「車内」にて④
この展開が私に与えた衝撃の度合いについては、もはや皆まで言わずともご理解いただけることと思う。なぜならある意味で、いやどのような意味合いにおいても、ここでの「真打ち」の行動は、表面上「Dの成敗」を目指したもののようであって、実際には「私からOを奪い取ること」を真の目的として画策されたものでしかあり得なかったからだ。要するに、映画『卒業』のラストシーンでダスティン・ホフマン扮する「ベンジャミン・ブラドック」が為したことの二番煎じだったと言えば伝わるだろうか? ……やはり、あまりにたわけていすぎると言うよりほかない。
もちろんただ黙ってひたすらその様子を指をくわえて見てばかりいるわけにもいかず、私もまた2人の後に続こうとした。そう、このケースではそうするのが絶対確実に間違いなく、正しい行動だった。「真打ち」が何者で、何を意図してそのような蛮行に打って出たのかは定かでないが、いずれにせよ、このまままんまと逃げおおせさせてしまうわけにはいかない。
だが結論から申し上げれば、私は実際にはDと2人、その車両に取り残されることを余儀なくされてしまった。どういう心境の変化なのか、Oたちが姿を消した後、あたかもその移動を模倣するかのように他の乗客たちも次々と隣の車両へ移ったのだが、反面私だけはその流れに乗り遅れ、結果的に相も変わらず床との濃厚接触を続ける羽目に陥ったということだ。
だがそれは例えば、落下の衝撃で生じた痛みがまだ弱まっておらず、そのせいで身体を動かすことを難儀に感じていたからではない。また、完全に自業自得とは言え、D1人だけをその場に残すことが何やら「仲間外れ」のように感じられたということは、私の選択に少なからず影響を与えてはいたのかもしれないが、しかしそれで全てではないし、また最大の原因はもっと他のところにある。最大の原因、それは端的に言えば、最後に目に入ったOの様子に求められる。
……強引に手を引かれているために、ほとんど駆け出すようになっていた彼女は、それでも間違いなく「真打ち」に対し、目をキラキラさせながらお礼の言葉を繰り返していた……。
先に少し述べた通り、当初すぐに2人を追うべく両手を臀部の後ろについて激しく身を起こした私だったが、その刹那、期せずして視界に飛び込んできた件の「様子」を前にして顕著に愕然とさせられるに至った。すぐに改めて全身の力が抜けるのを感じ、仰向けに大の字に横たわるという帰結が不可避のものとなった。筋金入りの「潔癖症」であるはずの私だったが、もはや不衛生だろうが何だろうがどうだってよいという投げやりな気持ちに支配され、しばらくただひたすら無力感を弄ぶだけの時間が続いた。その原因は、繰り返しになるがやはり「真打ち」に手を引かれながら歩く「Oの様子」に存する。だが、それのいったい何が、いけないというのか?
言うまでもなく「目をキラキラさせ」るのは、所謂「脈ありサイン」の1つであり、それはそれで本来私が得るはずだった好意を横取りされたという意味合いにおいてやはり許しがたかいものではある。だが、私を心底打ちのめしたのはは、実際にはもう少しだけ離れたところにある別の要因だった。
つまりポイントは、「真打ち」がOを奪ったという、個別具体的な事象の内容にあるのではない。より重要なのはむしろ、「形式」である。
迂遠な物言いは誰にも資するところがないので可能な限り端的に申し上げよう。要するに私は気づいてしまったのだ。「ヒーロー」を自称するあの「真打ち」が、いかにキザでいけ好かない紛い物であろうと、DからOを救い出したその手腕は、まさしく「名探偵」としてのそれだったということに。つまり事実としてそいつに手柄を掠め取られた瞬間、この街を守護する「名探偵」としての役割は、否応なしに私から「真打ち」の側へと移されてしまったということだ。
もちろん「名探偵」としての責務を引き継いでからの決して短くない期間で、同じような危機に瀕しかけたことは何度もあった。もうだいぶ長い付き合いとなるので、私とHとはお互いについてそれなりに知悉しており、だからこそ組織の連中が私をある種の超越的なポジションから失墜させるべく、「名探偵」もどきを刺客として送り込んでくるのは自然な流れだった。それがどのような種類の存在であれ、備わった「固有性」の類を奪い取ってやるためには、同じ種類の、しかしより高次元な存在を同じ場に召喚してやればよい。要するに、そういうことだ。
だがこれまでの「刺客」は皆どいつもこいつもが、いずれも何の根拠も実績もないのに、事あるごとに「名探偵」であることを周囲に向けて誇示したがるだけの有象無象に過ぎなかった。その代表例が「こどおじ」であることは、もはや論を俟つまいだろう。あまりに愚かで、可哀そうになって来るレベルだ。
だが反面この時、私は間違いなく「名探偵」としての座を奪い取られるに至った。
いくらDの強烈な存在感に気を取られていたとは言え、またいくら「真打ち」の登場が何の予告もない極めて唐突なものだったとは言え、この失態は完全に取り返しのつかない致命的な種類の過ちだったと言ってよい。今から思えば、火事の発生と、それに引き続いて出現した「こどおじ」との再会、ひいてはDのOに対するパワハラに至るまで、全てのプロセスは結局のところ、この私の「名探偵」称号を奪取するべく、巧妙に計算され、緻密に構築された策略の一環だったのだろう。にもかかわらず、それを私は、全く関係のない「少女」と関わりの深いものだと誤認し、あろうことか、Dを味方につけようだなどと考えていた。その時すでに「名探偵」かそうでないかの境目にいたとは言え、あまりにバカすぎてもはや失笑さえ漏れない。




