1 付添人
西部大陸にある大国の一つ、フランシュ王国の王都ディジョンの中心部近くには各地の領主貴族たちが王都滞在時に過ごすためのタウンハウスが立ち並ぶ貴族街がある。その貴族街には高位貴族たちが己の威信を示すかのように広大な屋敷を構える一方で、巨大な屋敷と屋敷の隙間を埋めるように小貴族たちのこじんまりとした屋敷が点在している。
そのこじんまりとした屋敷の一つ、メラール男爵家のタウンハウスのテラスにて、暗めの金色の髪をもつまだ若い娘が安楽椅子に揺られながら庭の様子をぼんやりと眺めていた。彼女の名はアンリエット・メラール。メラール男爵家の次女として家族からは可愛がられてきたものの、貴族子女としては際立った容姿を持つわけでもなく、言ってしまえば王都の社交界の中では田舎娘の一人に過ぎなかった。
アンリエットの視線の先では庭の木の葉が秋風に揺られて舞っていた。一枚、二枚、三枚……色付いた葉が次々と妖精のように舞い、時に風に運ばれてよく晴れた秋空へと飛び去ってゆく。
アンリエットと同世代の貴族の若い娘、それも領地から王都に出てきた娘ともなれば王都での滞在期間をめいっぱい楽しもうと社交に買い物に観光にと、とにかく外出することを好むのが常だった。しかしアンリエットは王都でもこうして一人でゆっくりと庭を眺めたり、本を読んで物語の世界に耽ることを好んでいた。
そんな風に小さな庭の季節の風景を眺めてのんびりとした時間を過ごす彼女の耳に、侍女のクロエが主を呼ぶ声が届いた。
「アンリエットお嬢様、そろそろ夜会の支度をする時間でございます」
「あら、もうそんな時間だったかしら?」
アンリエットは椅子から身を起こすとクロエの方をゆっくりと向く。侍女が告げた通り、今夜は友人からの依頼で付添人として夜会に出席することになっていた。
付添人とは王国社交界独自の仕組みで、夜会の招待状を送られた高位貴族が社交の場に同伴者として選んだ参加者のことを指し、貴族であること、一緒に受付を行うこと、何かあった時に選んだ側が責任を引き受けることが条件となっている。もともとは親族を紹介するための口実として誰かが言い始めたことだったのだが、今では友人や派閥関係者など様々な人物を社交界へ招待するための公然とした仕組みとなっており、行事的な意味合いの強い大規模な夜会においては付添人を見越して高位貴族にしか招待状が送られないようになっているほどだった。
「さあ、どうか部屋で今日のドレスをお選びください」
クロエの仰々しい言い方にアンリエットは苦笑いを浮かべた。高位貴族の家ならともかく、メラール男爵家には選べるほどのドレスの選択肢はないからだ。文字通りの一張羅ということはないけれども、前回参加した夜会で着たドレスを避け、随伴を依頼してきた友人と色を被らないようにすることを考えるとまず選択肢は残らない。
実際、部屋に行って用意されていたドレスを確かめてみると、緑・黄・青の三着のドレスが用意されていたが、その中から前回着た緑色と友人と色が被る黄色を除くと青色のドレスしか選択肢は残らなかった。もちろん、そのことは当然クロエも理解していたが、アンリエットの母である男爵夫人が服やドレスを選ぶことを好み、幼いアンリエットも母と一緒に服を選ぶのを楽しんでいたため、その名残として着る服を尋ねるのが習慣となっているのだ。
「今日はこれにするわ」
そう言ってアンリエットが青いサテン製のドレスを指し示すと、クロエは恭しく頷いて主の着替えの用意を始めた。まず部屋着としてアンリエットが着ていたワンピースを脱がせると、全身を拭きながら体に傷がないか確かめ、それから肌着を着せてコルセットを取り出した……ところで、アンリエットが一つ注文を口にした。
「そこまで締め付けなくても良いからね?」
「はい、承知しております」
体型を細く見せるためのコルセットは貴族女性の嗜みであると同時に、その無理な締め付けは苦痛の源でもあり、表立っては口にしないものの本音としては乗り気でない人は一定数存在した。そんな人たちは決まってコルセットを着用する際にアンリエット同様に手加減を望んだが、悲しいことにその望みは主を美しく着飾ることを優先する忠実な使用人によって無視されるのが常だった。
当然この日も、クロエもアンリエットを理想の体型に近づけるために心を鬼にしてコルセットをぎゅっと締め付けた。アンリエットは必死に悲鳴を堪えたが、それでも世間一般と比較するとまだ緩い締め付けではあるのだった。
そうしてコルセットの装着を終え、ペティコートを履いてドレスに袖を通すと、仕上げのためにアンリエットは化粧台の前に座った。
「今日の髪型はいかがなさいますか?」
「そうね……この前と同じ編み込みでお願いできるかしら。飾りは少なくて良いでしょう。目立つわけにもいかないし」
