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片腕の帰還兵、親友の最期の手紙を届けに行ったら盲目の妹が待っていた

作者: アポロ
掲載日:2026/04/16

左手がないという事実は、思っていた以上に重かった。

肩から先が空白になっただけで、世界の色がこんなにも薄くなるとは、戦場にいた頃の俺は知らなかった。


退役を命じられた日の帰り道、俺は軍服の袖を風に揺らしながら、ただ歩いた。

無謀な作戦だった。

敵の伏兵を読み違え、包囲され、仲間は全滅した。

俺だけが生き残った。


──いや、正確には、生かされてしまった。


親友のカイルは、俺の目の前で倒れた。

血に濡れた手で俺の胸倉を掴み、何かを言おうとして、結局言えずに息を引き取った。

あの時の温度が、まだ胸に残っている。


故郷の村に戻っても、俺は何もできなかった。

鍬も持てない。

荷物も運べない。

村人は優しかったが、その優しさが逆に胸を刺した。


夜、眠れずに古い荷物を漁っていると、革袋の底から一通の封筒が出てきた。


──カイルの字だ。


「……そういえば、預かってたな」


戦場に出る前、互いに“もしもの時”のために家族への手紙を交換した。

その時は笑っていた。

まさか本当に渡す日が来るとは思っていなかった。


封筒の宛先には、小さな村の名前が書かれていた。

聞いたことのない村だった。


俺はしばらく封筒を見つめ、それからゆっくりと立ち上がった。


「……渡しに行くか」


理由は分からない。

ただ、何かをしなければ、俺は本当に壊れてしまう気がした。


村までの道のりは長かった。

左手がないだけで、旅はこんなにも不便になる。

荷物の重さが肩に食い込み、何度も立ち止まった。


ようやく辿り着いたその村は、静かで、どこか寂しげだった。

村の中心に、小さな建物がある。

壁に掲げられた木の看板には、こう書かれていた。


「孤児院 ひだまりの家」


孤児院──?


