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20.伸子の聴取

時刻は午後7時をまわっていた。


伸子は、自分の席で頬杖をつきながらパソコンの画面と睨み合っていた。

ふと、何気なく藤堂の席をちらっと眺めてみる。


藤堂部長は、まだ会議から戻っていない。

やはり部長ともなると、忙しさが何倍にもなるのだろう。


頬杖をついたまま「ふうっ」と短くため息を吐くと、伸子は再び画面に向き直った。



来週初めのミーティングで使う資料を作成していた伸子は、作業に一応の区切りがついたので、残りを翌日に回して帰宅することにした。


伸子が帰りの支度をしていると、喫煙室から戻ってきた会田が話し掛けてきた。


伸子「会田さん」

会田「もう帰るの?」

伸子「はい。キリのいいところまでいったんで。会田さんは帰らないんですか?」

会田「うん。もうちょっとやっていこうかなと思う」

伸子「そうですか。あまり遅くならないでくださいね」

会田「あぁ、ありがとう」


伸子はバッグを手に取った。


会田「そうだ、高根さん」


きびすを返そうとした伸子の足が止まる。

会田「あれから柴田とは連絡とってんの?」


この質問は今日2度目だ。

伸子「……メールは送ってるんです。でも返事がなくて」

会田「……そうか。あいつも、メールできるような精神状態じゃないのかな」

伸子「わかりません。元気でいてくれたらいいんですけどね……」

会田「そうだな。でも事が事なだけに、今は元気でいるのは難しいだろうけど」


伸子はため息をついた。

伸子「――ねぇ、会田さん」

会田「ん?」

伸子「やっぱり、人事の決定は覆らないんですか?」

会田「え……?」

伸子「柴田くん、ホントにもう戻って来れないんですか?」

会田「……」


会田は答えることができなかった。自分の力ではどうにもならないからだ。


伸子「……すいません。何でもないです。それじゃ、お先に失礼します」

伸子は軽く会釈すると、逃げるようにオフィスを後にした。


きっと、会田は伸子の背中を見つめながら、ただ無言で立ち尽くしていただろう。しかし伸子は無性に気まずくなり、それを見ることなくエントランスホールへと向かった。


何であんなこと聞いたんだろう。


会田に聞いたところで、どうなるわけでもないのはわかっていたはずだ。


会社の決定は納得いかない。

やはり不満なのだ。

どうにかして俊作の無実を晴らしたい。


さっきはそんな思いが強く表れてしまった。


あまり感情を先走らせてしまうと、うまくいくものも失敗しかねない。



不意に、少しだけヒンヤリとした風が伸子を包む。


会田に対する無茶な質問からいろんな考えを巡らせているうちに、いつの間にか会社の外へ出ていたようだ。


入社してから、こんなことは初めてだ。

オフィスからどうやって会社の外まで出てきたか、覚えていないくらいだ。


伸子は、何気なく株式会社マグナムコンピュータの自社ビルを振り返った。


地上12階建てのそのビルは、改めて見ると高い。


そういえば、かつて俊作が“恵比寿ガーデンプレイスからこのビルを肉眼で確認できた”と言ったことがあった。


恵比寿ガーデンプレイスタワー内にある会社へ営業で行った時に見たそうなのだが、本当だろうか?

今度確かめてみよう。


伸子は正面に向き直り、駅に向かって歩き出した。


――が、すぐに足を止めた。



佐知絵がいた。


佐知絵が、会社のはす向かいにあるコンビニエンスストアから出てくるのが見えたのだ。


チャンスだ。

まさかこんなにも早くチャンスが訪れるとは。


伸子は、渋谷駅方面へ黙々と歩き出そうとしている佐知絵の後を追った。


周りは仕事帰りのビジネスマンやOLでいっぱいだったが、伸子は一瞬たりとも佐知絵の姿を見失わなかった。


その甲斐あってか、すぐに追いつくことができた。


伸子「羽村さん!」


名前を呼ばれて振り返った佐知絵の顔は、その目つきのみ驚きと気まずさがごちゃごちゃに入り混じっていた。


佐知絵「高根さん……」

吐く息に絡めたような声で応える佐知絵。

音量は極めて小さい。


伸子「お疲れ様。帰るタイミングが一緒だったんだね」

佐知絵「…そうみたいですね」


佐知絵は急いで愛想笑いを作った。

明らかに伸子を警戒している。


まずは当たり障りのない話題から。


伸子「今日、雨降らなかったね。今朝の予報だと降るって言ってたんだけど」

佐知絵「なんかそうみたいですね」

伸子「一応、折りたたみ傘を持ってきたんだけど、必要なかったね」

佐知絵「そうなんですか」

伸子「ねぇ、駅まで一緒に行かない? どうせ方向同じでしょ?」

佐知絵「あ、はい。別にいいですけど」


佐知絵は、受け答えも事務的で、伸子をまいてしまいたいと言わんばかりの速足で駅の方向へ歩く。


伸子も、佐知絵を見失ってなるものかと言わんばかりの速足でついていく。


伸子「あれ? 急いでるみたいだけど、この後何か予定でもあるの?」

佐知絵「……ええ、まぁ」

佐知絵は少しだけムッとした。


これで伸子は確信した。

佐知絵は自分を避けたがっている。その理由も、なんとなくわかる。

“場の空気を読む”のが、人としての心得だというのは重々承知している。しかしここは、あえてそれに従ってはならない。少々胸が痛むのを我慢し、伸子はいよいよ核心に迫ろうとした。


