依頼⑥
確認するまでもなかろうが、私がここで導き出した「答え」とは、今まさに「事務所」を訪ねてきた者が、ドアスコープを外側から塞いでいるというものである。覗いても何も見えない以上、もとよりそれ以外に可能性はない。だから私をわずかながら戦慄させたのは、「~を塞いでいる」という事実それ自体ではなく、「~を塞いでいる」理由である。すぐに一つ思い浮かぶのは、外にいる誰かが自分の姿を我々に見られたくないと思っているということだ。だが、それだけではない。そんなサルでもわかりそうなことを、わざわざこの私が大仰に論って述べようとするはずがなかろう。だからそうではなくて重要なのは、その、先、である。
まずこの場所が「事務所」、正確に言えば【「名探偵」として名高い「私」の「探偵事務所」】であることを思い起こそう。イマニュエル・カントも言っているように、人間の認識は「空間/時間」の枠組みに基づく限定から決して逃れられないのであるからして、このケースにおいても、同前の要件を無視して推論を進めるわけにはいかない。逆に言えば、「空間=「私」の探偵事務所/時間=夏がようやく折り返しを迎えようかという時期の夕方」という図式を念頭に置きさえすれば、私の戦慄の理由もまた、自ずと明らかになるのである。
つまりだ。これまで数々の事件を解決してきた「名探偵」としての私、その「探偵事務所」を「真夏の夕方」にわざわざ訪れてきた者が、外側からドアスコープを塞ぐことで以て正体を悟られないようにしている。そこから引き出される結論は、やはり一つしかあり得ない。すなわち、訪問者はかつて私が捕らえた無数の「犯人」のうちの誰か(つまり、Hの一員)であり、復讐のために勇んで襲撃を仕掛けてきたということだ。
これは困ったことになったと私は思った。もちろん「犯罪者」は「名探偵」に決して敵わないことをアイデンティティとするので、襲撃自体は恐るるに足るものではない。ただ一つ問題があるとすれば、それは視界を遮られているがゆえに、相手の人数を確かめられないということである。そう、これは絶対確実に間違いない、重大な問題だった。仮に襲撃人数が50人を超えでもしていたら、「名探偵」とは言え私も一応人間なので、逃げるよりほかにどうしようもあるまい。映画『セント・オブ・ウーマン』で、アル・パチーノ扮する「中佐」も言っている。「人間は2種類いる、立ち向かう人間と逃げる人間、逃げるほうが賢い」
それでも私は数秒思案を巡らせただけですぐに「逃げる」以外の対抗策を思いつき、いったん室内へと戻った。
「人生ゲーム」に飽きたのか、勝手にテレビをつけ、タバコを吸いながら情報番組か何かを見て気味の悪い笑みを浮かべていたオオタニを叱責し、ベランダへ回らせた。
「事務所」はマンション四階の一室に構えられていて、ベランダの柵によじ登ってうまい具合にジャンプすれば、外階段に飛び移れるという間取りになっていた。もちろん「もしも」の時にすぐに逃げられるように敢えてその部屋を借りたのだが、先にも述べた通り、ここでの目的は「逃走」ではなくて別にあった。いったんベランダから外階段に飛び移ったのち、帰宅した住人を装い、「訪問客=敵」の情報(人数、装備、ガタイ、etc.)を収集するというのがそれである。
めったにないことだが仮にジャンプに失敗すれば、そのままあの世に飛び移ってしまう可能性もあるにはあった。だが、その「危険」と言えなくない任務を、私が自分でこなすのではなく、オオタニに託したのは決して臆したからではない。そもそも私が「ジャンプ」すれば、絶対に「失敗」しないのであるからして、リスクを想定する必要がない。だからそうではなくてその命令には、「スパイ」であるはずのオオタニに対する牽制と、何度注意しても屋内でタバコを吸うのをやめないことへ戒めの意が込められていた。要するに「懲罰」である。
だがオオタニはよほどオメデタイ思考の持ち主なのか、それを私からの信頼の裏返しだと考えたようで、こちらが話を持ちかけるや否や、「フグッ、……グググッ、……ウグフウッ!!」だのと野獣の鳴き声みたいなのを漏らして地団駄を踏み始めた。要するに全身で喜びを表し始めたわけだが、そういうゴリラのドラミングと紙一重の奇行にいつまでも関わっている気にもなれず、私はただ「頼むぞ」とだけ声をかけると、再び玄関へ向かった。そして改めて鍵がかかっていることをしっかりと確認してから台所に引き返して「応答」を開始した。ちなみにその間にも執拗にインターフォンは鳴らされ続けており、怪しさや警戒心の類いはますます募る一方だった……。