「かしこまりました」
アンリエットの指示を受けたクロエは主の長い髪をゆっくりと梳かすと、流行りの髪型をイメージして髪を編み込んでいく。
最近の社交界では手間暇かけて編み込んだ髪をさらに宝石やアクセサリーで華やかに飾り立てるのが流行だったが、男爵家の財力ではそんなことができるはずもなく、いくつかのシンプルなアクセサリーや布で飾り立てるのがやっとだった。ただ、大抵の中小貴族家の子女の装いは似たようなものだし、付添人という立場のことを思えば地味なくらいでちょうど良い、というのが主従揃って一致した見解だった。
(いつか結婚式のような自分が主役の場では飾り立ててみたいのだけど、我が家は姉さんの持参金の目途もついていないのよね……。持参金の心配をせずに済むような殿方がいれば嬉しいけれど、そんな幸運早々転がっていないし……。当面はリリーから頼まれた役割をこなしていくしかないわよね)
クロエに身を委ねながらアンリエットがぼんやりとそんなことを考えていると、いつの間にか化粧まで終わっていた。
「さあ、お嬢様。これでいかがでしょうか?」
侍女の言葉に促されてアンリエットが鏡を覗き込むと、そこにはいつもの地味な顔から夜会向けの華やかな顔(当人比)になった自身の姿があった。
「ええ、ありがとう」
ゆっくりとアンリエットが頷いて感謝を告げたところで、部屋をノックして屋敷の使用人がやってきた。
「アンリエットお嬢様、先触れが到着しまして、まもなくリリアンヌ・ド・ルシーニュ伯爵令嬢がいらっしゃるとのことです」
「わかりました。すぐ向かいます。……相変わらずクロエの時間の読みは完璧ね」
アンリエットが自分の侍女を褒め称えると、クロエは静かな一礼でそれに応えた。
主従揃って屋敷の外に出ると、ちょうどルシーニュ家の紋章をつけた馬車が男爵家の門前に到着したところだった。
馬車から明るい金色の髪を複雑に結い上げた上で大きな宝石のついた髪飾りで飾り、見事な刺繍が施された黄色いドレスを着た美女が姿を見せると、それだけで周囲の空気が一気に華やぐ。そんな美女の姿を認めると、アンリエットは大急ぎで近寄って声をかける。
「ごきげんよう、リリー。迎えに来て下さってありがとうございます」
「ごきげんよう、ヘティ。少し早く着きすぎてしまったわ。ごめんなさいね」
「どうか気になさらないで。さきほど支度が終わったところだったから、ちょうど良いくらいだわ」
「それなら良かったわ」
アンリエットと「リリー」「ヘティ」と互いの愛称で呼び合い、にこやかに談笑するこの美女こそがメラール男爵家の隣領であるルシーニュ伯爵領を治めているリリアンヌ・ド・ルシーニュ伯爵令嬢その人であり、アンリエットを今夜の夜会に付添人としての随伴を依頼した張本人でもあった。
アンリエットとリリアンヌの二人は幼い時からの友人同士であり、先代のルシーニュ伯爵が亡くなって伯爵家の古びた継承法のためにリリアンヌが女性相続人となった現在でもその友誼は続いている。
女性相続人となったリリアンヌと結婚することができれば伯爵の地位と財産が得られるとあって、彼女の許には大勢の求婚者が押し寄せてきていたが、自身が伯爵位を相続することを望む彼女はその全ての誘いを断っていた。正面からの結婚の申し込みは丁重に断れば一応はそれで済んだが、得られる利益の大きさから誘拐などの実力行使の危険性も考えられるために、社交の場のように一般の護衛や侍女を同伴させられない場所にはアンリエットのような信頼できる友人が付添人として護衛代わりに付き添うことになっている。
もちろん、付添人側には報酬が提示されており、夜会に参加するためのドレスを仕立てる費用の援助や、他にも結婚相手として条件に見合う男性が見つかれば紹介するというのも報酬の一つだった。
「そのドレス、リリーの黄金色の髪にとてもお似合いね。黄色をベースに、ところどころにさした青がとても映えているわ」
「これは王都の仕立屋に依頼していた新作よ。色々あって仕上げが遅くなってしまったのだけど、何とか今期に間に合ったのでお披露目したくて」
「まあ! それは何よりです。わたしの格好は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫、安心して。今日のヘティもとっても可愛らしいわ。さ、そろそろ馬車に乗りましょうか」
「ええ、わかったわ」
話の流れで互いの服装について話したりしながら、アンリエットはリリアンヌに続いて伯爵家の馬車に乗り込んだ。乗り込む際にふと御者台を見ると、御者ともう一人、見覚えのない女性が座っているのが目に入った。
「迎えはいつもの時間にお願いね」