伸子「あぁ、予定あったのね。じゃあゆっくり話してるヒマもないか」

佐知絵「すいません」

そう言いながら、佐知絵はバッグに手を忍ばせた。おそらく携帯電話を取り出そうとしたのだろう。


だが、伸子は佐知絵にそんな余裕さえ与えなかった。


伸子「……もしかして、彼氏かな?」


佐知絵の動きが、ピタリと、体ごと止まる。


同時に、彼女の表情も一気に曇っていく。


伸子「聞いたよ。つき合ってる人がいるんだってね」

佐知絵「…はい、いますよ。知らなかったんですか?」

伸子「うん……今回のことで初めて知った」

佐知絵「今回のこと?」

伸子「柴田くんのことよ。噂になってるの。“羽村さんが柴田くんにセクハラされて、彼氏が抗議しに来た”って」

佐知絵「……」


ここで、筆者はひとつ言い忘れていたことがあるのをお詫びしたい。


前話で、今回の一件について、伸子たちには“柴田俊作が羽村佐知絵にセクハラをして解雇されたようだ”という情報しか流れなかったと述べたが、実は併せて“佐知絵の彼氏が会社へ抗議をしに現れた”という情報も流れていた。

しかし、依然としてセクハラ疑惑の詳細はふせられたままである。


伸子「ねぇ羽村さん、教えて。柴田くんと何があったの?」

佐知絵「何…って、知っての通り、柴田さんからセクハラされたんですけど」

伸子「そうなの……でもね、あたしには信じられないんだ。柴田くんとは同期で、入社の時から一緒だったけど、そんなことするような人じゃない。だから、あなたとの間にセクハラ以外で何かあったんじゃないかって思って」

佐知絵「別に……セクハラ以外には何もないですよ」

伸子「ホントに?」

佐知絵「……ええ」

佐知絵は、じっと伸子の目を見た。

伸子も、それを観察するように見据える。

伸子「じゃあ聞くけど、柴田くんはあなたにどんなセクハラ行為をしたの?」

佐知絵「はぁ?」

佐知絵の眉がアーチ状につり上がる。おそらく“イラッ”ときたのだろう。

伸子「だって、訴えるぐらいなんだから、柴田くんのセクハラ行為は相当なモノだったってことになるよね? あたしが見た限り、彼はセクハラだと思われるようなことはしてなかった。あなたも彼をイヤがってるようには見えなかった」

佐知絵「……」

佐知絵は口を固く閉じ、目線を落とした。

伸子「あたし、どうしても納得いかないの。羽村さん、答えて。柴田くんと何があったの? ついこないだまで仲は悪くなかったじゃない」


しかし、佐知絵は何も答えなかった。それどころか、伸子と視線すら合わせようとしない。


伸子「羽村さん……!」


「ちょっと高根さんッ!」


伸子が佐知絵に、今まさに詰め寄ろうとしたその時、背後から伸子を呼び止める声が響いてきた。

声の主は末広真智子だった。横には秋葉梨乃もいる。


真智子「高根さん! 佐知絵に何してるんですか!?」


いかにも噴火寸前といった表情で、真智子が怒鳴る。


伸子「…柴田くんの一件がどうも納得いかないから、詳しく事情を聞こうとしただけよ」

真智子「それじゃあ、まるで警察の取り調べじゃないですか!」

伸子「いや、そんなつもりはないんだけど……」

真智子「現に佐知絵はイヤがってますよ」

梨乃「この子は今日復帰したばかりなんです! 事件を蒸し返すような真似はしないでください!」

伸子「蒸し返す? あたしの中じゃまだ終わってないの。よく考えてみて。突然、何の前触れもなくふって湧いたような話だよ? おかしくない?」

真智子「おかしくなんかないですよ。事実、柴田さんは佐知絵にセクハラしたんですから」

伸子「でも、柴田くんと接してた時の羽村さんは迷惑そうな感じじゃなかった。それがいきなりセクハラで訴えるなんて、どう考えても納得いかないのよ」

真智子「だったら何だっていうんですか? 佐知絵が悪意を持って訴えたことだとでも言いたいんですか?」

伸子「そこまで言ってないでしょ!」

つい、伸子は声を荒げてしまった。

真智子「言ったも同じじゃない! あなた何様のつもりよ! 被害者を悪者扱いしようとするなんて!」


狐のような真智子の細長い目が見えない怪光線を放ち、伸子を一瞬だけ金縛りにした。思わず伸子は次の言葉が出なくなってしまった。


伸子は、横目でチラリと佐知絵を見た。

佐知絵は黙り込んだままうつむいている。


間髪入れず、梨乃が一歩前へ歩み出た。


梨乃「とにかく、佐知絵をそっとしてあげてください」


言うと、真智子と梨乃は伸子に頭を下げることすらせずに佐知絵を連れて、まるでバケモノから逃げるかのようにして渋谷駅の方へ歩き去って行ってしまった。



独り取り残され、その場に立ち尽くす伸子。


自分は、ただ真実が知りたかっただけなのに……。


失敗だ。

詳しいことが何ひとつ聞けなかった。


羽村佐知絵は、本当に俊作からセクハラをされたのだろうか?

その疑問だけが伸子の中で大きくなっていく。


しかし、佐知絵は明らかに伸子を警戒し、避けようとしている。

おそらく俊作とは同期であるうえに仲良しだからだろう。

自分にセクハラをした人間と繋がりがあるから、なんとなくイヤなのではないか。


これでは事情を聞くにも聞けない。

こんな時はどうすればよいのだろう。



独り思案する伸子の身体を、だんだんと深まりつつある、秋の冷たい夜風がむなしく吹き抜けていった。

正面からぶつかってもダメなら……どうする伸子?

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