身を隠す猫
この日、都は年に一度の大賑わいでありました。と言いますのも、御社にて今年一年の豊穣を願う祭日なので御座います。
普段は仏頂面の旦那も、猫嫌いの女将も、冷静ぶった若者も、猫も、犬も、鼠も、牛も、この日ばかりは馬鹿に騒ぐのであります。
しかし、御社の中は御客とは全く違う意味で大騒ぎでありました。
「輝姫様は何方に行かれた!?」
「西の離れにはいらっしゃらなかった!」
この祭りの締めを任されます、神子猫の輝姫の姿が見当たらないのであります。
「戯れから戻られたかと思えばすぐこれだ!」
社中の猫と人が入り乱れ、部屋という部屋を探し回ります。輝姫が出てこない事には、この祭事は終われません。
彼方へ、此方へ、探し回り、ようやく一匹の猫がこう言いました。
「輝姫様がいらしたぞ! 奥の物置きだ!」
どうやら輝姫は酷く怯え、顔を出さないというのであります。御社の猫と人間は、どうにか輝姫を連れ出そうと頭を捻らなくてはなりませんでした。
「食べ物はどうか。確か輝姫様は道々屋の豆腐が好物であった。それを差し出せば気分も晴れよう」
「よし、人知れず調達しよう」
「ああ、くれぐれも人知れず」
ある人間は、山伏の格好をして社を飛び出しました。
「輝姫様は意地の悪さで隠れられているわけではない。真摯に付き合えば必ず分かって頂けます」
「よし、皆で願い奉ろう」
「ああ、くれぐれも真摯に」
ある猫は、物置の前で構えました。
「猫じゃらしで誘い出さないだろうか。輝姫様もやはり猫である以上、本能には逆らえまい」
「ならば迅速に容易致そう」
「ああ、くれぐれも迅速に」
ある人間と猫は、裏山へと駆けて行きました。
しかし残念な事に、その誰もが芳しい成果を挙げられませんでした。
「豆腐は手に入らなかった!」
「取りつく島もなかった!」
「猫じゃらしの季節じゃなかった!」
「ええい! 役立たず共め!」
戻った誰もが、事態を打破する手を有していなかったのであります。
「猫から譲り受けようと思ったが、金物には興味がないとあしらわれてしまったのだ」
「何を言っても反応すらない。暖簾に腕押しとはよく言ったものだ」
「山を丸裸にしても見つからないだろう。結局花見をしただけになってしまった」
皆、口々に事情を説明致します。そのどれもが仕方のない事でありながら、しかしそれでは事態が解決する筈などありません。
輝姫の側近猫である大吉十郎空楽は頭を抱えまして、どうしたものかと唸っておりました。
「嗚呼! 折角の祭事だというのに!」
猫なのか、人なのか、誰かがそう言って嘆きました。このままでは、祭りの締めはままなりません。
しかし、大吉はその言葉に巧妙を得たので御座います。
「そうだ! 祭事だ!」
大吉は近くの猫に指示を出しました。
「呼金の部屋に鏡があった。それを持って参れ。他の者は祭事の準備だ。輝姫様の御隠れになっている物置の前に集まれ」
言うが早いか、猫も人間も一斉に駆け出します。先程まで慌てていた猫達も、猫ではありますが鶴の一声でありました。
物置前に集まった猫達は、外の祭事を楽しむかの様に騒ぎます。輝姫に話し掛ける者など一匹もおりません。
人は踊り、猫は歌い、皆は大いに楽しんでおりました。自らを鑑みない対応に、さしもの輝姫も機嫌が悪くなります。ほんの少し顔を覗かせますと、近くの猫に問い掛けました。
「これその方らよ、これは何の騒ぎだ」
「豊穣祈願で御座います! 今日は祭事であります故!」
この言葉に、輝姫は大層憤ります。
「私がこうしているというのに、其方らは祭りを楽しむと!」
自らが蔑ろにされたと感じたのであります。
「いやしかし、貴女様よりも尊い御方が現れたのであります」
最も信頼する家臣の大吉が、まさかそんな事を申します。
これには輝姫も驚いて、すぐさま戸を開け顔を出します。
「其奴は一体何者か!」
しかし、そこに現れたのは輝姫自身でありました。
大吉が用意した鏡であります。輝姫は、それに映った自らを見て、体を強張らせて警戒してしまいました。何せ猫でありますから。鏡など、初めて見ましたから。
「今だ!」
「な、何をする!?」
途端、猫や人間が輝姫に飛び掛かります。せっかく姿を現したのですから、これを逃すまいと必死でありました。
忽ちお縄となった輝姫は、大慌ての家臣達に連れられて大忙しで御座います。猫マンマを食べさせられて空腹を満たし、毛並みを整えられてめかしつけられました。
何せ、輝姫は此度の祭事の主役であります。今日この時を締めますのは、輝姫を置いて他にないのですから。
そうして大慌ての一日は幕を閉じました。もしも輝姫が猫でなかったのなら、もっと大変だった事でしょう。
大吉はそんな事を思い、ぶるると身震いをしました。しかし、そんな事はすぐに忘れてしまうのであります。
そう、何せ猫でありますから。




