無自覚の攻防戦
桜ヶ岬市は海に隣接し漁業が盛んな田舎と都会を半々にしたような街並みである。名物はずばり海産物と桜。そして何よりもここには名門と呼ばれる桜ヶ岬学園が点在している。
伊波がこの学園の寮に越してからはや一年、復讐の為に身を粉にしてきた彼には学園の外に出るようなことはあまり無かった。……と言うのに、伊波一郎は今生徒会長の後ろに着き学園の外に出ている。
古き良き古風の家が並ぶ道路に二人、通学路を和気藹々と駄弁りながら下校していた生徒達は今や鳴りを潜め道を開けている。その様にはさすがの伊波も同情した。
昼に弁当を食べてもらってから何も理由を教える事もなく岬は宣告通り放課後、いつもよりも素早く書類を処理して伊波を連れ出した。
そんな、未だに後ろを歩く伊波に気づいたのか岬は首だけを振り向かせる
「伊波君?横を歩くのです」
何をされるのか、もしくは何をさせられるのか少し怖じ気づいていた伊波は曖昧に返事を返して彼女の隣に。周りの生徒達のざわめきが更に激しくなり伊波は内心喜べば良いのか複雑な心境だった。
「あの、会長?どこに行くんですか?」
ピタリと岬の歩みが止まり伊波も止まる。そう言えばそうだったと見開いた目に書いてあって伊波は少しため息を吐く。この反応なら何かやましいことがあるわけでは無いらしい。
茶色いポニーテールが風に靡き微かなさっぱりした甘い匂いが伊波の鼻腔をくすぐった。
「少し、見せたいものがあるんです。……申し訳ないですが付き合ってくれますか」
付き合ってくれますか、と言う言葉に悲鳴を上げた女子が複数。それを二人は無視して向き合う。
何を今さら、と伊波は言いかけて思いとどまる。
「勿論、何を見せてくれるか楽しみですよ」
にこりと笑い岬も同じように笑う。少し、笑みが柔らかくなったのではないかと伊波は思う。
「失望はさせません」
自分の事を完璧超人と自称する少女、勿論これにも自信があるらしくピンと張った背中のまま歩みを再開する。気づけば大名行列の如く後ろを歩いてくる生徒達に向けて伊波は人差し指を唇に当てた。意味は理解したらしく素直に霧散していった生徒達を見て岬だけではなく生徒会そのものがどれ程神格化されているのか伊波はもう充分理解したつもりだ。
学園から続く下り道、そろそろ月と交代しようとしている太陽を目の前に伊波が気づいた時には潮の香りがいっそう強くなってきていた。
都会育ちの伊波にはやはり目新しい、古くから続く日本の景色が広がっていた。街に並ぶ建物は大抵瓦屋根の古民家、子供達や路面電車が走る道路に遠目には漁船が大量に。眼を剥く伊波に意外そうに岬は言った。
「てっきりもう見慣れてると思ったのですが」
岬がそう思うのも無理はない、なにせ伊波がこの街に来てから既に一年は経っているのだから。
「……あまり、学園の外にでることはありませんでした。課外授業で外に出るときもあまりこっちには寄らなかったですし」
何を考えたのか岬は少し肩を下げる。
「伊波君、頑張るのは良いですけどたまには息抜きもするものですよ?」
あんたには言われたくない、口にこそ出さなかったが眼を見ればありありとその言葉が浮かぶだろう。ただそれにも気づくことなく何故か誇らしげに、表情筋が少し凝り固まっているせいかあまりそう見えないドヤ顔で伊波の袖を引っ張った。
「ならば寄り道をするのです……そうですね、ついでにお買い物もしましょう」
伊波は何を言うまでもなく、と言った風に首を縦に振った。そのまま彼女に付いていきやがて辿り着いたのは少し看板が錆び付いた『桜ヶ岬商店街』。
「おう岬ちゃんじゃねえか!……しかもあんたはまさか噂の副生徒会長君かい?」
入り口から歩いてすぐ、こじんまりとした店から年長の男が顔を出す。伊波は気の良さそうな顔だと実直に思い、外行きの笑みに切り替えた。
「伊波一郎と申します、お世話になります」
「いやいや!学園の皆さんには助けられてばっかでね~?ほら一つ、お代は要らないから食った食った」
串焼きを一本渡された。伊波はありがとうと言って受けとるが岬は手を振って代金を渡そうとする、それをなんとか丸込められ泣く泣く一本貰う流れは正に職人芸。きっと来る度にこうやって丸め込まれては受け取っているのだろう。その後も道行く店からサービスやらなんやらを貰い。何かを買うまでもなく岬の手には物でいっぱいのビニール袋が下がっていた。
「まったく皆様は本当に……私が来るときはいつもこうなのです、次からは伊波君にも一緒に拒否して貰うのですよ」
口ではそう言うがあの後彼女は美味しそうに串焼きを頬張っていた。今までは知らなかったのだが他人の料理となると岬はそれはもう美味しそうに食べるのだ。きっとそれも皆に可愛がられる理由に違いない、と伊波は思う。
「いやいや、商店街の皆だっていつも感謝してるからこそくれてるんじゃないですか。貰っといて損はないですよ」
「あ……」と岬は溢す。不服そうな声音と顔、それは何故か。きっと息を吸うようにビニール袋を伊波に持たれたからだ。伊波は微笑んで追求を許さない、もはや何も起きないと岬は悟ったのか少しため息を吐いて前を見据えた。
