第099話 礎の街、完成式典
スラムと呼ばれた泥濘が、王都のどの区画よりも強固な石畳に覆われてから数ヶ月。ついに、この街の新生を告げる日が訪れた。
かつての下層区は、いまや機能美を極めた巨大な要塞都市のような威容を誇っている。空を覆っていた澱んだ空気は、俺が考案した通気塔による強制換気システムで一掃され、地下に張り巡らされた広大な排水網は、王都を数世紀にわたって悩ませてきた悪臭と疫病の種を完全に封じ込めていた。
広場の中央には、この日のために設営された巨大な壇上が設けられ、王宮から駆けつけた近衛兵たちの銀装束が、降り注ぐ陽光を反射して眩しく輝いている。壇上には、国王陛下を筆頭に、この国の権力の中心が勢揃いしていた。
「ユウ、顔色が優れぬようだが大丈夫か?少しでも疲れを感じたらすぐに言うのだぞ。式典などいつ中断させて構わんのだからな」
俺のすぐ隣で、父様が式典の最中だというのに心配そうに何度も声をかけてくる。
その後ろに控える侯爵家の方々も、まるで国宝を扱うような慈しみの視線を俺に投げかけている。さらに列席しているウィンザー王太子や、母様、ゼノン兄様、サリア姉様までもが、かつて視察に来た時の驚きを昨日のことのように語り合い、俺の体調を気遣う言葉を惜しまない。
「ユウ、お母様が特製の栄養剤を用意させてあるわ。式が終わったらすぐに休むのよ」
「ユウ、あまり無理をしちゃダメだよ?倒れたりしたら、姉様が、この街を壊しちゃうわよ」
サリア姉様の過保護すぎる冗談に苦笑しながらも、家族の温かさが身に染みる。この国の最高権力者たちは、俺に対して驚くほど甘い。それは国王陛下も同様だった。
「ガルドよ、そう案じるな。ユウは今日、この国の歴史を塗り替える主役なのだ。……とはいえ、ユウよ。もし少しでも日差しが強いと感じたら、余の影に入るとよい。それとも、余の特製マントを貸してやろうか?」
「陛下、お気遣い痛み入りますが、私は至って健康です。それより、民が待っておりますよ」
俺が苦笑しながら答えると、陛下は「そうか、それならよいのだが」と名残惜しそうに頷いた。
式典の開始を告げる鐘の音が、新しく建てられた時計塔から響き渡った。陛下はゆっくりと立ち上がり、数千人の民衆、そして並み居る貴族たちの前に進み出た。
「皆に問う!ここをかつて、何と呼んでいたか!」
陛下の問いかけに、広場を埋め尽くす住人たちが一斉に顔を上げた。
「ゴミ溜めか!泥濘か!あるいは、日の当たらぬ絶望の底か!」
陛下の声は、俺が設計した音響反射構造によって、魔法を使わずとも広場全体に雷鳴のように轟く。後ろの貴族たちがその音響の凄まじさに肩を震わせている。
「今日、余はこの地をスラムとは呼ばぬ!ここは、我が国の安寧を地下から支え、未来の繁栄を盤石にするための心臓部である!ユウ・ヴァルゼイド、前へ!」
俺は静かに一歩前に出た。続いて、その隣には、少し緊張した面持ちで、だが真っ直ぐな視線を陛下に向けるリーゼロッテが並んだ。
この数ヶ月、彼女が果たした役割は、俺の設計を支えるだけではなかった。
工事の休憩時間、彼女はロロたち子供を集めては、瓦礫の山を椅子代わりに読み書きを教えていた。最初は、測量結果を正しく報告するためという俺の要望から始まったことだったが、いつの間にかその輪は広がり、自分の名前すら書けなかった大人たちまでもが、恥ずかしそうに、だが真剣な眼差しで勉強に参加するようになっていた。
気づけば、工事現場の片隅はリーゼロッテを教師とする青空教室へと変貌していたのだ。泥にまみれたリーゼロッテが、子供たちの汚れた指を取って文字をなぞらせる光景は、この殺伐としたスラムにおいて、俺の設計図以上に確かな未来を住人たちに見せていた。
「ユウ、そなたがこの民と共に築き上げた功績を、余は王の名において永久に称えよう。そして、この街に集いし十人の代表者、前へ!」
陛下の言葉に従い、十人の代表たちが壇上に上がる。その先頭に立っていたのは、あの少年、ロロだった。
