炎上③
私がそのままGをスルーし、坂を下って改めて「事務所」を目指したのは以上のような思考過程を経てのことである。つまりその「ドタキャン」はある意味、Gへの無条件の信頼の現れであると言ってよい。……こちらがわざわざお願いをせずとも、Gは気が向いた時に勝手に「アジト」への放火を始めてくれるのだろう、だとすればこちらが試みるべきなのは、馬鹿正直に彼女にアプローチを仕掛けることではなく、我々の密接な結びつきをHに気取られないようすべく、できる限り人目につく接触を避けること、それ以外にない……。
言葉で説明すると簡単なようだが、その方針転換は実際には個人的にかなり大きなものであったと言ってよい。「私に惚れている」云々はいったん措いておいて、Gが不審人物であることに疑いの余地はなく、だとすれば、そうと分かっていてなおスルーしなければならないところに、「(元)名探偵」として決して解消しがたい蟠りがあったということだ。
とは言え、そういうある種の「屈託」に突き動かされる形で、私が例えばGを激しく問い詰めたり、ドロップキックを食らわせたり、はたまた羽交い絞めにして刃物を首筋につきつけたりなどしようものなら、それだけで決定的に耳目を集めてしまう恐れがあった。
それゆえ私は内心かなりザワついていたものの、努めて平静を装い、足取りも一定の速度を保つよう気を付けた。その様子が周囲にどう映ったのかはわからぬが、通り過ぎる際、目だけを動かしてチラとGの方を見ると、彼女もまた、私の方を見ていた。目が合った、ような、気がした。やはり見覚えのある、底知れぬ空虚さを湛えた瞳は、私の動きを追うように、ゆっくりと目の中を移動したかと思うと、やがて注視点を正中に戻した。無言の中で、しかも一瞬のうちに交わされた無数のやり取りを通して、何となくお互い通じ合ったように感じた私は改めて顔を前に向け、そのままもう二度と振り返ることはしなかった。
ずんずん前に進む。傾斜の影響もあり、徐々に勢いが増していく。
ずんずんずんずん前に進む。しかしいつまで経っても「事務所」にはたどり着かない。
ずんずんずんずんずんずん進む。しかしやはりいつまで経っても、「事務所」に到着することがないまま、私は坂を下り切ってしまった。
……どういうことだ? Gの登場に気を取られ、見落としてしまったということなのか? いやそれとももしかして、これがHによる新たな攻勢の一環ということなのか? その手始めとして、「事務所」を消し去っただと? 荒唐無稽な話だが、ありうるよ、あいつらなら、十分、ありうる……。
坂の下には美容室があり、そこに駐車されていた傲岸な顔つきの外車のボンネットに腰を下ろすと、私は力を抜き、項垂れるようにして目を伏せた。
それからどれだけ時間が経過したのかわからない。いつの間にか意識を失っていたような気もする。もしくはただ酔いが回り、脳みそがふやけかけていたというだけなのか、やはり定かではないのだが、反面1つ確かなのは、私の覚醒を促したのが、次の通りの呼びかけだったということである。
「ちょっと、キクチさんっ! 探しましたよ、そんなとこでいったい、何やってんすか!」
聞き覚えのある声。ずいぶん懐かしいようにも感じられたが、かろうじて評価できるポイントは、せいぜいその程度だった。残念ながら、存在感という点では「やかましさ」の方が大差で勝っており、だからこそ本当に全くもって、顔を上げる気になど、なれるはずがない。




