19.月曜日、給湯室にて
羽村佐知絵、ついに職場復帰…!
月曜日。
俊作が株式会社マグナムコンピュータを解雇されて、3営業日が過ぎた。
営業部では、“俊作によるセクハラ被害”で休職していた佐知絵が復帰した。
出社するなり、法人営業二課の社員に「ご迷惑をおかけしました」と詫びて回る佐知絵。
高根伸子が出社したのは、佐知絵が、課長を含めた社員全員にお詫びをし終えて、末広真智子と雑談していた時だった。
伸子「羽村さん……!」
伸子は、しばらく佐知絵の様子をじっと見ていた。
「もう大丈夫なの?」と気遣う真智子に対し、笑顔で「大丈夫だよ」と応える佐知絵。
そう、あの自慢の笑顔だ。
信じられない。
伸子は納得がいかなかった。
彼氏がいたというのも初耳だったが、何よりも俊作をセクハラで訴えたことに驚いた。
彼女の目から見ても、佐知絵は俊作をイヤがっているようには思えなかった。
以前、俊作が笹倉に顧客を取り上げられた時なんか、「柴田さん頑張ってくださいね」と言っていたではないか。
前にも述べたが、伸子は入社当時から俊作とは仲がよかった。4年以上も一緒にいれば、彼がどんな人間かということぐらいはわかる。
俊作も健全な男性だ。セクハラ行為なんてするはずがない。確実にない。
絶対に何かの間違いだ。
伸子はそう確信していた。
その時、伸子の背後で声高に挨拶する者がいた。
笹倉だ。
笹倉が、まるで雨上がりの空みたいにスッキリした顔つきでオフィスに入ってきた。
その足どりは軽く、スキップしているようにも見えた。
法人営業一課の社員が、覇気があるともないともいえない朝の挨拶を返す。
笹倉は颯爽と、そんな課員の脇をすり抜けて課長席に着いた。
この男も露骨である。
俊作の解雇がそんなに嬉しいのだろうか。そうに違いない。
現に笹倉は、常日頃から俊作に対して嫌がらせをしたり、罵倒ともいえる言動を繰り返したりしていた。
それにあの時――俊作が解雇された時も、笹倉はイヤミなほどのイヤらしい薄ら笑いを浮かべていた。
笹倉が俊作を嫌っているのは明らかであった。
……いや、嫌っているというよりは、笹倉が俊作の存在そのものを否定したといったほうが適切なのかもしれない。
伸子に理由はわからない。もしかしたら生理的に受け付けないのかもしれない。
しかし、どんな理由があったとしても、笹倉の言動や行動はゆき過ぎだ。社会人として、それ以前に人としてやってはならないことである。もしやってしまえば、人間的レベルの低さを露呈してしまうことになる。
どうも気に入らない。
仕事の合間に一息つこうと、給湯室へコーヒーをいれに行く伸子。
給湯室には先客が2人いた。
真智子と梨乃だ。
彼女たちは給湯室で雑談をしていた。
話の雰囲気から察するに、どうやら誰かの噂話をしているようだ。
会話に夢中なのか、自然と声が大きくなり、給湯室の外まで聞こえてくる。
梨乃「ホント、信じらんないよねぇ」
真智子「そうだよねぇ。まさか柴田さんがセクハラするなんて」
梨乃「佐知絵もかわいそうに」
真智子「いくら佐知絵がかわいいからって、セクハラはないよねぇ〜」
梨乃「うんうん。いったい何を勘違いしたんだか」
真智子「なんか、前に柴田さんが笹倉課長にユーザー取られてヘコんでるところを励ましたことがあるんだって」
梨乃「あぁ〜、それか。それを勘違いしたのね」
真智子「単純そうだもんね、あの人」
俊作のことだ。
伸子の胸に、何やらキリキリしたものが引っ掛かる。
彼女たちはすっかり佐知絵の言うことを信じてしまっている。この2人は佐知絵とは入社時から仲がよかったので、信じてしまうのもわからないわけではないが、それでもやはり伸子にとっては不快なものだった。
伸子が給湯室の前まで来た時、ちょうど梨乃と目が合った。
一瞬、梨乃が気まずそうな顔をした。真智子もそれを察して平然を取り繕うとしている。
梨乃「あっ、こ、ここ使います?」
梨乃の声が1オクターブ上がっている。明らかに慌てている様子だ。しかし伸子は落ち着いた表情で受け返す。
伸子「うん。もう大丈夫かな?」
梨乃「は、はい。どうぞッ」
真智子「ウチらもうコーヒーいれ終わったんで」
真智子と梨乃はそそくさと給湯室を立ち去った。
そんな2人の後ろ姿を、伸子は思い切り不愉快そうな顔つきで睨みつけていた。
伸子「…だから柴田くんはやってないっつーの」
伸子が小声でその言葉を発したのと同時に、藤堂部長が給湯室へやって来た。
藤堂「高根さん、なんか機嫌が悪そうだな」
伸子「ぶ、部長!」
今度は伸子が慌てふためいてしまった。パッチリとした大きな瞳が更に開かれたようにも見えた。
藤堂は、俊作が解雇された翌日に出張から戻った。
戻るやいなや、彼は人事部に呼び出された。
そこで俊作が解雇されたことを聞いてショックを隠せずにいた。
合わせて、“今回はいち社員の不祥事なので、後で検討するが、もしかしたら人事評価に影響してくる可能性があるということを心に留めておいてほしい”と告げられた。
会社という組織にいる以上、部下の責任は上司の責任にもなってくるのがルールである。
