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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第018話 当主の鉄槌

 ヴァルゼイド公爵邸でのお茶会という、社交界を震撼させた出来事から数日が経過した。


 あの日、不憫な公子ユウの友人として唯一認められたフェルトン男爵家の境遇は、劇的な、あまりにも劇的な変化を遂げていた。

 歴史の陰に埋もれかけていた弱小貴族の名は、ヴァルゼイドの知遇を得たという一点において、王都の貴族たちが無視できない輝きを放ち始めていたのだ。

 しかし、貴族社会の深層に(よど)む根深い悪意は、一朝一夕に霧散するほど生易しいものではない。

 むしろ、これまで見下していた『泥の種』を持つ家系が、自分たちを差し置いて公爵家の寵愛を得たという事実は、傲慢な名門貴族たちの自尊心に、永遠に消えない火を灯していた。


 王都の北側に位置する、白石で舗装された貴族御用達の馬車専用道路。

 並木の若葉が午後の柔らかな陽光に透ける穏やかな日和の中、再び公爵家からの正式な招待を受け、邸宅へと向かっていたフェルトン男爵の馬車は、突如としてその進路を断たれた。

 三台の豪華な馬車が、申し合わせたかのような完璧な連携で進路を塞ぎ、強引に停車させたのだ。


 馬車の扉に刻まれていたのは、あの日ユウの前で底知れぬ恐怖と屈辱を味わわされたアトウッド伯爵家、そしてそれに同調し、虎の威を借るチェスター家とロウェル家の紋章であった。

 周囲に人通りのないことを見計らった、卑劣な待ち伏せ。

 馬車から降りてきたのは、レオを筆頭とする少年たちであった。

 彼らは大人たちの目を盗み、自分たちが受けた汚辱を(すす)ぐべく、憎悪を煮詰めた瞳で、馬車から降りて来たフェルトン親子の前に立ち塞がった。


「運が良かったな、フェルトン。公子がたまたま気まぐれを起こされたおかげで、不浄な泥の種を献上する非礼を咎められずに済んだのだからな」


 レオの声は、震えるような憎悪と、隠しきれない卑屈さに満ちていた。

 彼はあの日、公爵家から一切相手をされなかったことで、相当にプライドを傷つけられていたのである。

 その苛立ちをぶつけるために、彼はより弱い者への攻撃という手段を選んだのだ。


「お前たちが公爵家の慈悲にすがったせいで、我ら名門の誇りは傷つけられた。たかだか種を献上しただけで、公子の側近面をするとは、身の程知らずにも程がある。今からでも遅くない。お前たちが公爵家に『分不相応でした』と辞退の申し入れをするんだ。さもなければ、お前たちの領地がどうなるか、分かっているな?」


 卑劣な恫喝。

 レオは腰に下げた魔石のブレスレットに手をかけ、威嚇のために右手の指先に小さな火球を出現させた。

 リーゼロッテは父の背後に隠れながら、小さな身体を震わせていた。

 あのお茶会で得た温かな絆が、またしても悪意によって引き裂かれようとしている。

 男爵は娘を庇うように立ち、怒りに顔を赤くしながらも、必死に礼節を保とうとしていた。

 だが、その眼前に火球が突きつけられた時、男爵は覚悟を決めたように声を絞り出した。


「レオ様……、公爵閣下のお言葉を否定されるおつもりですか。私共は、ただ御招待に従っているまでです」


「黙れ! 公爵家がいない場所でまで、威を借るつもりか! 貴様のような泥臭い奴らに、これ以上ヴァルゼイドの名を汚させるわけにはいかないのだ!」


 レオが火球を放とうとした、その刹那だった。

 フェルトン家の古ぼけた馬車の窓が、静かに、だが絶対的な威圧を伴って開かれた。


「……誰の名を汚すと、今、そう言った?」


 大気そのものが凍り付くような、重厚で冷徹な声。

 その声の主が馬車の内側から姿を見せた瞬間、レオたちの時間は止まった。

 ゆっくりと、まるで深淵から這い出る巨獣のように、一人の男が馬車から降り立った。

 ヴァルゼイド公爵家当主、ガルド・ヴァルゼイド。

 この国の軍部を束ねる王国元帥が、あろうことか、一介の男爵の馬車に同乗していたのだ。


 ガルドは、あの日以来、末息子ユウがリーゼロッテの持ってきた種を慈しみ、彼女との再会を指折り数えて待っている様子を見て、父親としての過保護な情動を抑えきれなくなっていた。

 大切な賓客が、道中で羽虫に絡まれるようなことがあってはならない。

 その懸念が現実となった今、彼の周囲に漂う空気は、戦場での殺戮を想起させるほどに鋭利なものへと変貌していた。


「が、ガルド……公爵、閣下……? な、なぜ……」


 レオの指先から火球が消え、代わりにガタガタと歯の根が合わない音が響き始めた。

 ガルドは無表情のまま、一歩、また一歩と少年たちへ歩み寄る。その足音が響くたび、レオたちの心臓は鷲掴みにされるような圧迫感に襲われた。


「我が家へ向かう賓客を、路上で待ち伏せして脅迫とはな。アトウッドの教育方針には、盗賊の真似事も含まれているのか? それとも、我がヴァルゼイドを、その程度の矮小な策で見通せぬと侮ったか?」


