24.藤堂の疑念
送ったはずのメールが届いていないのはなぜだ――?
そんな疑問符をまとわりつかせながら、藤堂は営業部のある5階へと戻ってきた。
ふと、前方に気配を感じて視線をそちらに移す。
笹倉だ。
笹倉が藤堂の前に立ちふさがっていた。
笹倉はこちらを見ている。明らかに何か言いたげだ。
藤堂「…笹倉、どうした?」
たまらず藤堂から話しかけた。
笹倉「どちらへ行かれてたんです?」
どうしてそんなことを聞いてくるのだろう。いつもなら気にすることがないのに、なぜ今だけ――?
藤堂「な、何だいきなり?」
笹倉は「フッ」と鼻で笑ってみせた。
笹倉「答えなくてもわかりますよ。人事部に行ってたんでしょう?」
藤堂「――!」
どうしてわかったのだ?
藤堂は言い返せなかった。
笹倉「やはりそうでしたか。まぁ、おおかた柴田の件ってとこですかね」
藤堂「う……」
笹倉「今更騒いだって無駄ですよ。第一にあれはもう処分が下ってるじゃありませんか」
藤堂「しかし、どう考えても納得のいかない部分がある」
笹倉「は? 何を言ってるんですか? もしかして、自分に責任が及ぶのを嫌がっているんじゃないでしょうね?」
藤堂「なっ!? 何を根拠にそんなことを――」
笹倉「部下の失態は上司が責任をとるのが社会の常識じゃないですか」
藤堂「オレは責任逃れしようなんて考えてねぇ! それに、責任をとらなきゃいけないのはお前だって同じことだろう!」
笹倉「私は柴田の直属の上司として、できるだけ社会的ダメージを少なくしようと配慮したつもりだったんですよ。それをあいつは自ら断ったんです。私が責任をとる必要はないはずですよ」
藤堂「断るのも当然だ。柴田だって納得がいかなかったはず。そもそもあいつは無実を訴えてるんだ」
笹倉「藤堂さん、あなたまでそんなこと言うんですか。柴田はクロです。決定的な証拠だってある」
藤堂「証拠?」
笹倉「柴田が羽村をホテルに連れ込もうとする写真ですよ。ご存知ありませんでした?」
藤堂「何だ、それは? オレは知らんぞ」
笹倉「…でしょうね。事件発生時は出張中でしたからね」
どうして自分がいない時にこんな事件が起きてしまうのだ。藤堂の胸に改めて悔しさがこみあげる。自分が出張などに行っていなければ柴田俊作の解雇を防げたかもしれない。
藤堂「その写真はどこにあるんだ?」
笹倉「さぁ。私は知りません」
たぶん笹倉は写真の持ち主を知っている。顔つきを見ればわかる。
笹倉「――というか、どうしてそんなことを聞くんですか? あなたには必要のないモノですよ」
藤堂「何故不要なのか、逆にこっちが聞きたいね。その“証拠写真”とやらを確かめたいと思うのは、部下の無実を信じる人間にとって当たり前のことだぜ?」
笹倉「部長……わからない人ですねぇ。柴田は現実にセクハラ行為などでクビになってるんですよ? 今、あなたがやろうとしていることは全て無駄なことなんです」
藤堂「…いや、無駄じゃないぞ。さっきも言ったろう。この事件には納得のいかない部分があるってな」
笹倉「納得いかないなんて、そんな往生際の悪い――」
藤堂「柴田はクビになったっていうけど、人事は柴田の言い分も聞いたのか?」
笹倉「それはわかりません。私は事実を報告しただけですから」
藤堂「……そもそも、オレたちには“柴田が羽村さんにセクハラ行為を働いて解雇された”という大雑把な内容しか知らされていない。事実を報告するなら、人事よりオレにするのが先じゃないのか?」
笹倉「だから、藤堂さんが出張中だったからやむを得なかったんですよ」
藤堂「じゃあ何でオレの出張中に事件を処理したんだ! 出張の後でもいいだろう!」
笹倉「それは、被害者の気持ちを考えた上で迅速に事態を収拾するためです」
藤堂「収拾できてねーだろがッ! 処分が一方的すぎる! おかしいと思わなかったのかよ!」
笹倉「いえ、まったく……」
笹倉は、さも当たり前のような顔をして答えた。
藤堂「…くそっ、何でこんな理不尽なことが当然のように起こるんだ。絶対におかしい」
藤堂は舌打ちをした。
笹倉「部長、もう過ぎたことですよ。あれこれ言うのはやめてください」
藤堂「だからこれはまだ過去形じゃねぇっつってんだろ!」
笹倉をにらみつける藤堂。
一方の笹倉はどこか勝ち誇ったかのような目をしている。
藤堂はその目を見て、ある一つの可能性に気づく。
藤堂「…まさか、お前何か変なこと企んじゃあいねぇだろうな」
笹倉「……は?」
笹倉の目つきが嘲笑に変わる。
藤堂「お前は柴田を嫌ってた。だから“何とかして自分の視界から排除しようと画策した”なんて可能性もあるんじゃないかってな」
笹倉「……ふん、バカバカしい。笑えない冗談ですね。私が柴田を故意に追い出したとでもいうんですか」
藤堂「可能性の話だ。決めつけたわけじゃない」
笹倉「ふぅー……」
笹倉は大きくため息を吐いた。そして、数秒の間ややうつむき加減のまま黙り込んだ後、ゆっくりと視線を下から上へ摺り上げた。
笹倉「とにかく、この件に関してはあまり首を突っ込まないほうがいいですよ。藤堂さんも処分されかねませんからね」
藤堂「構わんさ。かわいい部下の一大事に何もしないでいるほうがオレにとっちゃ罪だ」
笹倉は不敵に笑った。