ロロは、かつて俺を『お兄ちゃん』と呼んだ時のような無邪気さを残しつつも、その背筋は驚くほど真っ直ぐに伸びていた。彼は壇上で居住まいを正すと、陛下から手渡された記念の羊皮紙を、淀みなくその場で読み上げて見せた。
かつては文字の読み方すら知らなかった少年が、今や自分の言葉で、この街の誇りを語っている。
ロロを筆頭とした代表者たちは、皆、この街で仕事を得た者たちだ。
かつて物乞いをしていた片腕の男は、俺の図面を読みこなし、巨大な物資を運ぶクレーンの操縦士として。
目が見えない老婆は、その鋭敏な聴覚で、地下の水道網の異常を管理する監理官として。
ロロが率いた孤児たちも、今では複雑な街の機構を維持するメンテナンス要員として、立派に自立していた。
彼らはもう、他人の慈悲に縋り、パンひとつを求めて這い回る存在ではない。自らの機能を街の機能に組み込み、この巨大な精密機械を動かす不可欠な歯車として、確かな給与と社会的な地位を得ているのだ。
国王陛下は、腰に佩いた王家の剣を引き抜いた。そして、その剣先を広場の石畳へと突き立て、宣言した。
「この地は今日から、王家直轄の自由区となる!その名は、お前たちの流した汗と、不屈の魂が刻まれた……『礎の街』である!ユウ・ヴァルゼイド、そして此処に集いし我が戦友達よ、この名に満足か?」
俺は、突き立てられた剣を見つめ、静かに、だが重みのある声で応えた。
「陛下。この街の名は、彼らが石を一つ積むたびに、すでに刻まれておりました。私はただ、それを図面に写したに過ぎません」
俺の言葉に、広場全体から地鳴りのような歓声が沸き起こった。リーゼロッテもまた、溢れそうになる涙を堪えながら、住人たちに向けて大きく手を振っている。
「ユウ様、見てください。あの方々の笑顔を……。私、あなたの婚約者であることを、これほど誇りに思ったことはありませんわ。さあ、次は無理をなさらない程度に、私をどこへ連れて行ってくださるの?」
耳元で囁かれた彼女の声は、少し震えていた。
父様を見れば、目尻を下げて、深い愛に満ちた表情でこちらを見ていた。
式典の最後、俺の合図で、街の地下から浄化された水が噴水となって広場に舞い上がった。虹がかかる噴水の下で、不自由な体を持つ者たちが互いに肩を組み、笑い合い、自分たちが国の礎になったことを祝して咆哮を上げる。
広場には至る所に豪勢な料理が並んだ屋台が設置され、王家からの祝いとして上質なワインやエールが振る舞われた。かつては腐った残飯を奪い合っていた住人たちが、今は隣人と肩を組み、未来を語らいながら美食を楽しんでいる。
子供たちは真新しい街路を走り回り、石畳の滑らかさに歓声を上げている。ロロは俺のところへ駆け寄ると、かつて渡したあのボロボロの巻尺と、リーゼロッテから授けられた真新しいペンを掲げて見せた。
「先生!見てよ、これ!宝物なんだ。俺、もう自分の名前も書けるようになったよ。先生が描いた通りの街を、今度は俺たちが守っていくんだ!」
「ああ。お前たちの測量と、その学びが正確だったおかげだ。これからは、この街を維持し、発展させるのがお前たちの仕事だぞ」
俺がそう言って頭を撫でると、ロロは顔を真っ赤にして、それでいて力強く頷いた。その背後では、かつて青空教室でリーゼロッテの講義を熱心に受けていた大人たちが、自分たちの記帳した日誌を誇らしげに見せ合っている。
国王陛下が、俺の肩を引き寄せ、優しく叩いた。
「ユウ。お前の設計図には、まだ続きがあるのだろう?あまり無理はさせたくないが、余も楽しみでならぬ。何かあれば、いつでも余を頼るのだぞ。そなたが望むなら、この国の山を一つ動かすことだって厭わん」
祝祭の火が街中に灯り、かつての暗い闇は、希望という名の光によって隅々まで塗り替えられていく。
礎の街。
それは俺を愛し、守ってくれる者たちのために、俺がこの国を劇的に作り替える物語の、確固たる起点となる。俺の設計図は、ようやく序章を終えたばかりなのだから。
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