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29.警視庁神宮前警察署

警視庁神宮前警察署――。


警官に連行された俊作は、ここの2階にある刑事課の入り口前でしばらく待つように言われた。取り調べのために刑事を呼びに行くのだろう。


俊作の脇では警官Bがピッタリと見張っている。


俊作(逃げないって。余計にめんどくさくなるだけだし)


しばらくして、警官Aが戻ってきた。


警官A「今、刑事さんたちはみんな手が放せないそうだ。この男には留置所に入ってもらう」


そんなわけで、俊作は留置所にぶち込まれてしまった。


俊作「……まいったな、ホントに」


柴田俊作、一生の不覚。



一方ここは、株式会社マグナムコンピュータ人事部。

清掃員に扮した純がやって来る。


先程伸子や藤堂を誘ったのと同じように、米本にも声をかけるためだ。


遠くから様子をうかがう。

デスクは空席だ。

おそらくトイレにでも行ったのだろう。


よたよたと歩きながらトイレへと入っていく純。


すると、真っ先に純の視界に飛び込んできたのは洗面器に向かう米本の姿だった。


米本「おっ、鳴海さん」

純の気配に気づいた米本が先に話し掛けてきた。

純「よっ」

米本「どうかしたのか?」

純「いいか、用件だけ伝える。今日仕事が終わったら裏の来訪者専用駐車場まで来てほしい。オレの事務所へ案内する」

米本「えっ? どうして急に?」

純「営業部の藤堂部長が高根さんを連れて来るんだ。笹倉ってヤツについて何か知ってることがあるらしい」

米本「なるほど」

純「羽村やその彼氏を調べてる俊作も呼び戻す。おそらく有意義な情報交換ができるだろう」

米本「そういうことか。だったらオレもそれまでに何か情報収集しとかないといけないな」

純「そうだな。それだと助かる。でも、目立った行動はするなよ」

米本「笹倉さんに感づかれるからだろ?」

純「それだけじゃない。ここは一流企業だ。あんたにも何らかの影響が及ぶかもしれない。例えば不当な人事異動とかね」

米本「う、うむ…。いくらオレが人事部の人間だとはいえ、ドジを踏めばそうなる可能性は十分にあり得る」

純「ああ。十分に注意してくれよ」

米本「わかった。何かあったらまた連絡する」

言うと、米本は素早くトイレを出た。


純「……よし」

純は、一通りトイレを掃除してから営業部のある5階を目指して、再びよたよたと歩き出した。


その営業部では、今日も羽村佐知絵が何食わぬ顔をして業務にとりかかっていた。


遠目から、伸子が猜疑心に満ちた表情で佐知絵の様子を見ていた。


伸子(昨夜のあの態度、なんか気に入らない。ホントに落ち込んでたの? 仮にそうだったとしても、もうちょっと愛想よく接してもいいんじゃない? あたしのこと露骨に避けようとして。あたしが柴田くんと仲良くしてるから? でも――)


その時、背筋がゾクッとするのを感じた。


そっと、伸子は後ろを振り向いた。


そこには、いつの間にか笹倉が立っていた。


軽い緊張が走る。


笹倉はほぼ無表情で伸子を見下ろしている。


笹倉「仕事中だぞ。何ボーッとしてんだ」

伸子「……いえ、別に。何でもないです」

笹倉「あ、そう。何でもないのか。ふーん」

笹倉はとぼけたような顔をして、壁にかけられた大型の時計に目をやった。

伸子「……」

伸子は視線をパソコンの画面に戻そうとした。

笹倉「おい、話はまだ終わってねーんだよ」

伸子「はい?」

「早くこの場から立ち去ってくれ」という気持ちが、この返事からにじみ出ていた。当然ながら、伸子は笹倉を敵意むき出しの目で睨み付けた。

笹倉「そんな返事の仕方あるかよ。バカじゃねーかお前」

伸子「…何ですか、話って」

笹倉「かぁーッ! あのなぁ、だいたいおめーは態度からなっちゃいねーんだよ。今オレはおめーの返事を注意したんだぞ? まず謝るのが筋じゃねーのかよ!」

伸子「……すいません」

笹倉は、わざとらしく呆れた表情を作った。

笹倉「情けねぇ……言われなきゃわかんねーのかよ。小学生じゃねーんだぞ」

伸子「……」


小学生はどっちだ。


伸子は答えなかった。いちいち受け答えするのが面倒になったのだ。

しかし、笹倉は表情ひとつ変えない。

笹倉「そーいや、もうすぐ中間評価面談だな」

伸子「――!」


「中間評価面談」とは何か?


