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「車内」にて①

 既に終電が迫っているはずの車内は、そのわりに空いているように思われた。同じ車両には恐らく、10人ほどしか乗っていなかったのではあるまいか。それが通常の状態なのか、たまたまそうだったのか、はたまたDの出現が特殊な事態を招いたのか、判別はつけかねたが、いずれにせよその「10人ほど」の乗客に限ってみれば、Dの登場は取り立てて感興を催させるものではなかったようである。その証拠に、私を除いた偉い偉い人間様たちは、特に何かが今まさに起こりつつあるのだということに気づいた素振りもなく、つまり好き放題自分のやりたいことに専念しつつ呆けた顔を晒し続けていた。早い話が、ごく普通に「いつも通り」だったというわけだ。

 しかしそれはもちろん、言うならば「仮初の平和」であるにすぎない。

 そのことを立証するかのように、私が「網棚の上」に「うつ伏せに横たわっ」てから数秒後、やはり異様な聴覚刺激(メッセージを乗せる媒体としての声+意味内容)の投入により、その「いつも通り」の「仮初の平和」は、見事に完膚なきまでに破砕されることとなる。

「おいっ! 携帯やめろや、オレ心臓に機械入ってるんだから怖くてならんわ、どうしてくれんの? もし壊れちゃったらどうしてくれんのよ、死ぬよ、お前が携帯使い続けたらオレ死ぬよ、そしたらお前殺人鬼だよ、実に巧みで狡猾な完全犯罪者だよ、いいの? それでいいの? いやいやいやいやいや、お前はいいかもしれんが、オレはよくない、怖すぎる、ほんと叶わんわ、怖ッ!」

 細かい事情はもちろんわからなかったが、反面、要するにDがまたしても他人に迷惑をかけ始めたのだということだけははっきりとわかった。そしてその「理解」とほぼ同時に、私は弾かれたようにして身を起こすと飛ぶようにして走り始めた。

 出入口付近で停滞していた私とは対照的に、隣の車両との境目辺りに陣取っているらしいDは、どうやらまだHの模倣を続けるつもりらしかった。それはそれである意味、「涙ぐましい努力」であると、無理やり評価してやれないことはない。だが先に確認した通り、周辺一帯から「こどおじ」の存在が完全に締め出された今となっては、奴の横暴に既にいかなる妥当性もありはしないというのもまた、一つの事実である。つまりそれはもはや程度がそれなりに高いだけの、ただの傍迷惑でしかない。正真正銘どこからどう見ても、一ミリたりとも擁護し得るべき点が見当たらないということだ。

 そしてだとすれば、「名探偵」の私はそいつをこれ以上野放しにしておくわけにはいくまい。むしろDがこのままダイオキシンにも匹敵する「有害物質」として、自らをプロデュースし続けるとすれば、それは結局のところ、長らく監視の目を向けていながら、奴の為すがままにさせてきた私に全ての責任が帰されるということになる。もちろん、そんなことは絶対に、あってはならないことだ。何とかして、可能な限り早く奴に接触し、人類史上最低の出来と言って過言でないその「単独ライブ」に、無理やりにでも終止符を打ってしまわねば……。

 私が乗車後いったん身を落ち着けたかと思うとすぐに再び動き始めたのは、ひとえにそのような考えに焚きつけられたためである。もっとも、先に「飛ぶようにして走り始めた」としたその動き方に関して言えば、結局「気持ち」の面においてそうしたのだということを意味しているに過ぎず、実際には網棚の上を這って移動しなければならないという「制限」により、「飛ぶ」どころか、四つん這いで秒速30センチぐらい進むのがせいぜいだった。つまりDを「尾行」していた時とほとんど同じだ。違いは先とは異なり、今回はそのあまりに遅すぎる動きは継続したまま、にもかかわらず、可能な限り早く、Dに追いつかねばならなかったということである。つまり状況はむしろ、逼迫の度合いを増していたのだと言えよう。

 すぐ現場へと急行しなければならないと思っているのに外的な環境要因のせいでそれが不可能であること。私の人生を彷彿させるようなその所謂「板挟み」状況は、言うまでもなく非常に厳しいものであり得、だからこそ私は途中で何度も網棚から転げ落ちるようにして飛び降り、改めて車内をトップスピードで駆け出してしまいそうになった。というかごく普通の偉い偉い人間様であれば、躊躇なくそうしただろうし、またそうするのがある意味正解だっただろう。

 しかし結論から申し上げれば、実際には私は寸でのところで自らを押しとどめ続け、網棚の上の移動を継続した。Dのもとへたどり着くより前に耐えきれなくなって衝動に身を任せてしまい、結果的にDと面と向かって対峙することとなってしまえば、奴は恐らく、少なからず抵抗を見せて来ることだろう。そしてそうなった場合、私は自分を抑えられる自信がなく、結果的に辺り一帯が「血の海」と化す可能性がある。もちろん場合によってはそうなるのも仕方なかろうし、またそのくらい心置きなく、文字通りの「血沸き肉躍る戦い」をお披露目できるのだとすれば、それはそれである意味大層「心地の良い体験」たりうるのかもしれない。だが何度でも繰り返すが、私は「名探偵」なのだ。常に自らの利益増進ではなく、全体の調和や治安の維持こそを念頭に置いて行動を選択すべきなのだ。

 そんなことを考えながら移動を続けているうちに、気づけばDの頭頂部が私のほぼ真下に位置するところまで来ていた。つまり「地道な試みが報われた」というわけだが、反面「~報われた」ことが本当に良かったのかどうか、それは今でも、定かではない。


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