「そろそろですよ」
商店街を去り数分、平坦な道は途端に登りになり岬が見据える先には大きな大木と果ての見える大地が。これを見れば自ずとどこなのかあまり地理に詳しくない伊波とて分かる。『桜ヶ岬』、この街の、学園の。一つにして一番のシンボルだ。
登り終えると少なくない人が居た。制服を着た生徒達から、外国人観光客まで。
「やった、良い席が空いてるのですよ」
大木から少し進んだ先、海を一望できるであろう場所にベンチが一つ。岬と伊波の姿を見た途端血相変えて去っていった学生カップルの存在に気づきはしたがわざわざ言うまでもないだろうと伊波は心の中で感謝した。
慣れたように岬が座りその隣をとんとんと手で叩く。特段反抗するわけもなく伊波は腰を下ろし、眼を見開いた。そこから展望できたのは、緋色染まった海だった。それだけと言えばそれだけだが、伊波にとって……岬にとっては、きっとそれだけじゃないのだろう。
伊波の脳が疼く、きっとこれを題材にした小説を書いてみたら。何か面白そうな物語が作れそうだと、久方ぶりに訪れたアイデアに伊波自身が困惑した。彼は等の昔に、復讐の為に筆を折ったのだから。
ふと鴎が飛んで、伊波は空を見上げる。桜のが散り、緋色を桃色いで彩るのだ。
――嗚呼、なんて綺麗なんだろう
伊波が横を見れば、岬の横顔が。緋色に照らされた甘美な顔には太陽が映っている。きっと、自分の事は眼中に無いのだと伊波は思った。それが嫌で、声をかける
「綺麗、ですね」
「……はい、これを見せたかった」
伊波の目の前に居るのは生徒会長であり生徒会長ではない。そう錯覚するほどに岬は無防備だった。伊波のようにその笑みに、見とれる男は少なくない。
岬は立ち上がり、夕日を見つめる。髪が靡いて周りを舞うように桜が踊っている。
――桜ヶ岬の化身
じゃないかと、一瞬思うほど。
岬は伊波に振り返り、少女のように歯を見せ笑って見せた。
「私はこの岬が好きです――きっと名前が一緒だからじゃない。ずっとずっと子供の頃から形を変えないこの岬が大好きで守りたい親友」
伊波は、何も言えなかった
「それと同じぐらい、貴方も好きになったんです」
――狡い
息を飲む伊波に、岬を手を差しのべる。それに釣られて立ち上がった。
「改めて、言わせてください」
――本当に狡い
こんなにも、伊波の復讐心を溶かしてしまうのだから。
「よろしくお願いします、伊波君。貴方が副会長になって良かったと思うのです」
「……こちらこそ」
それでも、伊波は諦めない。彼女の横に立ち、罪悪感に蝕まれながら嘘を付く
「こちらこそ、貴方が大好きですよ。じゃなきゃこの役を目指さない」
きっと、そういう風には受け取らない。伊波が思うように目の前の岬はただ微笑んでいた。それでも僅かでも心を蝕むために。
「貴方の助けになれるなら、幸せだ。だからこそ、この一年間。貴方の側に置いてください」
岬を堕とすために。彼女の耳に付いた花弁を手で愛おしいように、取って見せた。
「光栄です」
方や伊波に感謝を示すために。彼の耳に付いた花弁を心底愛おしいように救い取る。
これは、クライマックス等ではない。伊波一郎によるお門違いの復讐劇と、鷹司岬による無自覚の攻防戦。その序幕でしかないのだ。
伊波一郎と鷹司岬は帰路に付いていた。太陽は既に役目を終えて。潮の匂いと冷たい風が二人の頬を掠める。会話は無い。それでも二人とも、なにもぎこちない様子はなかった。
伊波は思考する。些か疑ってしまうほどにこの数週間は上手く進んだ。彼女自らあの岬と同じぐらい好きだと言ったのだから……価値観としてはどれ程か分からずとも大きな進歩だと伊波は断定する。
好感度上げは完了したのだから、後はゆっくりと依存させるだけ。
「――考え事ですか?」
唐突に声をかけられ伊波は驚く。古びた電柱が、明滅していた。
「少しだけ……どうしました?」
「もう私の家に付きましたよ」
「え?」
そんなに時間が経ったかと思い、目の前の屋敷を見上げる。噂からしてもそうだった思っていたがそれでも驚愕する程には大きい日本家屋だった。
古めかしい棟門はきやすく人を近づけさせないオーラのようなものがある。伊波はそれを見て、一歩後ずさる。
「……すごいですね」
「良く言われるのです」
そう言って彼女は門を開ける。一日が終わろうとしていた。
岬が振り返り、少し躊躇うように口を閉ざすが。やがて開いた。
「少しだけ甘えて、良いのですか?」
「勿論」
即答。それを聞くと岬は眼を真ん丸にして、笑う。今日何度目かの少女らしい笑みに伊波は内心ほくそ笑む。
「では毎週金曜日に、作ってくれると嬉しいです」
聞くまでもなく弁当の事だろう、二つ返事で伊波は了承して。お開きになる。二人は向かい合って。
「また、来週」
「はい、また来週」
門が閉じ。長い長い始まりが終わりを迎える。
伊波は学園に踵を返して、次のアプローチを考え始めるのだった。




