訪問者
犬神ヤシャは残業をしていた。呪いの家へ二人の生徒を助け出しに行ったとき、本来の担当授業を放りだしてしまったのだ。ウィザードが多い輝明学園といえども、教師の仕事に対して寛容というわけにはいかない。
始末書を仕上げると、ほかの教師たちはすでに帰っていた。時間は深夜というほどではなかったが、夜間人口の少ない学校では誰も残ってはいないだろう。
広い職員室を身回し、犬神は机の引き出しから携帯電話を取り出した。
残業も、校長からの説教も、犬神の代わりに教鞭をとった同僚の嫌味も、すべてどうでもよかった。犬神は、携帯電話に新規に記録したばかりの相手の存在に、心を囚われていた。
少し悩んだ。
時間にして、三〇分ほどだろう。
犬神にとっては、短い時間だった。
思い切って、電話をしてみた。
電話がつながるまでの短い間、犬神は視界にいるはずのない人影が写ったことに気づいた。
机にむかって、たたずむ様に座っていた。ただ座り、うつむいていた。
いるはずがない。犬神がそう判断できたのは、半年前に不慮の死を遂げた教師の席だったからだ。死んだ教師の席は、後任が決まらず誰の席にもなっていなかった。次年度には新たらしい教師が赴任するだろうが、その席に座る者がいるはずがなかった。
何より、その席に座っていたのは、死んだはずの教師だった。
『犬神さん、どうしたの?』
涼やかな澄んだ声で、花屋喫茶店のオーナー四緑カオリが答えた。
「いや、仕事が片付きそうなので、まだお店やっているかと思いまして。ちょっと、お腹が空きましたし」
言いながら、犬神の視線は死んだはずの教師の席に釘づけになっていた。
座っていた姿が立ち上がる。
間違いない。半年前に死んだはずの教師だ。
若く、熱心で、人気があった。だが、死因は自殺だと言われていた。
――ウィザードだったか?
よく知っているはずなのに、記憶があいまいになっていた。ただの死亡ではなく、プラーナを失ったことによる消失だとすれば、記憶から消えてしまうことも珍しくはない。
『ごめんなさい。うちは学生さんのお客が多いから、あまり遅くまではやっていないのよ』
「それは残念」
知っていた。店がやっている時間ではないことは、店ができた時から知っていた。いや、店のオーナーがカオリだと知った時から知っていた。
死んだはずの教師が、犬神に顔を向けた。
悲しそうな目で、犬神を見つめる。
「昼間のことだけど、相談する時間はあるかな?」
言いながら、犬神も席を立った。襲われても反応できるようにである。襲われるとは限らない。だが、ウィザードは幽霊を信じない。正体不明の怪異の原因は、侵魔だと知っているからである。
『そうね……昼間なら』
「じゃあ、直接お店に行ってもいいかな?」
肯定の返事に、犬神は心躍らせて電話を切った。
目の前に迫ったと思われる死んだはずの教師の姿は、犬神が携帯電話へ目を落した短い間に、消えていた。