株式会社マグナムコンピュータでは、年度の頭である4月に業務上の目標を個別に設定する「年初目標面談」を全社員が直属の上司と行う。

それは年度末の3月になれば「年度末評価面談」を各自行い、年初に掲げた目標に対する達成度を話し合うとともに、その年の良かった点や反省点を踏まえた上で上司は部下に次年度のアドバイスをする。

そして「中間評価面談」は、年初から半年経った10月頃に、現在の時点でどのくらい目標を達成できているかを話し合うものである。

「面談の結果=その社員の人事評価」であり、人事部に面談の結果を報告するのは上司である。評価如何によっては人事異動の対象にもなりうる。


これは、この場合の伸子にとっては脅威である。


不当にどこかへ飛ばされる可能性が極めて高いからだ。


笹倉「お前の目標がどんだけ達成できてるか、聞くのが楽しみだな」

笹倉はわざと伸子の耳元で、まるで念仏を唱えるかのようにささやいた。


息が臭い。

伸子が反射的に顔を遠ざける。


笹倉「…そんな態度じゃあ、目標達成はまだまだだな」


勝ち誇ったような笑みを残し、笹倉は喫煙室へと歩いて行った。


伸子「……」


伸子と笹倉のやりとりをそばで見ていた会田が、すっと伸子に近寄る。

会田「高根さん、大丈夫?」

伸子「はい。大丈夫です」

会田「気にすることないぞ。高根さんはいつもよく働いてる。それは周りのオレらがよくわかってる。普通にしてりゃいいんだよ」

伸子「…はい。お気遣いありがとうございます」

伸子は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

会田「よし。じゃあ仕事に戻ろう」

伸子「はい!」


伸子は、視線をパソコンの画面に戻した。


ワードで文書を作成しながら、パソコン越しに佐知絵を見る。

見ながら、考え事の続きをしていた。


伸子(――でも、ホントに柴田くんがセクハラしてたんだったら、あたしまで避けたりするかなぁ…?)


ちょうど営業部のフロアに着いた純は、一連のやりとりを見届けた後、喫煙室へと入っていった。


大胆にも、笹倉と接触するつもりだ。


純(まだヤツにオレの正体はばれてねぇ。ここで敵から直接情報を仕入れとくってのもアリだな)


