29話 昔日の出会い
それはとても愛おしい光景で、でもどこか私にとっては違和感のある光景で。いつかの続き、アモウがユキと暮らし始めたころの記憶。今私はそれを見ている。
少し前に約束したこと。ユキの記憶を見せてもらうという約束を叶えてもらっていた。私が寝ている間に起きたこと、酷い地震にユキの錯乱。それを私が見たわけでもないが、それでも私は2人が心配になる。けれどその原因を知らない限りはやっぱりどうしようもないわけで、私はここにいる。
「それで、なぜあなたがここに?ここはユキの記憶ですよ」
「いろいろと事情があるんだよ。俺としてはあんまりこの先に記録を見てほしくない。今からでも引き返さないか」
目の前にはあのアモウ、アモウの記憶を案内してくれて、一度あの子龍から私を守ってくれた人。いまいちどう接していいかが分からない。彼もアモウで、だけど彼はアモウを嫌っている。その事実をどう受け止めていいかが分からない。アモウが自分自身を嫌っているという現実から目を背けたかった。
「私は引き返しませんよ。アモウからも頼まれていますから」
「あいつはそういうだろうな。ったく、自分の記録にすら頓着がないからこういう遠慮の無いこともできる…………約束してくれ、これから何が起きても雪のことを嫌いにならないと」
「?なりませんよ。大丈夫です、私はあなたたちの味方ですから」
私がそう言うと彼は困ったように微笑んで、記憶の風景が動き出す。記憶の中の小さなアモウはそれでも前に見た時よりは大きくなっていて、でもその表情はとても子供が浮かべるようなものではなかった。父親の死はやっぱりどうしようもなく彼の心に影を残している。
ここはきっと彼らが過ごしていた孤児院。外観は白を基調としていて、芝生の生えた広い庭には子供たちが遊んでいた。その中には見覚えのある子供がいて、楽しそうに遊んでいた。
「雪、来てちょうだい」
アモウの手を引く女性はユキに似ている。彼女がきっと雪のお母さんで、その呼びかけに応じて走ってくるあの幼い少女がユキなのだろう。
「なにお母さん。その子は誰?」
「この子は久美天羽君。お父さんの知り合いから頼まれたの。今日から一緒に暮らすことになるから、彼のこと面倒見てちょうだい。同い年だからすぐ仲良くなれるはずよ」
「うん、わかった。私、雪、ここ案内してあげるね」
「………………うん」
ユキに手を引かれて、アモウは子供たちの輪の中に混じる。けれどそこに笑顔はなくて、積極性は皆無だった。ただ質問されたことに短く答え、それ以外にはほとんど反応しない。
「酷いもんだろ。この時は色々どうでもよかったんだ」
「仕方、ないですよ。誰だって身近な人との別れは、」
「いいや違うんだ。この時俺には父親がいなくなったことへの安堵と、それへの嫌悪で自分が嫌いな時期だったんだ。酷いだろ、人が死んで安心するんだ。そんなこと母さんだったら絶対にしないのに」
「……それは、」
言葉が出ない。彼が言っていることはどこまでも本当のことなんだろう。彼のことは彼自身が一番わかっていて、幼いアモウが自身を苦しめる脅威から解放されたことに安堵してしまうのもきっと仕方のないことではある。そんな自分の感情に嫌悪感を抱いてしまうのもどこか私の知っているアモウらしかった。
場面は終わる。白に染まった世界は色を取り戻し、また新たな場面を紡ぐ。目の前にはところどころに怪我をしたアモウがいた。その傷は転んでつくようなものじゃなく、誰かに付けられたものに見える。何かを探しているアモウは廊下でユキを見つけたようだ。
「天羽君どうしたのその傷」
「なんでもない、ただ転んだんだ。救急箱はどこ?」
それでも転んだと嘘をつくアモウ。まだ幼い時分のユキはどう怪我をしたのか見当はついていなそうだった。2人の距離感は今のように近くない。知り合い程度のやり取りは今と違ってどこかよそよそしい。
「この時は、他の子達にいじめられていたんだ」
「なんでまたそんなことに」
「いろいろと、な。誰だって不愛想な奴は嫌いだろ。特に子供は仲良くしないというだけで相手を嫌いになれる」
子供は無垢で無邪気で時に残酷で。人を傷つけるという行為がどういうことかを理解できていないのだ。だから罪悪感を覚えることなく人を害することが出来る。そこに罪があるのかといえばそうなのだろう、けれどそこに責任があるのかといえば、私には分からない。孤児院にいるという頃は彼らも彼らなりに辛い思いをしたに違いない。その痛みを苦しみを私では推し量ることもできないでいる。
「どうして大人の人たちに頼まないの」
「迷惑だろ、忙しそうだし。それに面倒なことになる」
「面倒な事って?」
「面倒な事だよ…………ありがと、手当てしてくれて」
ぶっきらぼうで近寄りがたい印象をこの頃のアモウは抱かせる。今のアモウは誰であっても、それこそ敵であるあの子龍であっても理解しようと試みている。けれどこの頃のアモウは他人を理解するのを怖がっている節がある気がする。
「ちょっと待って。お礼に少し付き合って」
「………いいけど、何するの?」
「チェス。誰も相手してくれないんだ」
ユキはアモウの手を引いてどこかへと向かう。その部屋にはこの間教えてもらったひらがなが書かれていた。「ゆきのへや」、まだ発音は難しいけれど、読み書き程度ならできる。
