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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第012話 欠落の設計図

 属性を持たぬ『無』の刻印をその身に授かった、あの洗礼の日から数日が過ぎた。


 ヴァルゼイド公爵邸を包み込んでいるのは、以前にも増して濃密で、肌にまとわりつくような慈愛である。

 そしてその裏側には、どこか悲壮感漂う過保護な空気が満ちている。魔法こそが万物の価値を決めるこの世界で、七歳にして魔力なしの烙印を押された俺は、この世界においては存在価値が無いに等しい。


 しかし、彼らは気づいていない。俺の秘密を……。

 前世で一級建築士として、巨大な超高層ビルから複雑な橋梁まで、あらゆる構造の真理を解き明かしてきた俺にとって、この世界の法則も、魔力の流れも、すべては解析可能な一連の設計図に過ぎない。



 深夜。月明かりが厚いカーテンに遮られた静かな自室で、俺は寝台の上に身体を起こした。右手をゆっくりと、暗闇の中へと差し出す。


(……見えなくても、そこにある。俺が、この世界を再構築してやる)


 独り言が、冷えた夜の空気に溶けていく。

 俺の左肩には、肉体としての腕は存在しない。けれどそこには、事象を直接掴み取り、運命を捻じ曲げるための権能が、力強く息づいている。目には見えなくても、俺の感覚の中では温かな血が巡り、指の一本一本が空気を掴む確かな手応えを伴って、暗闇を支配していた。



 翌朝、朝食の席へ向かう廊下でも、家族の情愛という名の防衛網は、もはや笑ってしまうほど徹底されていた。

 俺の足が絨毯に触れようとするたび、数人の侍女たちが一斉に膝をつく。彼女たちは、俺が歩くわずか数歩先の床を、汚れ一つ、毛羽立ち一つ見逃さないと言わんばかりの勢いで清めて回るのだ。魔法を持たない俺が不浄なものに触れることを、彼女たちはまるで世界の終わりであるかのように恐れているようだった。


 食堂にたどり着き、円卓に着くと、父様が重々しく口を開いた。


「ユウ、魔法を持たぬお前を、私は誰よりも案じているのだ。お前は我が一族の至宝だ。だから、お前を守る盾をさらに強固にすることに決めた。今日から護衛騎士をさらに十名増員する。彼らには、お前の視界に入るすべての不安要素を排除するよう命じた。ユウ、お前が歩く道に、小石一つ、冷たい風一吹きさえも許しはせん」


「父様、ありがとう。そんなに心配してくれるなんて、僕は幸せ者だね」


 俺は温かなスープを口に運びながら、これ以上ないほど愛らしい、七歳の子供らしい無邪気な笑みを浮かべてみせた。

 父様は満足げに頷いたが、その瞳の奥には、愛する息子を失うことを極端に恐れる、狂気にも似た強迫観念がぎらついている。

 父様は次に、ゼノン兄様へと鋭い視線を向けた。


「ゼノン、お前もだ。弟に万が一のことがあれば、ヴァルゼイドの名は地に落ちる。常にユウの三歩後ろを歩け。その目は常に、ユウを脅かす可能性のあるすべての死角を射抜いておけ。ユウを狙う不届きな影があれば、塵一粒であっても、その剣で粉々に断ち切れ」


「承知しております、父様。ユウの行く道を遮るものは、それが例え運命であっても切り伏せましょう。私のこの剣は、ただ弟の平穏を守るためだけにあります」


 ゼノン兄様の瞳には、騎士としてのプライドを超えた、崇拝に近い決意が宿っている。

 隣でパンを千切っていたサリア姉様も、負けじと俺の右手をとり、自らの膨大な魔力を注ぎ込んだ豪奢な護符を握らせてきた。それは公爵家が代々受け継いできた魔石を加工し、幾重もの術式を重ねた、国一つが買えるほどの逸品だ。


「これは、私自身の魔力を最大まで込めた特別なお守りよ。ユウに近づこうとする悪いものは、羽虫一匹、空中のホコリであっても、すべてこれで弾き飛ばしてあげる。姉様が、あなたの周りの世界を、ずっときれいに保ってあげるからね。あなたは、ただそこにいて笑ってくれればいいの」


 家族全員が、七歳の俺というたった一つの点に向かって、過剰な、そして歪なほどの情熱を注ぎ込んでくれている。

 けれど、俺はこの状況を歓迎していた。彼らが俺を守ろうと必死になり、過保護の熱量を上げれば上げるほど、俺はその献身というエネルギーを吸い上げ、さらにパサージュの鍵へのエネルギーがチャージされるからだ。




