだ。柴田くん、ちょうどキミのようにな」
俊作「罠?」
大成「……笹倉課長とは10年ぐらい前に営業部で一緒だったことがあったんだが、特にこれといって親しくしていたってわけじゃあなかった。それが、1年前ぐらいから、急に酒の席で顔を合わす機会が増え始めたんだ」
米本「そ…そういえば、一度人事部の飲み会に来てたのを見たことがあるぞ」
俊作「営業部の飲み会に大成さんが来たこともあったな」
大成「そう、人事部の飲み会に来る時もあれば、オレが営業部の飲み会に誘われることもあった。初めは昔の懐かしさから誘いに乗ってたが、それがまさかこんなことに巻き込まれるとは……」
純「――つまり、笹倉はあんたを仲間に引き入れるための下地作りをしてたってわけか?」
大成は、ゆっくりと頷いた。
大成「4月のある夜、仕事帰りに笹倉さんと2人で飲みに行ったんだ。しばらくすると、笹倉さんが“キャバクラへ行こう”って言ってきた。オレも妻子ある身だから最初は断ったんだが、どうしてもって言うから仕方なくついて行って……」
俊作「そのキャバクラで何かあったんだな?」
大成「ああ、そうだ。驚いたよ。そのキャバクラに、営業部の羽村佐知絵がいたんだからな」
俊作「何?」
純「歌舞伎町のフェアリー・ナイトか」
大成「知っているのか?」
俊作「羽村がキャバ嬢だったことは調査済みだ」
大成「そうだったのか……」
米本「…それで、羽村は実際に部長に接客したんですか?」
大成「ああ。羽村がオレについた。1時間ほど過ぎた頃、羽村が“場所を変えて飲み直そう”と言ってきた。オレは帰るつもりだったが、笹倉さんに“昔のよしみじゃないか”って押し切られて……」
「大成は結構お人好しなのかもしれない」と、俊作は思った。
大成「……それで、道玄坂にあるっていう羽村佐知絵の知ってる店に移動して、オレと、笹倉さんと、羽村と、羽村と同じ店のキャバ嬢と飲み直したんだ」
俊作「道玄坂…? それ、もしかして“源”って店じゃないか?」
大成「え…? いや、店の名前まではわからない。なんせ、途中から記憶がなくなってたから……」
純「記憶がなくなるほど飲んじまったのか?」
大成「…いや、そんな浴びるほど飲んだわけじゃないんだが、ある瞬間から急激に眠くなってきたんだ」
俊作「眠くなって……?」
大成「次に気づいた時、オレはどこかのホテルの一室にいて、見知らぬ2人組の男に取り囲まれていた」
純「酒の中に睡眠薬か何かを混入されたか」
俊作「どんなヤツらだった?」
大成「羽村の彼氏と名乗るホストみたいな男と、弁護士だった」
俊作「黒野と戸川だな」
大成「…確かそんな名前だった。とにかく、その2人が、いきなり“慰謝料を払え”と言ってきたんだ」
俊作「慰謝料……さしずめ、羽村に“無理矢理犯された”とでも言われたんだろう?」
大成「…まぁ、そんなところだ。現に羽村は部屋の隅ですすり泣いてたからな」
米本「で……払ったんですか?」
大成「もちろん拒否したさ。でも、向こうに弁護士がついてたんじゃ従わざるを得なかった……」
純「結局は払ったのか」
大成「…いや、それが、その翌日になって笹倉さんが羽村に掛け合ってくれたらしく、慰謝料はナシになったんだ。条件付きでな」
俊作「条件? まさか今回の事件に関することか?」
大成「そうだ。“柴田を会社から追い出すのを手伝え”と言われた」
純「具体的に、どんなことを手伝うよう言われた?」
大成「“間もなく柴田がセクハラ騒動を起こすから、解雇にしろ”……と」
一瞬だけ、俊作の眉間にシワがにじり寄った。
大成「ヤバいことだっていうのはわかってた。本来なら、この手のトラブルは双方から事情を聞くべきなのに、柴田くんだけを一方的に処罰するんだからな。でも断れなかった。断れば“羽村をホテルに連れ込んだと家族にバラす”っていうし、笹倉さんも“昔のよしみで助けてやってんだ”って繰り返し言ってくるし……」
俊作「なるほどな。笹倉たちのやることに目をつぶれってことだったのか」
大成「ああ。笹倉さんと羽村たちがグルなのはすぐに察しがついた」
俊作「しかし、解雇の理由はセクハラだけじゃなかったぞ。普段の勤務態度とかも含まれてたぜ?」
大成「それは、おそらく笹倉さんが後から解雇理由に付け足したんだろう。マネージャークラスの人間が、自分の気に入らない部下を不当に悪く評価するって話は少なくない」
いわゆる「パワーハラスメント」の一例である。
俊作「それともう一つ。あんたが笹倉たちに協力したのは、はめられて脅された以外にも理由があるんじゃないのか?」
大成「……!」
この問いに対し、大成が動揺したのは誰の目から見ても明らかだったが、これについては純と米本も予測していなかった。
俊作「そのツラ見ると、他に理由がありそうだな。どうなんだ? え?」
大成「……金だ。謝礼を払うと言われたんだよ」
米本「金……?」
大成「実質的には口止め料なんだろう。“他言しようものならただでは済まさん”という意味合いのな。だがオレは怖かった。従わざるを得ないと思ったんだ、あの時は」
俊作「金の受け渡し役は、さっき原チャリで走り去った野郎だな?」
大成「……!」
純「What!?」
大成「…そこまでお見通しだったとは……」
純「Oh,no…なんてこったい。でも俊作、よくわかったな」
俊作「大成さんが無理矢理協力させられてんだったらなんとなく想像がつく。それに、あの原チャリ野郎が見覚えのある腕時計をしてたのが見えてな。あいつもグルじゃねーかって思ったんだ」
純「腕時計…だって?」
俊作「昨夜、羽村から金を受け取った男と同じ腕時計をしてたんだ。あれは限定モデルだから、全くの偶然だとは考えにくい。羽村が渡してた金は、少なくとも2人分以上はあった。1人はあの腕時計野郎の取り分だとすると、残りのうちの1人が恐らく大成さんに払う口止め料だろう」
恐るべき動体視力である。
米本「部長…金は受け取ったんですか?」
大成「いや、まだだ。これが成功してからもらう約束だった」
俊作「金はいつ受け取る手筈になってる?」
大成「30分後、小田急線の世田谷代田駅近くだ。だが、現にこうやって失敗しているから金はもらえんだろう」
俊作「かもな……」
純「あのさ、一つ聞いていいか? 大成さん、あんたが笹倉たちに加担した経緯はわかった。それと、今米本さんを襲ったのと、一体どう関係があるんだ?」
大成「それは……」
大成は言葉をつまらせた。
俊作「言ったはずだ。オレらに黙秘権は通じない。…まぁ、おおかた察しはついてる。エクストラ・マジシャンを使って米本のパソコンを覗いたら笹倉派の洗い出しをやってたのに気づいたからだろ?」
大成は、思わず苦笑した。
大成「…フッ、かなわんな、キミたちには。だが、米本のパソコンを覗いたのは笹倉さんだと思う」
俊作「何だって?」




