03話 月光は秘匿を守る
その日の夜、だいぶ長いこと話していた雪とレティも各々の部屋に帰った後、もう1人の来客があった。その客は俺が夜風で涼むために開けていた窓から当たり前のように侵入してきた。もし咄嗟に龍眼で見ていなかったら、間違いなく人を呼んでいただろう。
「や、元気ですか?」
「………………ヴォルフ、普通に扉から入ってくればいいだろ」
「偶然通りかかった時に窓が開いてたんだ。聞いたよここを離れるんだって?」
耳が早い、というか雪かレティとすれ違ったのか?ああいやこいつは外から来たんだ、それはない。じゃあカウレスに聞いたんだろうか?まあ別にそのあたりは本人の口からきけばいい。
「そうだけど、誰から聞いたんだ?」
「ん?カウレスに教えてもらったんだ。君もどうだい?ってここにいてもやることがないしね、君たちについていくよ」
「それはありがたいんだけど、こっちで身辺調査はしなくていいのか?」
「僕は正直過去の記録にはそこまで興味がないんだ。だから、大丈夫。それに君たちについていった方が面白そうだからね」
そんなことを何気ないようにヴォルフは言う。自分の過去がないことだけでどれだけ不安になるかを俺は知っている。記憶はいわば自分の存在証明、それがあってようやく人は自分がここにいて良いと思える。あらゆる積み重ねがあって初めて人は人らしくあれる。
しかしそんなものなくてもヴォルフは生きていけると、問題ないと言う。それが本当かは分からない。でもしばらくの間一緒に過ごしてきて、こいつがどこか悩む素振りを見せたことは一度もなかった。ならきっとヴォルフにとって過去というのは本当に些細なものなのだろう。
「そうだ約束は覚えてる?」
「………………ああ、今度は覚えてる。あれだろ、俺の手料理」
南部砦から中央に戻る前にヴォルフとそんな約束をした。食に対するこいつの熱意はどこから来るのか。以前は世界中を飛び回る美食家か何かだったのだろうか?
「前にもいったけど俺の料理なんて食えたもんじゃないぞ」
「構いませんよ。僕はアモウの料理が食べたいんですから」
そう言われると少し気恥しい。けどまずいものが食べたいわけでもないだろう、せめて少し雪に習うとするか。
「悪いけどまた今度な。今はほら腕が動かせないから」
「もちろん。あくまで確認しただけですから。ああそれと、その腕と足の魔術、僕なら以前のように解除できますけどしましょうか?」
「それなら頼んでいいか?正直気持ち悪い」
以前のように患部に槍をわずかに突き刺される。前感じたようにこの槍に刺されると仄かに嫌悪感を覚える。いやもちろん刺されて気持ちよく感じるよりは健全なのだろうけれど、それでも痛みとは別種の奇妙な感覚。治療の代価と考えれば耐えられはするけど、やはり気持ち悪い。
ほどなく治療も終わり、腕や足にあった不快感はなくなり、同時に傷が癒え始めた。治癒の阻害、肉体を蝕む不快感、それだけのものをあの一瞬で仕込めるほどにあいつの腕は卓越していた。
「終わりました。明後日ぐらいには動けるようになるんじゃないですかね」
「助かった、ありがとな」
「いいってことです。それにしても今夜は月が綺麗ですね」
月?そう言われて窓の外を見ると確かに一片の欠けもない美しい満月がそこにはあった。こうやって窓から月を眺めることはあまりない。星空をその輝きでかき消してしまう月はどうしても星を見るのに邪魔になる。別に嫌いなわけでもないけど、意識してみようとも思わない。でも確かに今日の月はあの決戦前に見たあの月と同じ美しさだった。
「こっちの月は欠けないんだな」
「月が欠ける、ですか。僕は見たことありませんね。神秘の月輪、星喰の虚影、神龍によって再現された月が欠けることもあるんですね」
「え?月が、再現?」