 陽光が柔らかな午後。俺は公爵邸の広大な庭園の奥、東屋の長椅子で、サリア姉様の見守りの中にいた。


 膝の上には、革装丁の古い魔導書が広げられている。けれど、俺の意識はその難解な文字を追うことよりも、隣に座る姉様から放たれる、狂おしいほどに純粋な慈愛に気圧されていた。 

 姉様は、俺が本を読む邪魔をしないよう、それでいて一刻たりともその視界から俺を逃さぬよう、真剣な眼差しをこちらへ向けている。


 時折、風が木々を揺らし、庭園に咲き誇る白薔薇の香りを運んでくる。その微かな風が俺の髪を乱すたび、姉様は「あら」と小さく声を漏らし、透き通るような白い指先を伸ばした。


「ユウ、動かないでね。せっかくの綺麗な髪が、風に悪戯されてしまったわ」


 そう言って俺の髪を梳く姉様の手つきは、まるでこの世で最も崩れやすい宝物に触れるように感じた。

 姉様の指先からは、彼女が意識せずとも溢れ出す膨大な魔力が、温かな膜となって俺の周囲を包み込んでいる。


 俺はその指先の感触を心地よく受け入れながら、ゆっくりと顔を上げた。


「……姉様、お花がとってもきれいだね」


 俺がそう言って微笑むと、姉様の瞳が、優しく揺れた。彼女はその細い腕を伸ばし、俺の肩をそっと抱き寄せる。欠落しているはずの左肩のあたりを、彼女はあえて避けるのではなく、そこに愛を埋めるようにして、柔らかい手のひらで包み込んだ。


「ええ、本当に。でもね、ユウ。私にとっては、このお庭に咲き誇るどんな珍しい花よりも、あなたの微笑みの方がずっと綺麗だわ。あなたがこうして穏やかに読書をしている姿を見ているだけで、私の心はこれ以上ないほど満たされるのよ」


  彼女の愛は、ただの兄弟愛と呼ぶにはあまりに重くて深い。それは自分たちにしか守ることのできない宝物への執着近い。俺が魔法を持たぬからだろうか。


「不思議ね、ユウ。あなたがそばにいるだけで、この東屋の空気が澄み渡ってるわ。そうね、おとぎ話の中に迷い込んだような静かな時間が流れている気がするわ」


 姉様はそう呟きながら、俺の頬を愛おしそうに撫でた。

 その掌からは、俺を外界のあらゆる悪意から遮断しようとする、強烈な守護の意志が伝わってくる。彼女が展開している目に見えぬ結界は、俺の存在そのものを世界から優しく隠し、この平穏な箱庭の中に永久に留めておこうとする意志の具現だった。


 俺はその温もりに身を委ね、甘えるように姉様の肩に頭を預けた。


「僕も、姉様と一緒にここにいるのが一番好きだよ。ずっと、この時間が続けばいいのにね」


 俺の言葉に、姉様は感極まったように細い肩を震わせ、俺を抱きしめる力を少しだけ強めた。


「ええ、約束するわ。何があっても、誰がユウを蔑もうとも、このサリアが、ヴァルゼイドの家が、あなたを永遠に守り抜いてみせる。あなたはただ、こうして私の隣で、きれいなお花を眺めていればいいのよ。それ以外のことなんて、何ひとつ考えなくていいの」


 姉様の瞳の奥に宿る、どこか熱に浮かされたような深い光。

 それは、弱き者を愛でる慈しみであると同時に、決してその手を離さないという甘美な独占欲の表れだろう。この完璧に守られた静寂の中で、俺は姉様の心臓の鼓動を間近に聞きながら、再び本へと視線を戻すことにした。


 魔法という力を欠いたことで得られた歪で、けれどこの上なく深い愛情。

 姉様の柔らかな香りに包まれながら、俺は心の中で、この平和な日常という名の風景を、決して壊れることのない記憶に閉じ込める。すべては、この愛おしい過保護の日々を、永遠に分かち合うために。


 午後の一時は、ただひたすらに静かに過ぎていく。

 俺は、姉様の吐息が髪を揺らすたび、この柔らかな幸福が全身の隅々にまで染み渡っていくのを感じた。

 このまま時が止まってしまえばいい。

 この静寂の中で、俺は、そんな馬鹿げた願いが、通じる事を祈るのだった。

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