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<完結済み> 欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: 第三ひよこ丸


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第121話  開戦の咆哮

 あの中央大聖堂が崩れ落ちるという、まるでおとぎ話のような奇跡。それは、この国で威張っていた古い考えの貴族たちを、物理的にも政治的にも二度と立ち上がれないほど叩きのめしただけではなかった。その凄まじい影響は、国境を越えた先にある隣国、ガルヴァニア帝国の汚い野心さえも粉々に砕いてしまったようだ。



 数日後の深夜。王都を包む静寂は、死の予感がするような、不自然で重苦しいものだった。風さえも石造りの壁を避けるようにピタリと止まり、澱んだ空気が廊下の隅々にまで溜まっている。

 王宮では、大聖堂を建て直すのを手伝うという名目で、帝国からやってきた使節団を受け入れていた。平和の使いなんていう綺麗な言葉を使いながら、丁寧にお辞儀をする彼ら。だが、昼間に彼らを出迎えた時、俺はほんのわずかな違和感を覚えていた。歓迎の宴の最中だというのに、彼らは出された食事や酒にほとんど手を付けず、まるで周囲の配置を記憶するかのように視線を動かしていたからだった。


 俺は夜の王宮、青白い月明かりが冷たく差し込む長い廊下を、のんびりとした足取りで歩いていた。コツン、コツンと、一定のリズムで石の床を叩く俺の靴の音が響き、闇の奥へと吸い込まれていく。

 数歩後ろには、庭師の助手という穏やかなお面を脱ぎ捨てて、俺の『影』として完全に重なったミラさんが、気配を消してついてきているはずだ。


 だが、その静寂は不意に破られた。

 俺の少し後ろを歩いていたはずのミラさんが、音もなく俺の横をすり抜けた。そして、その細い体で割り込むようにして、俺の前に立ちはだかった。


「……ミラさん?」


 俺が声をかけるよりも早く、彼女はこれまで聞いたこともないような、心の底まで凍りつくような声で闇に向かって言い放った。


「……ユウ様、お止まりください。汚らわしいネズミどもが、この場所に紛れ込んでおります」


 ミラさんの周りの空気は、一瞬で廊下を凍らせてしまうほど、鋭く激しい怒りに満ちていた。

 俺には奴らの気配など、まったく感じられない。暗殺者たちは帝国に伝わる特別な魔法を使い、存在を消しているのだろうか。だが、ミラさんがこうして立ち塞がった以上、今この瞬間に俺が命を狙われているということだけは、嫌というほど伝わってきた。


「天井裏と床下、合わせて七人。かつての私の兄弟……『鳥籠』の出来損ないたちです。左側の前、三枚目の梁の裏に一人。ユウ様が次に踏み出す床板の真下に三人。そして……右側の窓の外、壁に張り付いているのが三名。ユウ様をこの世界から消そうなんて、身の程知らずな夢を見ているようです」


 彼女の報告を聞いて、俺の頭の中で昼間の違和感がようやく形になった。

 迎賓館で寝ているはずの使節団の連中が、この真夜中に警備の目を盗んで、この廊下に潜んでいる。その正体は、以前ミラさんから詳しく話を聞いていた、帝国の一番のスパイ養成所『鳥籠』の暗殺チームに間違いない。感情を無理やり引き抜かれ、ただ首を刈るためだけの殺人人形を育てる地獄。そこから選ばれた奴らが、今、この俺を殺すためにそこにいるのだ。


 俺はようやく確信を持った。ミラさんの言葉を頼りにして、潜んでいる奴らを俺の力で暴き出すことにする。

 俺は不思議な鍵が宿る左腕を、堂々と空へと伸ばす。

 何もない空間に指をかける。そこに現れた特別な鍵。その中でも『現実を物語として書き換える』力を持つ『断絶の銀幕(シルバー・スクリーン)』の鍵を差し込んで、見えない鍵穴をカチリと回した。


 その瞬間、世界からすべての雑音が消え去った。

 代わりに聞こえてくるのは、古い映画の機械が回るような、カタカタという不思議な音。俺の目に見える景色は本当の色を失って、映画のスクリーンの中に映し出されたような、影の深い茶色の世界へと変わっていく。

 現実を台本へと翻訳する、ものすごい集中状態だ。

 

 ミラさんが教えてくれた場所に意識を向けると、俺の目には、そこに隠れている暗殺者たちの姿が、輪郭をくっきりと強調されて浮かび上がった。彼らの頭の上には、次にどんな動きをするか、さらにはその無様な最期までを予言する『白い文字のト書き』が、怖いくらいはっきりと映し出されていた。


「……なるほど、ミラさんの言う通りだ。左前の彼は、あと十秒でナイフを投げてくる。床下の三人は、ナイフが投げられた瞬間に床を突き破って出てくるつもりのようだ。そして外の三人は、逃げ道を塞ぐ演出かな。あまりにありきたりで、つまらない台本だよ。ミラさん、頼んだよ」