「あれ、知りませんでした?僕が覚えてるってことはだいぶ常識よりな認識だと思ってたんですけど」
初耳だ。神龍が月を再現、何のために?いやそもそも再現ということは本物の月、というかこの星の衛星は一度破壊されたのだろうか。
でも確かに再現された月なら満ち欠けがないのも、いやそれでも影はできるだろ。じゃあ何で?いやもしかしてあの月は太陽の光によって輝いてるんじゃなくて、
「あの月はあれ自体が光っているのか?」
「そうですよ。月を構成する魔力が龍眼なしでも視認できるほどに膨大なため、僕たちの目には光って見えるんです」
月を構成する魔力、そうか光り方の原理がむこうとは違うのか。魔力による光、少なくとも夜空に君臨できるほどに煌々と光る月を作ることぐらい、神龍はやってのけるということだ。ならもしかしたら太陽も神龍が作り出したものなんだろうか。
「太陽はどうなんだ?」
「太陽ですか?どうでしょう。少なくとも僕は月のように神龍が作ったなんて話は聞いたことがありませんね。まあ、あまり当てにはならないでしょうけど」
「別にただ気になっただけだから気にしないでくれ」
少なくとも世界を照らすほどの熱量は作れないと思っていいのだろうか?いやそもそも作る必要がないなら作らないか。月は地球ではそれこそその有無で大きく影響が出る。潮の満ち引きぐらいしか俺には思い当たらないが、きっと他にもあるのだろう。
「月が壊れた理由とかは覚えてるか」
「そこまでは。神龍によってつくられた月ということしか覚えていないみたいですね。でも調べたらすぐわかりそうですよ。僕でも知っていたほどなんですから」
ヴォルフが昔天文学者だった可能性、いや考え出したらキリがないな。ノルディック当たりなら知っているだろう。腕の痛みも引いたことだし話してみるかあいつと。
近くでゴロゴロしているアスターの首根っこを掴んで腹の上に乗せる。暴れはしないが、指をガジガジと噛まれてこそばゆい。机の上に置いてある干し肉をアスターに与えて機嫌を取り、魔力を流す。
僅かな静寂。空中に投影されたスクリーンは数秒の砂嵐を終え、ユーダニアまで通信を繋げる。
「やぁ、そちらから連絡してくれないからひやひやしたよ。しかし元気そうで何よりだ、天羽君」
「雪から連絡はいってるだろ。この通り問題ないよ」
ノルディックの方も問題はなさそうで、数日前にあれだけの大掛かりな魔術を使ったわりにはピンピンしている。
聞かないといけないこと、聞きたいこと、よく選んで聞かないといけない。まだまだ本調子じゃないから10分もすればきっと俺の体力がもたずに切れてしまう。
「それで、何か聞きたいことがあるのかい?」
「俺たちを襲ったナルバレックっていう子龍、聞いたことあるか?」
数秒黙り込んだノルディックはわずかに言い淀む。あれは知っている顔だ、それでも言うかどうか迷っている。言うべきことではないならあいつは上手くはぐらかすだろう。けれど迷うってことはきっと、俺からその名前が出たことは予想外だったはずだ。
「そうか…………彼女が。知ってはいるよ。ただ私が直に彼女に会ったのはほんの数回だ。それ以外は全て伝聞でしかないんだ」
「伝聞でもいいんじゃないか?」
「いや、私が知っているのは人間だった頃の彼女の栄光なんだ。正直子龍になってからは殆ど関わりがない」
人間だった頃、そうか子龍にはあるのかそういう時期が。でもわざわざわける必要があるのか?人間と子龍とを。
「おそらく彼女は人間だった頃の自分を他人としか見てないだろう。だからきっと話しても無駄なんだ。同名の別人と思った方がいい」
「別人?いやでも記憶をなくしているわけでもないんだろ」
「そうだね、それでも彼女は切り分けたんだ。人間だった頃と子龍との記憶を。それに足る理由があるのだろうけれど、あいにく私はそこまでは知らない」