雪の部屋はあまり物がなく。机とベッド、箪笥、それからちょっとしたおもちゃがある程度だった。物寂しい空間にユキとアモウが2人きり。ぽつぽつと始まったゲームは数十分で終わってしまった。
「知ってるだろ、雪はこういうのが得意なんだ」
「ふふ、そうですね。私も何回も負かされてます」
盤上にはアモウの駒は殆どなくて、ルールの分からない私でも分かるほどの惨敗だった。ユキはこの手のゲームでは手加減をしてくれない。圧倒的な実力差でいつもこちらを追い詰めてくる。
「………強いんだな」
「他の子達よりは善戦出来てるよ。また今度付き合ってね」
「この時からかな。雪が色々と世話を焼いてくれるようになったのは。元から気に変えてはくれていたんだろうけれど、向こうから話し掛けることは少なかったし」
「今じゃ考えられませんね」
「かもな。けどまあそれがよかったかどうかは別なんだ。確かに俺が真っ当な人間になれたのは雪のおかげだけれど、不満は溜まるだろ」
いったい誰の不満がたまるのだろうと思ったが、その答えはすぐにわかった。
場面は終わり世界はまた白へと戻り、新しく色づいていく。それは陰鬱な雲の下で行われる悲劇、ユキの目の前には傷ついたアモウがいて、そこには何人かの子供たちがいた。
「ちょっと!何してるの」
「……なんもしてねえよ。こいつがただ転んだだけだ」
「そんなわけない。天羽君口切ってる、どう考えても殴ったでしょ」
「雪いいから、俺が転んだだけだ」
「ちっ!カッコつけやがって…………聞いたか雪、言いがかりはやめろよな。ほらいくぞ」
リーダーのような体格の大きい子供が他の子を連れてその場から去る。泥にまみれたアモウは、本当に気にしてなさそうでそのまま立ち上がる。
「大丈夫なのアモウ君」
「大丈夫。言ったろこけただけだ。口は、舌を噛んだんだ」
「私からお母さんに、」
「やめてくれ、そんなこと望んじゃいない。俺は大丈夫だから」
痛々しくもユキからの助けをアモウは拒む。何の力もない子供のアモウが大人に頼らない理由なんて、相手を庇っているだけだ。アモウならそういうことをする。けれどそれは耐えられるだけの力があってのこと。
アモウはユキを置いてその場から去る。ユキは引き留めようとするが手を伸ばす出だけで止めてしまう。
「意固地だった。誰にも迷惑かけまいと殆ど1人で過ごしていたんだ。それが逆に迷惑になるなんて考えもせずに。俺がもう少し器用ならうまくやれたんだけどな」
「子供にそういうのを求めるのは」
「分かってはいるさ。ただ思わずにはいられないだろ」
場面はまた変わり、時刻はすでに真夜中。12までしかない文字盤ではすでに短針その頂点を過ぎている。子供たちは寝ている。アモウは2人部屋を1人で使っていて、まだ寝つけていなかった。窓際でただ星空を眺めていた。
「これってユキの記憶ですよね」
「ああ、前後関係は俺の記録が保管しているんだろ。ほらもう来るぞ」
部屋の扉がノックされる。アモウは物音を立てないようにベッドへと戻り寝たふりをする。けれどノックした主は部屋を去ることなく、入ってきた。
「起きてるよね天羽君」
「………………」
「窓の外から空を見ているの見えてたよ」
カタカナのコのような形をした孤児院は、反対側から向かいの部屋を覗くのはそう難しくはなさそうだ。アモウは諦めたのかベッドから身を起こす。ちっとも眠そうじゃない目をユキに向け、ようやく口を開いた。
「何?どうかした」
「寝れないのかなって。怪我は大丈夫?」
「大丈夫。頼むから大事にしないでくれ」
「うんでもね、お母さん心配してるんだ、天羽君が馴染めてるかどうか。それで今日あんなの見ちゃったから……………………うんん、本当はどうでもいいのかもね」
ユキはどこか不思議な笑みを浮かべてそう零す。それにはアモウも驚いたようでどう返せばいいかわかっていなかった。
「頑張ってるお母さんにこれ以上無理して欲しくない。お母さんに心配かけさせたくない。私の行動は君の為じゃないのかもだ」
「だったら、放っておいてくれよ。俺のことなんて。1人でうまくやるからさ」
「それはできないよ。だって天羽君不器用なんだもん。自分じゃなくて怪我させた大翔君を庇うのはやっぱりおかしいよ」
「俺も悪かったんだ。たぶん」
アモウも反論するが最後の方はどこか自信なく小さくなっている。アモウに悪い要素があったのか私には分からない。けれどきっと
「多分って、そんなことで納得してるの?」
「でも殴られるってことは俺が何かいけないことをしたからだろ!」
「やっと認めた。例えどんな理由でも殴られていいわけじゃないでしょ。それにそんなに怪我してたらお母さんは心配しちゃう。だから約束して、これ以上お母さんを心配させないように私に協力するって」
その要求はどこか断ることが出来ない雰囲気で、小さなアモウもそれに気圧されて頷いている。
「2人は最初こんな感じだったんですね」
「どちらかといえば雪の方が引っ張っていたかな。あの時はみんなのお姉さんのような役回りだったから。さ、次いくぞ」
世界は転調する。この平和な光景の後に雪が傷ついた原因があることを忘れていたわけではないけれど、油断していた。見る覚悟はできていたはずなのに、それでも目の前に広がる風景を受け入れたくはなかった。