 俺が静かに許可を出すと、ミラさんの瞳に、俺への熱い忠誠の炎が宿った。


「承知いたしました。ユウ様を驚かせた罪、命を以て償わせます。ゴミ一つ残さず、目の前から掃除して差し上げます」


 ミラの姿が、目にも止まらない速さでかき消えた。

 直後、彼女の道具が作り出す『音の消えた空間』が廊下を包み込む。

 ドサリ、と重い体が床に倒れる音も。

 バキリ、と骨が粘土細工みたいに砕ける嫌な音も。

 すべては空気のない場所のように静かな闇へと飲み込まれ、俺の耳に届くのは、ただ夜の庭から流れてくる穏やかな風の音だけだった。


 ミラさんは影の中で、死のダンスを踊っているようだった。

 まず天井裏から必死な顔で飛び出してきた暗殺者の喉を、彼女の武器が音もなく突き刺す。

 休む間もなく、床下から突き出された刃をギリギリで避け、逆に床板ごと三人の伏兵を蹴り飛ばした。さらに彼女は、窓から侵入しようとした残りの三人を、逃げる暇も与えず瞬く間に無力化していく。

 彼女の動きは、もう戦いなんて呼べるものじゃない。ただの一方的な掃除である。

 かつて同じ場所で苦しい修行をした仲間だろうと、主君である俺の視界を汚そうとする者なら、彼女にとってはゴミ捨て場に捨てるべき汚れでしかないんだ。


「あの方に、指先一つ触れさせない……!貴様らはここで、名もない泥として消えてしまえっ!」


 容赦のない攻撃。ミラさんの手によって、逃げようとした奴らさえも一瞬で動けなくなっていく。

 わずか数分後、廊下には血の跡一つ、荒らされた様子一つ残らず、捕まった三人の生き残りと、動かなくなった四人の暗殺者が転がっていた。

 ミラさんの呼吸は全く乱れていない。彼女は返り血の一滴さえも浴びることを許さず、ただ俺への深い愛がこもった瞳で、静かに俺の前にひざまずいた。


「ネズミはすべて片付けました。生き残った奴らは、公爵様のところへ送り、帝国の罪をすべて吐かせます。……ユウ様、お怪我はありませんか?」

「ああ、全くないよ。君が先に気づいてくれたおかげだ。ミラさんの仕事は、いつも完璧だね」


 俺がそう伝えると、彼女の首元の鎖が、まるで嬉しくて震えているみたいに、激しく黄金の光を放った。




 翌朝。

 この、暗殺に失敗したという帝国の致命的なミスが、ヴァルゼイド王国を、そして俺の家族を本当の意味で怒らせた。

 報告を聞いたエドマンド王の怒りは、王宮の太い柱を内側から震わせ、窓ガラスに細かいヒビを入れるほどだった。王としての、そして俺の伯父としての激しい怒り声が部屋中に響き渡る。


「私の大切な甥を……王太子の命を狙い、使節という神聖な約束を汚したか、帝国の野蛮人どもめ……!王国の優しさを、弱さと勘違いした報い、その身に刻んでくれる!」


 けれど、王様の怒りさえも、俺の家、ヴァルゼイド公爵家が放つ静かな狂気の前では、ただの叫びに過ぎなかった。

 報告を受けた父様は、暗殺者が隠し持っていた帝国の紋章入りの短剣を、魔法も使わずに素手で握り潰した。鋼鉄がギリギリと音を立て、形が崩れ、粉々になる。その冷たい瞳には、地獄の火のような恐ろしい怒りが宿っていた。


「……よくも、私のユウに牙を剥いたな。その勇気だけは認めてやろう。報いとして、帝国をすべて灰に変え、歴史からその名前を消してやる。一人として、助けてやる必要はない。……ゼノン、ウィンザー、準備をしろ!」


 ゼノン兄様は一言も喋らず、ただ愛用の剣を少しだけ鞘から抜いた。その瞬間、部屋の空気が歪み、周りの家来たちが怖くてひざまずくほどの殺気があふれ出した。ウィンザー兄様は、いつも通り優雅に笑っていたけれど、その目は全く笑っていない。彼の後ろでは、数万の軍隊を一瞬で戦場へ送るための巨大な魔法陣が音を立てて動き始めているのだろう。


 俺を心から敬っているヴァルゼイド家にとって、この事件は単なる国の喧嘩ではない。神様のように大切な存在を汚そうとした奴らへの一族全員での害虫駆除である。


 王国のすべての軍隊が、国が始まって以来の規模で動き出した。

 俺が作りたい新しい時代を実現するため、その一番の邪魔者であり、俺を傷つけようとしたガルヴァニア帝国を地図から消し去るための戦争が始まった。



「平和っていう名前の中途半端な静かさは、一度『戦争』を経験しないと、正しく作り直せないみたいだね」


「はい、ユウ様の仰る通りです」


 ミラさんの首元で、『影翼の鎖』が、俺という主人への永遠の忠誠を祝うように、いつまでも鈍い黄金の光を放ち続けていた。

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