記憶に残るナルバレックは確かに自分を龍であると言った。夢を見ているような気分で見ていたから記憶は少し朧気だが、そんなことを言っていたはずだ。確かにノルディックの言う通り、まるで人間だった自分を切り捨てるかのような言い方。過去の記憶を、その足跡を波が攫ったわけではなく、自分で切り分けた。理由はそれこそ本人しか知らないことか。
「すまないね、せっかく頼ってくれたのに」
「いや良いよ。炎龍について教えてくれるか?」
「それは構わないけど、私から話を聞くよりそこら辺の話はダースニック陛下やカウレス殿下に聞いてみるといい。その当事者たちだからね、きっと私よりも詳しいはずだ」
まあそれもそうか。今まで聞く機会がなかったけど今後はそれが目標なんだ。なら聞く機会はいつでもあるだろう。ああでもしばらくカウレスもダースニック王も忙しいのか。昼に聞いておけばよかったな。
「ただ一つだけ。炎龍が住まう龍域の呼び名を教えておこう。おほん、彼の龍が君臨するは死した火山、されど未だ燃え盛る炎の玉座、その名は『臨炎の死活火山』」
「そんな仰々しく言わなくても…………演出家に向いているんじゃないか?」
「ふふ、全て終わったら目指してみるのもいいかもだ」
まあ確かにゲームや小説だったらそういう盛り上げもありなんだろうけど、現実でそういう言い方をされても正直反応に困る。あ、でもヴォルフの本能はよさげだ。そういうのが好きなんだろうか。
「さて、そろそろ君の体もしんどいだろう?ここから私はお暇とするよ」
「あ、悪い。最後に一つだけ。空に浮かぶ月が神龍の作り出した偽物って本当なのか?」
「そうか、言ってなかったね。あまりにも当たり前すぎて言うのを忘れていたよ。確かに君の言う通りあの月は偽物、まあでも真贋なんてさして問題ないだろう?この世界の人々にとってあれは生まれた時から存在する本物の月なんだから」
それもそうか。産まれる前から存在するなら彼らにとってあの月こそが本物か。でもそうなるとだいぶ昔からあの月はあることになる。それこそ人という存在が生まれる前からあの月は存在する。ならいつ作られたのだろうか。
「君の言いたいことはわかるよ。ならいつ作られたか、だろう?遥か昔、天龍と神龍が争っていた時代、らしい。流石に私も直に見たわけじゃないからね。何故破壊されたのかまでは分からないよ」
この世界の月がどれだけでかいかは知らないけど、それでも衛星が破壊されるほどの戦いだったのか。もし天龍が勝っていたら、俺や雪もここにはいなかったのだろうか。それとも立場が逆転しているだけで、神龍の子龍になっていたのだろうか。
「ありがとなノルディック。ヴォルフは何か聞きたいことはあるか?」
「いいえ、ないですよ。2人の話を聞くだけで充分面白いですから」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さてそれじゃあしばらくは安静にしているんだよ。それじゃあね天羽君、ヴォルフ君」
そう言ってノルディックは通信を切った。そろそろだいぶ夜も更けてきた。さっきまでは傾いていた月も今では空高く昇っている。魔力による光はしんしんと傷ついたテノティトに降り注ぐ。
「それじゃ僕も部屋に戻りますね。何かあったら読んで下さい」
「ああわかった。あまり夜更かしするなよ」
「分かってますよ。アモウも早く寝るように。じゃ、おやすみなさい」
そう言ってヴォルフも部屋から、こんどはしっかりと扉から出て行く。
少し疲れた、今日は殆ど話しっぱなしだったから、やっぱり病み上がりの身としては少し応える。
抗えない眠気に抗うことなく、横になった俺はすぐに寝てしまった。