笹倉「臭いセリフですねぇ。やはり、あなたはそう言うと思いましたよ。でなけりゃ、人事部長に抗議のメールを送ったりしませんよね」
藤堂「――!」
藤堂は、心の真っ芯が金縛りにあったような感覚に襲われた。
虚をつかれた、とでもいうのだろうか。
とにかくこの時、藤堂の思考回路が一時的に停止したのは間違いなかった。
何故、笹倉がメールのことを知っているのか。
藤堂が把握する限り、メールのことを知っているのは伸子だけだ。もちろん笹倉にはそのような話はしていない。
笹倉「驚いているようですね。まぁ当然でしょう。あぁ、“何でお前がそのことを知ってるんだ”といった質問は一切受け付けませんよ。答えるつもりはありませんから」
藤堂「……な…何故だ? 何故答えようとしない?」
笹倉は、少しムッとして藤堂につめ寄った。
笹倉「私が答えたらあなたが何か得でもするんですか!? 部長、もうヘタに事件を蒸し返さないでくださいよ! いいですねッ!」
ものすごい剣幕でまくし立てると、笹倉は足早にその場を立ち去った。藤堂が呼び止めようとしたが遅かった。
それにしても、笹倉はどうやってメールのことを知ったのだろう。自分の席でメールを作成していた時にパソコンを覗いていた人間でもいればまだ合点がいく。しかし、あの時は誰にも覗かれていない。それどころか席の周りには誰もいなかったはず。では、どうやって――。
伸子「――部長ッ!」
藤堂「はっ!?」
伸子「どうかしたんですか? ボーッと立ったままでしたよ」
どうやら、メールのことが気になっていたために伸子が呼んでいるのに気づかなかったらしい。
藤堂「あ、あぁ、すまん」
伸子「それと部長、今チラッと笹倉課長と言い合うのが見えたんですけど、何かあったんですか?」
藤堂「……あいつ、メールのことを知っていやがった」
伸子「えっ!? どうしてですか?」
伸子も信じられなさそうな顔をした。当然である。
藤堂「わからん。今それを考えていた」
伸子「誰かにパソコンを覗かれたとか?」
藤堂「いや、それはない」
伸子「じゃあ……あたしたちの会話を盗み聞きされた……としか考えられないですよね」
藤堂「あの時、給湯室の近くに笹倉がいたってことか?」
伸子「ええ」
藤堂「あいつは確か自分の席にいたはずだ。盗み聞きは不可能だ――」
言い切らないうちに、藤堂は突如「はっ」と 顔を上げた。
藤堂「――いや、間接的になら盗み聞きは可能だ」
伸子「? どういうことです?」
藤堂「あの“噂”がホントだったら、の話だがな」
伸子「“噂”?」
藤堂は話し声をボリュームダウンさせた。
藤堂「ここから先はあまり大きな声じゃ言えない。誰に聞かれるかわからん。場所を変えよう」
その時、伸子は前日の晩に俊作から言われたことを思い出した。
伸子「それだったら、今夜一緒に柴田くんの所へ行きませんか?」
藤堂「柴田? あいつと連絡とったのか?」
伸子「いえ、本人に会いました」
藤堂「ホントか? 今、何やってんだ柴田は?」
伸子「ご心配なく。彼も無実を晴らすために闘ってますよ」
藤堂「そうか……」
藤堂は嬉しそうな顔をしている。
伸子「柴田くんに是非“噂”の話をしてあげてください」
藤堂「そうだな。ところで、柴田ん家って板橋だっけ?」
伸子「はい。でも、正確に言うと今夜行くのは彼の“転職先”です」
藤堂「…え?」
「おーっと、それから先は小声でもしゃべらないほうがいいですよ」
藤堂が頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、物陰から、頭にバンダナを巻いた清掃員がよたよたと近づいてきた。
実は純のことだが、伸子と藤堂はまだ彼の顔を知らない。
藤堂「何だ? 清掃員が何か用か?」
警戒する藤堂に対し、いつもの爽やかな笑顔で応対する純。
純「まぁまぁ、そう警戒しないでください。決して怪しいモンじゃないですから」
藤堂「だったら何者なのか答えてもらおうか」
純は辺りを見回した。
今のところ、自分たち以外に人の気配は感じない。
純「…盗み聞きされる危険性があるんで多くは話せませんが、今は“柴田の連れ”とでも答えておきます」
藤堂「柴田の……?」
伸子「連れ…? あ、もしかして……」
伸子は再び昨夜俊作と話した内容を思い出した。
純もそれに気づくと、「後でちゃんと自己紹介はするから今は黙っていてくれ」といったニュアンスのアイコンタクトを送った。
純「詳しいことは後で話します。業務終了後にこのビルの裏にある来訪者専用駐車場まで来てください」
伸子「うん。わかったわ」
純「よし。ただし、何食わぬ顔で来てくださいよ。挙動不審な態度は厳禁です」
藤堂「……わかった。あんたを信用しよう。裏の駐車場だな」
純「はい。よろしくお願いします。では、仕事がありますので、この辺で失礼します」
純は軽く一礼すると、清掃用具を抱えて階段から階下へ去っていった。
藤堂「あの清掃員は、いったい何者だ? “柴田の連れ”って……」
伸子「大丈夫ですよ。彼は味方です」
藤堂「味方…か。まぁ怪しいヤツじゃあなさそうだがな」
伸子は微笑んだ。
伸子「ここは彼の言う通りにしましょう!」
藤堂「そうだな。そうしよう」
藤堂も微笑み返した。




