赤髪の女子学生⑦
二人は川辺のベンチでしばらく雑談を続けていた。
かずさはティナに気になっていた事を尋ねる。
「クリ......ティナはどうしても大学で勉強したくてこの街に来たんだよね?」
ティナはまっすぐにかずさの目を見て答える。
「そう、私どうしても大学に行きたかったのよ。小さい頃からずっと。貴族の娘としては淑女教育を受け、社交界に出て良い縁談をもらって、ていうのが一般的なのはわかっているのだけれど…どうしても学びたかったの」
「どうしてそんなに学びたかったの?」
う~ん、としばらく上を見上げて考え込むティナ。
「これを言うといろんな人から否定されると思ったから言った事なかったのだけれど...正直なところよくわからないの。でも、もっと多くの事を知りたい、専門的に研究したいっていう湧き上がってくる欲みたいなものがあるのよ。これはきっとおばあ様の影響だと思うわ」
ティナはツインテールを結っている赤と黒二色入ったリボンを触りながら話す。
「このリボンはそのおばあ様からもらった大切な物なの。おばあ様は私が小さい頃からいろんな専門書を読み聞かせてくれたわ。貴族令嬢にしては珍しく、いろんな分野に精通した博識な人だった。おばあ様も大学に行きたかったのだけれど、当時は私の家も一王族として国を導く義務があったし、そんなこと許される状況ではくて断念したのですって」
かずさは引き続き彼女の話に耳を傾ける。
「そんなおばあ様が、楽しそうに難しい本を読んでいるのを見て、勉強って面白い物なんだって思ったの。もちろん当時は本の意味なんてわかってなかったわよ。でも少しずつ簡単な本から読み解いていって、知識が増えていくうちに見ている世界が変わったように感じたの」
ティナは顔を綻ばせて、太陽が反射してきらめく川の流れを見つめた。
「どうして山から絶えず水が流れてくるのか、なぜ陽は昇って沈むのか。星の動きにはどんな法則があるのか、なぜ人は神を信じるのか、愛とは何か...とか、考えれば考えるほど、奥が深くて、それぞれにいろんな答えがあって。本当に面白いの」
かずさは世界の様々な事象に興味を持ち、学んでいるこの赤髪の女子学生に感嘆した。
「ほぁ…すごい...今まで考えた事なかった...ティナはそんな事を大学で学んでいるの?」
「まだ触りの方だけだけどね。でも認めてもらえばもっと研究できる。女である私が周りを認めさせるには実力で示すしかないわ。家族から反対されて出てきたから城の生活よりも不便になったけれど、それでも今自分がここにいて大学で学べていることが何よりも楽しくて幸せよ」
その緑の瞳を煌めかせて、ティナは心底嬉しそうに語る。
その生き生きした表情はかずさを満ち足りた気分にさせた。
「二十歳になったら結婚しなきゃいけないから、それまでのあと二年。全力でやり切って見せるわ」
「でも、ティナはもっと大学で勉強したいんじゃないの......?それこそ二年後以降も」
かずさは再び素朴な疑問を投げかけた。
ティナほどの意志の強い人間ならば、結婚の約束を突っぱねることも不可能ではないはずだ。
しかし、ティナからの回答は意外なものだった。
「確かにできれば結婚なんて、まだ、全然、したくないわ。でもね、私がこうやって学べるのも、大学にいけるのも、私がゲヴァルト家という貴族の人間だからなのよ。そのことを忘れて、貴族としての責務を放棄することは私にはできない。けじめはしっかりつけないとね」
ティナは自分の欲求に純粋ではあるが、けして周りが見えていないわけではない。自分の立場をしっかり理解した上で、今ここにいるのだ。
それが彼女が大学で学ぶ上での最低限の覚悟で責任だと自覚している。
「それにね、私には夢があるの。今は女性が大学に行くことも憚られる世の中でしょう。だから私は女性のための高等教育の場をいつか作ろうと思うの。私の知識や学びは、私だけのものじゃなくこれからの未来のために使いたいから」
夢を語るティナの表情は輝いている。未来を語れる、その輝きがかずさにはとても眩しく見えた。