カイルの家族は、孤児院の子どもたちだったのか。


戸を叩くと、しばらくして中から少女の声がした。


「……どなたですか?」


扉が開く。

そこに立っていたのは、黒髪の少女だった。

だが、彼女の瞳は焦点を結んでいない。


「すみません。ここに、カイルという男の家族が……」


少女の肩が小さく震えた。


「……兄を、ご存じなのですか」


兄。

やはり、彼女がカイルの妹か。


「俺は……戦友だった。これを、預かっていて」


封筒を差し出すと、少女は両手でそっと受け取った。

だが、彼女は封筒を開けようとしない。


「……読めないんです。私、目が……」


言葉を詰まらせる彼女に、俺は静かに言った。


「よければ、俺が読む」


少女は小さく頷いた。


俺は封を切り、震える指で便箋を広げた。


便箋には、カイルの癖のある筆跡が並んでいた。

読み上げる前に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「……読んでください」


少女の声は震えていた。


俺は息を整え、ゆっくりと読み始めた。


『ミナへ。

 この手紙を読んでいるということは、俺はもう帰れなかったんだろう。

 ごめんな。約束を守れなかった。』


少女の指が便箋を掴む音がした。


『お前を一人にしてしまうことが、何よりつらい。

 だけど、どうか生きてほしい。

 俺がいなくても、お前ならきっと大丈夫だ。

 誰より優しくて、誰より強い妹だから。』


ミナの頬を、涙が静かに伝っていく。


そして、最後の段落に差し掛かった時、俺の喉が詰まった。


『それから──俺の親友へ。

 お前はきっと、生き残ったことを責めるだろう。

 だが、それは違う。

 俺はお前が生きてくれて嬉しい。

 どうか、俺の代わりにミナを守ってやってくれ。

 ……最後の頼みだ。』


読み終えた瞬間、ミナは声を殺して泣いた。

俺は何も言えなかった。

胸の奥が熱くなり、視界が滲んだ。


カイル……お前、こんなことを……。


ミナは涙を拭い、かすかに微笑んだ。


「……兄は、あなたを信じていたんですね」


「……ああ。俺なんかより、ずっと強い男だった」


「そんなこと……ありません。きっと兄は、あなただから手紙を託せたんだと思います。

 あなたは実際に兄のために、わざわざ届けてくれた」


俺は言葉を失った。


その夜、孤児院に泊めてもらった。

ミナは子どもたちを寝かしつけ、俺の前に座った。


「……兄の願いを、叶えてくれてありがとうございます」


「まだ何もしてないさ」


「来てくれただけで、十分です」


ミナの笑顔は、どこか儚くて、けれど温かかった。


翌朝、村長に挨拶に行くと、村の状況を聞かされた。


「若い者は皆、王都へ行ってしまってな……。

 この村には、衛兵が一人もおらんのだ。

 魔物が出ても、誰も対処できん」


村長の言葉を聞きながら、俺は自分の左袖を見た。

空っぽの袖が風に揺れる。


戦えない。

それは事実だ。


だが──守ることなら、まだできる。


「……俺がやります。村の衛兵を」


村長は驚いた顔をした。


「だが、お前さん、その腕では……」


「片腕でも、剣は振れる。

 それに……守りたいものができた」


ミナの笑顔が脳裏に浮かんだ。


村長はしばらく黙っていたが、やがて深く頷いた。


「……頼む。村を、子どもたちを守ってくれ」


それからの日々は、静かで、穏やかだった。


俺は村の見回りをし、畑を荒らす魔物を追い払い、

孤児院の修繕を手伝い、ミナの買い物に付き添った。


ミナは俺の足音で、すぐに気づくようになった。


「……あ、来た。あなたの歩き方、すぐ分かります」


「そんなに特徴あるか?」


「はい。優しい足音です」


そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。


子どもたちも懐き、孤児院には笑い声が増えた。

ミナもよく笑うようになった。


俺は気づいていた。

この村での生活が、どれほど心を救ってくれているかを。


そして、ミナの存在が、どれほど大きくなっているかを。


だが、幸せな日々は長く続かなかった。


ある日、村に不穏な噂が届いた。


「森の奥で…… “強力な魔物”を見た者がいるらしい」


村長の顔は青ざめていた。


「もし村に来たら……ひとたまりもない」


俺は静かに剣の柄を握った。


「……行ってくる」


「一人で行く気か!?」


「俺が行かなきゃ、誰が行く」


ミナの笑顔が脳裏に浮かぶ。

カイルの声が、胸の奥で響く。


──ミナを守ってやってくれ。


「大丈夫だ。必ず戻る」


そう言い残し、俺は森へ向かった。


森は、昼でも薄暗かった。

木々の間を抜ける風が、どこか冷たい。

その冷たさが、これから起こることを予感させる。


足跡は深く、土を抉っていた。

大きい。

そして、重い。


「……間違いない。フォレストタイガーだ」


剣を握る右手に力が入る。

左手がない分、踏み込みと体重移動で補うしかない。


奥へ進むと、腐臭が漂ってきた。

獣の死骸が転がっている。

その中心に──それはいた。


黒い毛並み。

異様に膨れた筋肉。

赤い目が、こちらを射抜く。


「グルルル……」


フォレストタイガーは低く唸り、次の瞬間、地面を砕いて飛びかかってきた。


「──ッ!」


剣を構え、横に跳ぶ。

だが、片腕では受け流しが甘い。

衝撃が肩に走り、体が弾き飛ばされた。


木に背中を打ちつけ、息が漏れる。


「……まだだ」


立ち上がる。

足が震えている。

それでも剣を握る。


フォレストタイガーが再び突進してくる。

その瞬間、俺は地面を蹴った。


「うおおおおッ!」


渾身の力で剣を振り抜く。

刃がフォレストタイガーの首筋に食い込み、血が噴き出した。


フォレストタイガーは咆哮を上げ、暴れながら倒れ込む。

その巨体が地面を揺らし、やがて動かなくなった。


勝った──。


そう思った瞬間、腹部に激痛が走った。

見ると、フォレストタイガーの爪が深く抉っていた。


「……やっちまったな」


血が止まらない。

足元がふらつく。


それでも、帰らなければならない。

ミナが待っている。

カイルとの約束がある。


「……帰る。絶対に」


木々に手をつきながら、俺は村へ向かった。


村の灯りが見えた頃には、もう視界が霞んでいた。

孤児院の前まで辿り着いた瞬間、扉が開いた。


「……あなた、ですか?」


ミナの声。

足音で気づいたのだろう。


「ただいま……」


そう言ったつもりだったが、声になっていたかは分からない。


ミナは駆け寄り、俺の体に触れた。

その手が血で濡れ、震える。


「……どうして……どうしてこんな……!」


「魔物は……倒した。もう……大丈夫だ」


「大丈夫じゃありません……! あなたが……!」


ミナの声が涙で震える。

俺は微笑もうとした。


「泣くなよ……ミナ。お前の……泣き顔は……似合わない」


「……言わないで。そんな……終わりみたいな言い方……」


ミナは俺の胸に顔を埋め、必死に言葉を絞り出した。


「……私……あなたが……好きでした。

 兄がいなくなって……ずっと怖かった。

 でも……あなたが来てくれて……

 あなたがそばにいてくれて……

 私……生きていけたんです……」


胸が熱くなる。

こんなにも大切な言葉を、俺なんかがもらっていいのか。


「……俺も……好きだ。

 お前と……生きたかった……」


ミナが顔を上げる。

涙で濡れた瞳が、俺の方を向いている気がした。


「行かないで……お願い……」


「……ごめん。ミナ……」


体が重い。

意識が遠のく。


最後に、心の中で呟いた。


──カイル。

 すまない。

 最後まで……見守れなかった。

 ミナを……悲しませて……すまない。

 でも……

 お前の妹は……強いよ。

 きっと……大丈夫だ。


暗闇がゆっくりと広がる。

その奥で、懐かしい笑顔が見えた。


カイルが、あの日のままの姿で立っていた。


「……待たせたな」


そう呟いた瞬間、俺の意識は静かに途切れた。


翌日、村人たちは孤児院の前に小さな墓を作った。

ミナはその前に膝をつき、静かに祈り続けた。


「……ありがとう。

 あなたが守ってくれた村で……私は生きていきます」


風が吹き、墓の上の花が揺れた。

まるで、彼が微笑んでいるように。

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