リリアンヌの隣に座ったアンリエットが窓を開けて見送りのクロエに迎えの時間を伝えたところで、馬車はゆっくりと動き出した。
「今日はあと二人、アルトワ男爵令嬢とコラス男爵令嬢を連れて行くわ」
「あの二人ですか。それなら賑やかになりそうですわね」
名前を告げられた二人の男爵令嬢とは何度か一緒に付添人として夜会に参加した記憶があり、特にアルトワ男爵令嬢は西部独特の訛りがあり印象に残っていた。
付添人との合流は現地集合にする貴族もいたが、リリアンヌは毎回必ず同じ馬車に乗せてから会場に向かうことにしており、最初にアンリエットを乗せて二人だけで話す時間を作るのが常だった。
「今日の夜会は……公爵家の主催でしたかしら?」
「ええ、今年はブロワ公爵家が主催よ。秋の終わりの夜会ですから名目上だけで最初の挨拶に顔を出すだけで見送りとかはないはずよ。……ふふふ、エリー、今は二人きりだもの、そんなに堅苦しくならなくて良いわ」
真面目な顔をして夜会までの流れを確認していた二人だったが、耐えきれなくなって先に笑い出したのはリリアンヌの方だった。そしてそれに釣られてアンリエットも笑い出し、二人で顔を見合わせて笑いあった。
「あはは、私ももう限界~。次の娘を乗せるまでは気楽にさせてもらうね。そういえば御者台に見慣れない人がいたけど、あれって新しい護衛なの?」
「ええ、そうよ。サラサはよく働いてくれているけど、一人だけだと休みも取れなくて大変でしょ。だからツテを辿って何とか雇ったの。女の護衛って探すのにも一苦労なのよね」
「なるほど。未来の伯爵サマは大変ね」
「ほんっとーよ。男なら爵位の継承にぐちぐち言われなくて良いのに、どうせ私しかいないんだから、素直に継承させて欲しいものだわ」
「家の継承法の方が国法に優先するなんて、古い家は大変だよね。でもリリーならきっと出来るよ。応援してるから頑張って」
「ヘティ……いつもありがとう。お礼に良い相手がいたら絶対に紹介してあげるから」
「あはは、期待せずに待ってるよ。うちは持参金の用意がねぇ……」
「お金が何よ、って言いたいところだけど、財産は人を狂わせるからこうしてヘティにも付き添いを頼んでいるんだものね」
「まったくまったく。お世話になってまーす」
「こっちもお世話になってまーす」
アンリエットが援助のおかげで買えたドレスの裾をひらひらさせて笑うと、リリアンヌも笑いながら感謝の意を伝えた。
「肝心の爵位継承のための計画は順調なの?ええと、南北街道の再開発計画……だっけ?」
「正確にはルシーニュ領を通る南北プロヴァンス両街道の結合・整備計画ね。どちらの道も王都を起点に南東にある港町ヴァンスに辿り着くところは同じでも、名前通り途中の道は南北に大きく分かれているから運ばれる物が色々と違って、せっかく二本ともうちの領内を通っているのだからもう少しそれを活かして経済を活性化させよう、という計画ね」
「よくそんなにスラスラと説明できるね。えーと、景気が良くなって税収が増えればその功績で爵位継承が認められるって寸法なんだっけ?」
「前例はあるからそうなると思いたいわね。女が戦で手柄を立てるっていうのは昔のような戦乱の時代じゃあるまいし、現実的ではないもの」
徴税権が貴族の手から国に取り上げられてはや数世代、今では国に納められる税収額がその土地を所有する貴族の国への貢献度を測るバロメーターとして利用されるようになっていた。
「あー、姉さんから聞かされたことあるかも。戦死した夫に代わって城を守り抜いた妻が褒賞として爵位を継ぐことを許されたって話でしょ」
「百年以上昔の話ね。ところで話を戻すと、ヘティのところは北街道の領地と縁があったりしないかしら?」
「うーん、ちょっと記憶に無い、かな?やっぱり同じ南街道沿いの家との付き合いの方が多いし」
「そう……うちも領都は南だから北街道沿いの家とはちょっと付き合いが薄いのよね。その分、声をかけることで取引量は増える見込みなのだけど、他家の需要も呼び込めないか調査中なの」
「うちのことに一番詳しいのは父さんや兄さんだし、後で訊いておく?」
「そこまでしなくても良いわ。既存の需要がないのなら新しく生み出すだけだもの。あら、そろそろアルトワ男爵家に着くみたいね。リリーは馬車の中で待っていてくれる?」
「ええ、わかったわ」
こうして二人の男爵令嬢を順番に拾い上げると、四人を乗せた馬車は夜会の会場へと向かった。
歴史上の「付添人」は基本的には住み込みのお役目(貴族女性の仕事なので家庭教師同様に建前上は労働ではない扱い)で社交の付き添いだけでなく普段からの話し相手とか色々な役割を果たすものでした。本作の扱い方だとシャペロンの方が近い気もしますが、どちらにしても歴史上の意味からはズレるので言葉だけ借りて独自の用法をしています。