純は録音機能付きマルチカメラの録音モードをオンにした。


喫煙室のドアに手を伸ばす純。


しかし、ハッとして一旦手を引っ込めた。


再び、今度はそっとドアノブに手を伸ばした。


ほんの1ミリだけ開けて、中を覗く。


中では笹倉が誰かと携帯電話で話をしていた。


笹倉「……あぁ、明後日の夜8時だな」


純「――?」


純がはっきり聞き取れたのはこの言葉だけだった。


まぁ、いいだろう。

何かの手がかりになることは間違いない。


純は、笹倉の電話が終わる頃を見計らって喫煙室に入った。

入るなり、早速タバコをくわえながら100円ライターをポケットから取り出す。


しかし、火がつかない。


純「あれ? もうガスなくなっちまったんか」


ふと喫煙室を見渡すと、片隅で笹倉がタバコに火をつけている。


純「すいませーん……」

おそるおそる近づきながら、純が話しかける。


返ってきたのは、笹倉の無愛想な視線だった。しかしそれでも純はうろたえない。


純「火ィ貸してもらっていいっすか?」


笹倉も変わらず無愛想な態度で自分のライターを差し出す。

純「すいませんねぇ」

人懐こい笑顔で礼を言うと、純は手早くタバコに火をつけてライターを笹倉に返した。


実はこれ、わざとである。


わざと使用済みのライターを持ち歩き、火がなくなったフリをしてターゲットに近づく作戦だったのだ。

きっかけさえ作ることができれば、あとは適当に話題をふればよい。


「ふぅーっ」と、真上に煙を大きく吐き出してから、純が笹倉に話しかける。


純「あの、営業の方ですよね?」

笹倉「……そうだけど?」

純「仕事って忙しいっすか?」

笹倉「…まぁな」

いきなり質問されて戸惑いながらも、笹倉はとりあえずの回答はした。

純「いやね、自分サラリーマンなんてやったことないもんで、どんなもんかちょっと興味あるんですよ」

笹倉「だったらサラリーマンに転職すりゃいいだろ」

純「あ…確かに」

正論である。

純はボリボリと頭をかいた。

純「しかしアレですね。さすが大企業っすよ。いい女がたくさんいる」

笹倉「そうか?」

純「そうですよ。こっちは野郎だらけですからね。みなさんがうらやましい」

笹倉「そうか…うらやましいか…」

純「だけど、オレみたいなさえない清掃員じゃあ、近づくことすら不可能だろうなぁ」

純は歯痒そうに言ってみせた。

笹倉「フン、あんまり変な気を起こさないほうが身のためだぞ。こないだも女のケツ追っかけた挙げ句セクハラで訴えられたヤツがいたばかりだからな」


俊作のことだろう。

知らんぷりをしてもう少しこの話を広げてみよう。


純「セクハラ…ですか」

笹倉「ああ。バカなヤツだった。ろくに仕事もしねーでそんなことばっかやりやがって」

純「…その人、今どうなったんすか?」

笹倉「クビになった」

純「クビ!? なんか恐いっすね」

笹倉「それが会社ってもんだ。わかったら気をつけろよ」

言うと、笹倉は乱暴にタバコをもみ消して喫煙室を出ていった。


純「“それが会社ってもんだ”……か。しかし、俊作のヤツもひでぇ言われようだな」


つぶやいてから、純は小さく煙を吐いた。


純(しかし気になるのは、“明後日の夜8時”だ。どこで何があるんだ?)


純は、念のため創にこのことを知らせておいた。

あとは、さりげなく羽村佐知絵に関する情報を集めておこうと決め、喫煙室を出た。



夕方。


俊作は、あまりに長い拘束時間のため留置所の中で居眠りをしていた。


白鷺堂の担当営業を再び任され、希望に燃える夢を見ていたところで看守に起こされる。


俊作「うぅ……せっかくいい夢見てたのに……」

看守「うるさい! 取り調べだ! 出ろ!」


ようやく取り調べだ。


しかし、なんだかスッキリしない寝覚めだ。夢の中では白鷺堂の真ん前まで来ていたというのに。


看守「早くしろ!」

看守が急かす。

俊作「そんなに急かすなって。逃げたりしねーよ」

あくびをしながら、まだ動きたがらない身体を無理矢理起こす俊作。それだけで疲れてしまいそうだ。

看守「ダラダラするな! 刑事さんは忙しいんだ」

俊作「ふぁぁ…ただ人がいねーだけだろ」

看守「ごちゃごちゃしゃべらないで歩け!」

俊作「はいはい」


歩き出そうとした俊作の前に、一人の男性刑事が現れた。


年齢は40歳ぐらいだろうか。上下黒のスーツを着ているが、ネクタイをしていない。

筋肉質でがっしりした体格で、身の丈は180センチほど。おまけに、顔が某刑事ドラマの主役に似ている。


看守「あ、昼前に捕まえたのはこの男です」

看守は一歩横に退いた。


だが、俊作は一歩も動かない。


決して眠気のせいではない。


その男を知っていたのだ。


俊作「み…湊さん……?」


俊作の前に現れた一人の刑事。

どうやら俊作は彼を知っているようだが…?

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