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恋だけが残る  作者: 青木りよこ
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今年のクリスマスイブは振替休日のため彼は朝からずっと家にいて十一時になっても起きてこなかった。


「おはよう」

「おはよう。朝ごはん食べる?」

「食べる」


彼は大きなあくびをした。

身体が長いため余計大きく見えた。

その大きなお口に何か突っ込んでやりたくなるほど。


「朝から早いな、あんた」

「もう十一時だけど」

「休みなんだからいいだろ」

「昨日もお休みでしょ」

「寝てたら嫌なわけ?」

「ううん。全然」

「ホント可愛くない。飯」

「顔先洗う」

「はいはい」


卵を二つ割って目玉焼きを焼く。

鮭の西京漬けを焼いてお味噌汁を暖めあおさのりを入れると顔を洗った彼が椅子に座り、空腹を満たす予感に整った顔を微かに緩ませる。


「美味そうだな」

「そう?アボガドは?」

「食べる」


アボガドを角切りにしカフェオレボウルに盛り付けボイルエビと一緒にイタリアンドレッシングをかけて出す。


「奈緒、筋子」

「はいはい」


筋子。

あの人が食べなかった筋子。

中性脂肪、コレステロール、血圧、血糖値、悪玉菌、ピロリ菌。

健康とは真逆に疾走していく言葉をできるだけ頭に浮かべてみるが、彼は涼しい顔であの人が得られなかった甘美さを空気の様に享受していく。


「美味しい?」

「ああ、美味いな」

「それは良かった」


そうだ。

こうしてる瞬間にも私達は死に向かっている。

それどころか、一秒後には死んでいるかもしれない。

どんな人間だって自分がいつ死ぬかだけはわからない。

あの人だってそうだった。


「奈緒。お茶」

「はいはい」

「はいは一回で良くないか?それともアイツにもそうしていたのか?」

「してません。ちょっと待ってて」


お茶の入った湯飲みを彼の前に置いて、彼の目の前の椅子に座る。


「座るのか?」

「座っちゃいけない?」

「嫌、いい。そのままでいろ」

「え?」


彼はお茶を一口飲むと立ち上がり台所から出て行く。

私は彼の座っていた空席を見つめる。

彼はすぐ戻って来た。

手には白い紙袋を抱えている。

紙袋には赤いリボンがかかっている。


「クリスマスプレゼントだ。受けとれ」


他に言い方はなかったのだろうかと考えてが、恥ずかしいのがわかったので椅子から立ち上がり受け取った。


「有難う。開けてもいい?」

「ああ」


リボンを解き出てきたのは白いエプロンだった。

あの人が買ってくれたようなフリルエプロンじゃなくカフェの店員さんが着るようなビブエプロン。


「有難う。嬉しいわ」

「本当か?」

「本当よ。ねえ、でも貴方ひょっとして・・・」

「ひょっとして?」


彼が椅子に腰を下ろす。

私は立ったままだから彼が私を見上げる形になる。

そうすると今までで一番彼が幼く見えた。


「貴方私のこと、お母さんだと思っている?」

「は?」


今までで一番露骨に嫌な顔をされた。

わざとそういう顔をして見せるのでなく、細胞レベルでそれを拒絶された感じがした。


「ごめんなさい。違うのね」

「当たり前だろ。アイツは知らないが俺は母親を求めてるわけじゃない」

「そうね、ごめんなさい」

「前にも言ったが、俺はあんたに好意を持っていると設定されているんだ。アイツなんだから当然だろ。普通にあんたが好きなんだ」

「設定・・・」


設定か。

あの人とは色んな設定で遊んだ。

組織を裏切り地方の狭いアパートで身を隠しながら暮らす男女。

お兄様の買ってくれたベッドじゃ大きすぎて狭いアパートに入らないんじゃということになり、設定をきちんと守るため、あの人はソファで寝ようと言いだした。

可笑しな夜だった。

でもとても楽しかった。

私達はその夜コードネームで呼び合った。

私がアインで、あの人がツヴァイ。

あの人はそんな設定で遊ぶのが好きだった。

違う誰かになりたかったのだろうか。

でもいい。

その世界でも私はいつだって彼の相手役でいられた。

あの人は小説も漫画も読まないし、ゲームもしなかったけど、どうやって色んな設定を考えていたのだろう。

もうわからない。

私の夫だったあの人はもういない。

彼の中にも当然いない。

この遊びを知っているのは私だけ。

私が口元を両手で押さえ笑うのを我慢していると彼は怪訝な顔をした。


「おい。一人で笑うな」

「だって」

「だってじゃない。あんたはいつもそうだ。勝手に笑う。勝手に納得する」

「ごめんなさい」

「謝ればいいと思っている」

「それはあるかも」

「いつもアイツのことを考えてるな。そんなに思い出せることがあるものか?」

「あるに決まってるでしょ。七年分のストックがあるのよ」

「笑うようなことがか?あんな面白くない男に?」

「あの人は面白いわよ。ねえ、私のことはお母さんと思ってなくても、あの人のことはお父さんと思っていたりする?」

「は?」

「だってあの人が貴方を作ったんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、お父様ってことじゃない?」

「あるか、そんなこと。せいぜい兄貴だろ。できそこないのロリコン兄貴」

「じゃあ私は兄嫁?」

「どうしてそうなるんだ。普通に好きだと言っただろ」

「そっか。ねえ、さっそく着てみていい?」

「は?ああ」


私は着ていた黒い何の変哲もないエプロンを脱いで、彼がくれた白いエプロンを身に纏う。

今日着ている黒いタートルネックのセーターとグレーのフレアスカートにはこっちの方が似合う。


「似合う?」

「エプロンが似合わない人間がいるのか?」


あの人は私が似合う?と聞くといつもこう言ってくれた。

奈緒ちゃんは何を着ても可愛いよと。

崩れようのない研ぎ澄まされた冷静で抑揚のない声で。

でも、心の底から感嘆し、称賛してくれるのがわかった。

あの人が私に話すとき声にいつも高揚があった。


「ふふっ」

「何だ、また笑って」

「そうね。でも今のはあの人じゃないわ。貴方よ」

「は?俺が何か言ったか?」

「そうね、そういうところよ」

「は?」

「あー、可笑しい。ほらさっさとお茶飲んで。片付けるから」

「何かするのか?」

「ケーキ作らないと。貴方がショートケーキ食べたいって言ったんでしょう。苺のショート」

「ああ、言ったな。生クリームでドロドロにしてくれ」

「任せて。生クリームたっぷりで作るわ。今日はお腹いっぱい食べましょう」

「ああ」


可笑しな子。

あの人を複製したとはとても思えない。

顔と声以外まるで複製できていない。

あの人の記憶を持ってしても、持っているから余計だろうか。

余り好きではないお兄さんの様にはならないという反発心?遅すぎた反抗期?

あの人がいたらこの設定を喜んだだろうか。

少しひねくれた弟と妻との三角関係を。



































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