13.論文から英語を学んでみよう
俊作は独り、佐知絵の交友関係を洗い出すため、千代田区某所へと来ていた。
千代田区にある私立大学。
“神田中央大学”と書かれた正門の前で、どこにでもいそうな学生に扮した俊作が仁王立ちしている。
茶色のユーズドコーデュロイパンツにアディダスのスーパースター(白地に黒の三本線)を履き、赤を基調としたチェックのネルシャツに紺のダウンベストを重ねるといった、定番中の定番スタイルだ。誰も俊作を部外者だとは思わない。
この神田中央大学は、羽村佐知絵の出身大学である。
俊作は、ここで佐知絵と仲のよかった人物を割り出し、彼女の人物像や近況により深く迫るつもりでいる。
しかし、どうやって割り出すのだろうか?
俊作は、佐知絵との会話をこと細かに思い返していた。
羽村佐知絵は、外国語学部英語学科の学生だった。
3年生になってからゼミに入り、“世界各地に根付いた英語文化”の研究を始めた。
そして、それを卒業論文として発表した。
その論文は、ゼミ生全体の文集に収められ、教授と佐知絵を含むゼミ生全員に配られた他に、1部だけ学生課前にある英語学科のゼミ紹介コーナーに展示されているという。
したがって、その文集を見れば佐知絵を知る人物が簡単に割り出すことができるというわけだ。
俊作は学生課を目指して歩きだした。
途中、元気いっぱいにはしゃぐ無垢な学生たちとすれ違い、思わず「若いっていいなぁ…」と呟いてしまった。
学生課は、キャンパスのおよそ中心部に位置していた。
向かい側に、かなり広いスペースで、全学部のゼミを紹介するコーナーが設けられていた。
その一角に英語学科のブースを見つけると、俊作は素早くそこへ駆け寄り、目的である文集を探し始めた。
英語学科で開講されているゼミも一つだけではない。
しかも、全てのゼミが卒業論文を文集にしている。
さすがにゼミの名前までは聞いていなかった。こうなったら、片っ端から文集を調べていくしかない。
俊作は、いちばん左端にあった文集から手をつけた。
佐知絵の名前はない。
間髪入れずに隣の文集をめくる。
この文集にもない。
仕方ない、次だ。
これを繰り返すこと約10分、6冊目でようやく佐知絵の名前と論文を見つけた。
どんな内容なんだろう。
俊作は少し論文を読んでみることにした。
イギリスを起点とし、アメリカやカナダなどに広まり、それぞれの地で発達した英語の訛りや言い回しなどを中心に論じられている。
いわば、方言の英語バージョンといったところか。
よくここまで調べたものだと感心しかけた俊作の背後で、何やら人の気配がした。
振り向くと、上品な感じの中年男性が立っていた。
いや、中年というよりは初老という感じか。
三つ揃いのスーツをきっちりと着こなし、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
男性は敵意を示すわけでもなく、むしろ温かく迎え入れるような目でこちらを見ている。
男性「何やら、熱心に文集を読みあさっておられるようですが、興味でもおありですかな?」
俊作は一瞬身構えた。
体育館の裏で喫煙しているのを先生に見つかった高校生の気分になった(もっとも、俊作はタバコを吸わないのだが)。
しかし、更にその次の一瞬で冷静さを取り戻した。
ここで大学時代の恩師と会えるなんて、願ってもないチャンスだ。佐知絵の交友関係を割り出す前に、彼女の人となりを聞き出すことができる。
俊作「…あなたは?」
男性「これは失礼。私はそのゼミを受け持っている南方という者です。閲覧のお邪魔でしたかな?」
俊作「いえ、そんなことはないですよ。ただ、英語について勉強しようと思ってここにある文集を読んでいたら、ちょうどこの論文に少し興味をひかれたもので」
俊作は、佐知絵の論文が書かれているページを開いて、南方と名乗る男性に見せた。
男性=南方「あぁ……それは羽村さんの論文」
俊作「これ、英語文化についてこと細かに書かれていますね」
南方「そう、それには私も感心しましたよ。よくここまで調べたものだと」
俊作「ええ。英語を知る上で大変参考になります」
南方「そうですか。それはよかった」
南方は優しく微笑んだ。
俊作「……この論文を書いた人は、結構優秀だったんじゃないですか?」
南方「はい。大変優秀な子でしたよ。素直で感じもよかったから、ゼミのみんなに好かれていましたよ」
俊作「へぇー…友達の多いタイプだったんですね。しかし、どうやってここまで立派な論文を書き上げたんですか?」
南方は、ほんの少しだけ眉間にシワを寄せた。
南方「どうやって……さぁ……それは私にもわかりませんな。外国人留学生のお友達がいっぱいいたんじゃないでしょうか」
丁寧に回答する南方。この時点で、俊作は南方の丁寧で腰の低い立ち振舞いが気に入っていた。
きっとこの人もゼミ生から慕われていたに違いない。
俊作「…おそらくそうでしょうね。みんなから好かれるタイプなら外国人の友人がいてもおかしくはないですから」
俊作は2、3ページめくった。
いたって何気ない動作だったが、意外にもそれが南方には興味深そうに見えた。
南方「もしよろしければ、その論文をコピーしていかれてはいかがです?」
俊作「えっ? いいんですか? “盗用防止の為、コピーすることを禁ずる”って貼り紙がしてありますよ?」
俊作は、自分のすぐ近くにあった貼り紙を指差した。
