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接触Ⅰ⑭

 言うまでもなく、「薬草」としての効用を期待しての行動だったが、効果が出るのを待っているわけにもいかない。

 私は刃物の切っ先で引っ掻かれているかのようなコメカミ辺りのズキズキとした痛みを堪えつつ、まず持参したビニール手袋をはめた。そして浅く、しかし長く呼吸を繰り返して心を落ち着かせた後、満を持してガラス戸の歪な穴に左手を差し入れ、カギを開けた。それから手を引っ込めて中腰の姿勢になると、今度は穴に耳介をかざすようにして中の様子を探った。無音ではなかった。先に一度ご紹介いたした所謂「ラップ音楽」(覚えているだろうか?)が、なかなかの存在感を放ちながら室内を揺蕩っているのがわかった。

 しかし仕方のないことだが、その認識は、実際には「正解」ではない。

 くだんの「ラップ音楽」が次のような音韻を構成しているのだということが知れたのは、それからすぐのことである。

「……まーかーはんにゃーはーらーみーたーしーんぎょうーかんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじーしょうけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく……」

 ……たわけている、あまりにたわけていすぎる……。

 お分かりいただけただろうか? その時、壁や戸を乗り越える形で室外にまで届いてきていた物音……、それは決して「ラップ音楽」などではなく、所謂「般若心経」だったのだ。……もう一度だけ繰り返させてくれ、たわけている、あまりにたわけていすぎる……。

 もちろんいくら「名探偵」とは言え、私も一応人間なので、事実として、思い違いをする可能性があることは認めなければならない。こう言うと、自らに備わった「欠陥」についての安易な肯定は「名探偵」としてあるまじき振る舞いなのではないかと、ここぞとばかりに有象無象どもが声高に非難を開始し出すだろうことは容易に想像がつくが、少なくともここでの「般若心経」と「ラップ音楽」との取り違えに関しては大目に見てもらうほかない。何しろこの場所は格式高い仏刹などではなく、(少なくとも外見上は)ごく普通の居室だからだ。Hによって運営・維持されていることは特に大した問題ではない。いずれにせよこの場所においては、「般若心経」よりもむしろ「ラップ音楽」の方が市民権を得る可能性は格段に高いのだ。だからこそ私は少し前で自らの「誤認」について、「仕方のないことだが」との断りを入れたわけだが、反面、部屋から流れてくる物音が、やがて「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてー」という、人口に膾炙した極めて特徴的なフレーズを形作ったとあっては、もはや「般若心経」であることを疑う方が困難となるだろう。違うか?

 お経が3回りしたタイミングで私は心を決め、勢いよく戸を開いた。罅の入っていたガラスの一部がパラパラと削げ落ちていく。可能な限り最大限の慎重を期するためにさらに一呼吸おき、室内を含めた周辺の様子に大きな変化がないことを確認してから、護身用に常に持参している「黒ひげ危機一髪」のナイフをポケットの中で握りしめ、私は本格的に侵入を開始した。


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