「だからね、かずさ。私は今できることを精いっぱいするの。私の場合は学ぶこと。時間は有限よ。今やらないと後悔すると少しでも思うのなら私は行動することを選ぶ。そうじゃないと、すぐに人生なんて終わってしまうもの。かずさ、これはあなたにも言えることなのよ」
ティナの力強い言葉はかずさの心に響いた。
かずさは呪いをかけられている。記憶を失うまでが人生だとしたら、かずさの人生は残り40日も無い。考えるまでもなく、あまりにも短い。
かずさは今まで、できるだけ周りに迷惑をかけないようにと生きていた。特に、呪いをかけられてからは、自分でも無自覚に遠慮してきた。
しかし、ティナの言葉にもう少し自分の気持ちに素直になっていいのかもしれない、と思えた。
「ティナ......うん、そうだね。人生は短いもんね」
「そうよ、かずさ。死ぬときに後悔しないようにね」
無邪気に横で笑うティナがおかしくてかずさもつられて笑う。
「もうそんなことまで考えてるの?まだまだ先でしょ」
「何が起こるかわからないでしょ、人生なんて」
「達観してるなぁ」
二人は緩やかに流れるシェーネ川の畔を見て笑った。
「さて、そろそろ戻らないといけないわね。また時間ができたら店に行くわ。それと今度私の家を教えるわね。その方があなたが好きな時に文字を教えられると思うから」
「うん、わかった」
二人はベンチから立ち上がった。
その瞬間、二人の間を突風が吹き抜ける。
思わず目を瞑ったかずさは次に目を開けると、ティナの一瞬の変化に気付いた。
「あれ...ティナ、髪のリボンがない!」
「え?あれ?!どこ!」
二人はすぐに辺りを見回す。すると、かずさは視界の端に赤色の物体を捉えた。
ティナのリボンは風に流され、今にも川の中に入ろうとしている。
『このリボンはそのおばあ様からもらった大切な物なの』
教えてくれた時のティナの優しいが表情が脳裏によぎる。
このまま川に入ってしまえば、リボンはたちまち水の中に沈み、二度と見つけられないだろう。
かずさに動かないという選択肢はなかった。
瞬間、かずさは人間離れした瞬発力で駆け出していた。一瞬で川の前まで駆け、そこからまた能力を大いに発揮した跳躍で空中にあるリボンを掴み、川の中に飛び込んだ。
一瞬の出来事にティナは惚けてしまったが、かずさが飛び込んだことだけはかろうじて認識し、慌てて川へと駆け寄る。
幸運なことに、すべてを見ていた人はおらず、かずさが川に飛び込んだのを見たのはティナだけだった。
ティナは水面を見渡してかずさを探すが、水中からその姿はなかなか現れない。
心配で顔を青くしたティナは川に向かって叫んだ。
「かずさー!!!」
ティナは不安な面持ちで再度川を見渡す。
しばらくすると、川の中からブクブクと泡が出てきて、かずさが勢いよく水面に顔を出した。そして、手に持ったリボンを掲げて笑う。
「ティナー!リボンはちゃんと取ったよー!」
その屈託のない笑顔を見て、ティナはようやく安心した表情でため息をついた。
「いいから、あがってきなさーい!」
その声を聞いて、かずさは悠々と平泳ぎで川岸まで泳ぐと川から上がってきた。
びしょ濡れの身体でかずさはティナに向き合って言った。
「はいこれ、大事なリボンなんでしょ。でもごめん、濡れちゃった。思ったより川の下に沈んじゃって...」
そのかずさの能天気な顔を見て、心配をしていたティナは濡れたかずさの肩を掴み大きな声を出す。
「あなたの方が大事でしょ!危ないことして!......でも......ありがとう」
怒りながらも感謝を述べたティナに、かずさも心配をかけてしまった、と反省する。
「心配かけてごめん......あと、どういたしまして」
ティナはかずさの肩を持ったままいきなり声をあげる。
「マチルダ!すぐに拭くものを用意して」
「は、ここに」
何処から現れたのか、そしてどこに持っていたのか。気がつくとティナの後ろにマチルダが控えており、手に持ったタオルを差し出す。
それを受け取ったティナはかずさの頭をわざと乱暴に拭く。
「これに懲りたら、もう二度としないでくれる?」
「はーい...」
頭をガシガシ揺らされるかずさは申し訳なさそうに返事をした。
次回は金曜日の夜に投稿予定です。よろしくお願いします。