 ガルドの放つ威圧感は、もはや物理的な質量を伴っていた。

 レオの背後にいたチェスター家とロウェル家の少年たちは、あまりの恐怖に膝を突き、その場にくずおれた。


「処断してやっても良いのだがな。我が愛しきユウが、またお前たちの汚らわしい声を聞くのは忍びない。ユウの耳は、そのような濁った音を聞くためにあるのではない」


 ガルドはレオの至近距離で立ち止まり、その巨躯から放たれる圧倒的な覇気を叩きつけた。

 それはかつて、数万の敵軍を壊滅させた際の、冷酷な武人の顔であった。


「貴様らが否定しているのは、フェルトンではない。彼らを友人として認めた私の妻、私の息子に娘、そして何より、我が魂の光であるユウだ。次、私の耳に我が友人を侮辱した言葉が入った時、貴様らの家名ごと、この世から消し去ってやろう。その時、貴様らが頼りにする血筋や伝統が、どれほど無価値なものか、その身を持って知ることになるだろう」


 それは慈悲などではなく、明確な排除の宣言である。

 レオたちはあまりの圧力に失禁せんばかりの勢いで逃げ出し、自身の馬車に乗り込み、一斉に逃げ出したのだった。



――――

 アトウッド伯爵邸の応接室。


 アトウッド伯爵は、真っ青な顔で帰宅し、震えの止まらないレオから事の顛末を聞き、手にしていた最高級の磁器を床に叩き落とした。


「馬鹿な……! あのガルド公爵が、わざわざフェルトンの汚い馬車に同乗していたというのか! 何という失態だ……。何という愚かな真似を!」


 伯爵の額からは滝のような汗が流れ落ち、膝の震えが止まらない。

 彼は、単なる子供同士の嫌がらせだと楽観視していた自分を、そして教育を怠った自分を呪った。

 公爵が自ら動き、かつ『家名を消し去る』と口にしたのだ。

 それは社交界における死刑宣告以上の絶対的な破滅の予告であるのは間違いない。


「おい、すぐにチェスターとロウェルに連絡しろ! 今すぐ、ありったけの詫びの品を持って、ヴァルゼイド邸へ向かうぞ! 門前払いを喰らおうと、公爵閣下の怒りが収まるまで地面を這ってでも許しを請うのだ! もし許されなければ、我が家は明日にはこの国から消えることになる!」


 チェスター家、ロウェル家の当主たちもまた、泡を食って準備を始めた。

 彼らが集めた金品や魔石、稀少な美術品の山は、まさに一財産に匹敵する規模であったが、命と家系には代えられなかった。

 王都の街中を、なりふり構わず全力で疾走する有力貴族たちの馬車。

 その異様な、そして必死な様子は、周囲の貴族たちの間でも瞬く間に噂となり、フェルトン男爵家がヴァルゼイドの()()そのものであることが、決定的に周知されたのである。



 一方、公爵邸の門を潜ったフェルトン親子の馬車内には、ガルドが重厚な存在感を放って座っていた。


「男爵、不愉快な思いをさせたな。我が家に向かう道中でこのような羽虫が湧くとは、当主としての管理不足だ。……しかし、リーゼロッテ嬢」

「は、はいっ!」

 ガルドが視線を向けると、リーゼロッテは背筋を伸ばして聞き入った。


「ユウが君を待っている。あの子は、君が持ってきた種を、毎日大切に眺めているのだ。あの子の笑顔を曇らせる者は、例え誰であれ私が許さん。今後、何かあればすぐに私に言え」

「は、はい……! ありがとうございます、公爵閣下!」


 男爵は恐縮のあまり縮こまっていたが、リーゼロッテの瞳には、かつてないほど強い信頼の光が宿っていた。

 屋敷の入り口では、エレインがユウを連れ、ゼノンとサリアと共に並んで待っていた。


「お帰りなさい、あなた。……あら、道中で何かあったのかしら? あなたの服に、少しだけ戦場の匂いが残っていますけど?」


 母様が、鋭い洞察力を込めて微笑んだ。


「羽虫が少し、道を塞いでいたのでな。徹底的に追い払っておいた。二度と日の光を拝めぬようにとな」


 父様が平然と答えると、母様は全てを察したようににっこりと微笑んだが、その目は深い冬の湖のように全く笑っていない。


「まぁまぁ。それなら、あの方たちが後で持ってくるであろう詫びの品は、全てリーゼロッテさんの領地のために使わせていただきましょうか。それが一番、ユウのためにもなりますわ」


 母様が平然と放ったその言葉に、男爵とリーゼロッテは目を見開いて絶句した。

 伯爵家を含む有力三家が差し出すであろう莫大な慰謝料、それを公爵家は一銭も受け取らず、すべて自分たちのために役立てろと言うのだ。

 それは経済的な支援を通り越し、フェルトン家が公爵家の盾であることを全貴族に知らしめるという、冷徹かつ完璧な庇護の宣言であった。



 リーゼロッテの手を取り、共に庭園へ向かう背後で、俺は父様と母様が「さて、どの程度の誠意を見せるかしらね」と静かに語らう声が聞こえてきた。


 それは、弱き種が覇王の加護という陽光を浴びて、やがて黄金の大輪を咲かせる未来の予兆でもあるのだろう。

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