それはずいぶん前から認識していたが、いざ自分がその立場になると、やはり辛いものがある。しかも、ここまで事が重大なのは初めてだった。
しかし、彼も伸子同様、まさか俊作がセクハラなんてするはずがないと信じていた。
それと同時に、“もし自分がもう少し早く出張から戻っていれば、かわいい部下を、仲間を助けることができたかもしれない”と悔やんでいた。
藤堂「柴田への処遇が納得いかないのか?」
伸子「……ええ」
ややトーンダウンしたものの、伸子は力強くハッキリと返事した。
藤堂「オレもあれにはビックリしたよ。まさか柴田が急に解雇されるなんて……」
藤堂はインスタントコーヒーの容器を手に取った。
伸子「あたし、セクハラなんてウソだと思います。彼はそんなことするような人じゃありません」
藤堂「オレもそう思う。何でそうなったのか不思議なぐらいだ。確か被害を訴えたのは法人営業二課の羽村さんだったな?」
伸子「はい。でも、彼女、柴田くんをイヤがってる感じは全然なかったですよ?」
藤堂「見る限り、仕事中も柴田が羽村さんにちょっかい出したりしてる様子もなかったな」
伸子「でも、訴えられたっていうことは、そうじゃなかったってことになりますよね……」
実は、伸子や他の社員たちには俊作の解雇について詳しい内容が発表されず、“柴田俊作が羽村佐知絵にセクハラ行為をはたらいて解雇されたようだ”という大雑把な情報だけが出回っていた。
藤堂「あの子、いったい何を考えてんだ」
伸子「わかりません。同じ女のあたしでも……」
藤堂「ところで、柴田とは連絡とってるのか?」
伸子「一応、何があったのか聞くためにメールは送ってるんですけど、返ってこなくて」
藤堂「あいつも何をやってんだ。連絡さえとれりゃ真相がわかるってもんなんだけどなぁ」
伸子「ええ。あたしも心配で……」
2人はしばらく沈黙していた。
その後、藤堂が何かに気付き、口を開いた。
藤堂「そういや、柴田がクビになってから笹倉は人事に呼び出されたか?」
伸子「いえ、呼び出されていなかったと思いますけど……」
藤堂「そうか……」
伸子「どうかしたんですか?」
藤堂「今回の一件がいち社員の不祥事として処理されるなら、当然上司も責任を負うことになる。オレは人事に呼ばれた。笹倉だけ何もないってのは、ちょっと変じゃないか?」
伸子「そう言われてみれば……。ちなみに部長はその時何て言われたんです?」
藤堂「“人事部で検討してみますが、もしかしたらあなたの人事評価に関わってくるかもしれないので、そのつもりでいてください”だってさ」
伸子「じゃあ、笹倉課長も同様のことを言われてるはずですよね」
藤堂「あぁ。そうじゃなけりゃおかしい」
伸子「あたし、その辺人事に聞いてみます!」
藤堂「いや、オレがいくよ」
実を言うと、藤堂が人事から評価云々の話をされた時は、俊作解雇のショックが大きすぎて笹倉のことを聞き忘れていたのだった。
伸子「えっ? しかし、部長は忙しいんじゃ……」
藤堂「気にすんなって。それより、キミには女同士で話し合うべき相手がいるはずだ」
マグカップにお湯を注ぎながら、藤堂は伸子に向かってはにかむ。
伸子「……あ、羽村さんですか?」
藤堂「そうだ。彼女にも事情を聞いとく必要があるだろ」
伸子「そうですね。わかりました」
いれたてのコーヒーにミルクを加えながら、藤堂に対して微笑みを返す伸子。
藤堂「じゃ、通常業務に支障を来さない程度に頼むよ」
藤堂は伸子より先に給湯室から立ち去ろうとした。
伸子「藤堂部長」
藤堂の背後から、伸子が呼び止める。
藤堂が「何だ?」と振り返る。
伸子「ありがとうございます!」
爽やかな表情で、伸子は軽く頭を下げた。
藤堂「よせよ照れ臭いなぁ。まだ始まったばかりじゃねぇか。そういうのは全て事が済んでから言うモンだぜ」
伸子「あっ、すいません」
伸子は恥ずかしそうに笑ってごまかした。
藤堂「まったく…」
クスッと笑った後で、藤堂は温かいコーヒーが入ったマグカップを手に、自分の席へ戻っていった。
伸子は今、ものすごく藤堂に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
やはり彼は人の上に立てる器を持ちあわせている。
藤堂部長は、みんなが仕事に行き詰った時はいつもこうやって元気づけてくれる。
営業は辛い仕事だと思う。
“ノルマ”に追い立てられる毎日。
態度の悪い客がいても、原則的には感情をむき出しにしてはいけない。
自然とストレスもたまる。
しかし、きっと俊作も藤堂部長のバックアップがあったからこそ今まで頑張ってくることができたのだろう。
営業の辛さを知っている藤堂部長だからこそ、部下に対してこういった気遣いができるのだ。
人間が大きい。
みんなから慕われるのも納得がいく。
今の笹倉課長とは雲泥の差だ。
なんだか、伸子に活力が湧いてきた。
いち早く事の真相を掴む必要がある。
何とかして佐知絵と2人きりで話すチャンスを作らなければ。
そのチャンスは意外と早く、その日の夜に訪れた。