確かにその貼り紙にはコピー禁止と書かれている。
南方「もちろん内緒ですよ、これは」
俊作「え…?」
南方「あなたはとてもまっすぐな目をしている。決してウソをついたり、不正を働くことのない目だ」
俊作「……」
俊作はすでに身分を偽っているのだが。
俊作が何も言い返さず黙っていると、不意に南方が微笑んだ。
南方「人間関係は信頼のもとに成り立っています。あなたのような人にその論文を役立ててもらえたら、きっと羽村さんも喜ぶでしょう」
俊作「すいません……」
俊作は、本当に申し訳ない気持ちになった。
営業マン時代にも巧みな話術で相手をその気にさせてきたが、この場合は半分詐欺だ。ましてや、南方のような人格者を前にすると、なおさらそう思ってしまう。
しかし、これも自分の身の潔白を証明するため。今の俊作に迷っているヒマはない。
俊作「ありがとうございます。……あ、それなら、コピーする前に羽村さん以外の論文も拝見していってよろしいですか? 参考になりそうなものは吸収したいんで」
南方「あぁ、いいですとも。どんどん勉学に励みなされ」
俊作「ありがとうございます」
南方「そうだ、羽村さんの他にはこの人の論文を参考にするといいですよ。ちょっとよろしいですか?」
南方は、俊作から文集を手渡されると、ちょうど真ん中辺りのページを開いて俊作に差し出した。
“楽しみながら英語力をアップさせる方法
外国語学部英語学科
江坂千里”
紙面にはそう書かれている。
俊作「これは実用性がありそうなタイトルですね」
南方「そうでしょう? この子もいい論文を書いたんですよ」
俊作「江坂さん…というんですか」
南方「はい。彼女は羽村さんと仲がよかったようで、よく2人で一緒にいるところを見ましたねぇ」
俊作「ほぉ。それで、今も2人は仲良しなんですか?」
南方「さぁ…そこまではわかりません」
俊作「ちなみに、その江坂さんは、卒業後どんな仕事に就いたんですか?」
南方「アパレル関係だと聞きました。今は新宿で働いているそうです」
俊作「あまり英語とは関係なさそうな……」
南方「はっはっはっ。まぁ、本人が決めたことですからね。私がとやかく言う権利はないですよ」
俊作「そうですね」
南方「…ささ、他にばれるとちょっと厄介です。手早くコピーを済ませなされ」
俊作「あ、はい。ありがとうございます」
他にばれることなくコピーを済ませた俊作は、南方に軽く会釈をしてからゼミ紹介コーナーを後にした。
帰り際、1人の男子学生が学生課の方向へ歩いていくのが見えた。
とてもお洒落な服装だ。
秋らしいダークブラウンのジャケットがまだ真新しい。おそらく買ったばかりなのだろう。
俊作は無意識にその学生の後を追っていた。
彼の服装がお洒落だったということ、もしかしたら彼が南方のゼミ生ではないかと直感的に思ったことがその理由だ。
俊作は、南方から江坂千里の勤務先を詳しく聞いていなかった。
キーワードが「アパレル関係」と「新宿」だけでは特定するのに骨が折れる。
しかし逆を言えば、江坂千里がアパレル関係の仕事をしているということは、洋服の販売員をやっている可能性が高い。そうなると、彼が着ている服のどれかが江坂千里の勤める会社から販売されていれば、彼女を探し出すのはより簡単になる。
そのためには、学生と南方の会話をしっかり聞き取り、うまくファッションの話題から江坂千里の話題に流れていくことを願うしかない。
まぁ、その話題にならなかったとしても彼に接触して直接聞き出せばよいのだが。
わずかな足音を出すことなく、俊作は男子学生を尾行し続けた。
彼はやがて、学生課を抜けて教員棟に入っていった。
文字通り、ここは神田中央大学の各教員たちが各々の仕事をするための個室が集まる所である。
階段で2階まで上がり切った所で、学生の足が止まった。
学生の目の前にはドアがある。教員の部屋だ。
ノックをし、「失礼します」と一声かけて入室する学生。
すかさず、かつ静かに部屋の前まで駆け寄り、ドアの脇に掲げられたネームプレートを確認する俊作。
Bingo!
ズバリ的中!
男子学生が入ったのは南方教授の部屋だった。
瞬間、俊作は自分が少し恐ろしくなった。
どうしてあの学生を見た時に、「彼は南方教授のゼミ生ではないか?」と思ったのか?
自分でもよくわからないのだ。
探偵未経験のくせによく勘を的中できたものだ。
おっと、感心している場合ではない。
学生と南方の会話をよく聞き取らなければ。
息を殺し、聴覚を研ぎ澄ます俊作。
中から学生と南方の声が聞こえてくる。
南方「おっ、カッコいいジャケットだね。どこで買ったの?」
学生「あ、これ千里さんの店で買ったんですよ」
――!
いきなり来た!
あとは店の名前を知るだけだ。
頼む。店の名前を言ってくれ。
南方「江坂さんは新宿で働いてるんだよね? 店の名前は何ていうのかな?」
学生「あ、先生もこのジャケット欲しくなったんですか?」
南方「うん…なんか、いい感じだからね」
学生「“キャミィ&ジミー”ですよ」
“キャミィ&ジミー”だって?
略して“キャミジミ”。
俊作もこのブランドの洋服は好きだった。だが、このジャケットまではチェックしていなかったようである。少しだけ悔しがる俊作。
しかし、これで江坂千里に会うことができる。俊作は勘の冴え具合に改めて驚いていた。
次の目的地は決まった。
アルタの裏にキャミィ&ジミー新宿店がある。
次の目的地は、新宿だ!




