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9月24日㉝

 指を耳から引き抜くと、何かを考えるより前に、サイレンの音が飛び込んできた。指を乗り越えて鼓膜を震わせていた「幻の音」の正体はそのサイレンだったということになる。

 だが、そのなかなかどうして耳障りなはずの甲高い長音を上書きするかのように、開放されたばかりの耳にすぐさま別の言葉が飛び込んできた。

「嫌な音ねえ、昔入院してた時、ずっとこの音が鳴ってたの思い出すわ」

「入院、なんの?」

「ほんとキツかった……、お腹に腫瘍ができてね、あんたを産めなくなるところだったの、そしたら、あの男、あんたの父親、なんて言ったと思う? 自分の大好きなママと一緒に私の枕元に来たかと思うと」

「暗い話はやめようぜ、それにしてもこのサイレンは救急車と……、それと警察か? 何か事件でもあったのか?」

「いや、この音は警察じゃなくて消防車でしょ? カンカンカンカンってのも鳴ってるし、それにしても結構近そうね、方向からして駅の方かしら」

「駅と言えば確か噴水あったよな、バスロータリーのところにさ、だから火事が起こってもなんとかなるんじゃねえの」

「いやいやあんなのもうとっくの昔にただのオブジェになっちゃったでしょ、水出てるの見たことないわよ」

「それより公衆電話大丈夫かしら、あのボックスがなくなると、いよいよこの街から電話ボックスがなくなるということになっちゃうけど」

「家族」の面々が口々に自らの意見を表明するのが聞こえてくる。「会話」というのは、「コミュニケーション」とほぼ置換可能であることからも明らかな通り、本来それなりの「相互理解」に向かって収束していくのが常のはずだが、そいつらに「常」を期待するのはやはり無駄のようだと、私は目を閉じ、サイレンの音に耳を傾けながら考えた。突発的に思いついたことをお互い好き放題口にし合うだけで成立するやり取りは、無理やりそれを聞かされている側からすれば、「理解」しようとするだけで頭が痛くなってくること必須である。わざわざ頭を使って、どれが誰の意見なのかを腑分けする気にもなれない。

 もっともお言葉を返すようで恐縮だが、純粋にそれらの「会話」だけに関して言えば、私に対する影響はそれほど大きなものではなかった。そいつらがおかしいというのは、既に私の脳内に形成されていた枠組みとまずまず正確に合致する。

 だから重要だったのはそれよりも何より……、「駅の方で、火事だと?」

 私が目を開け、身を起こしながらそう言うと、ほんの呟き程度の私の言葉を耳ざとく聞きとがめたらしく、Zが言った。

「あら、カンタ、起きた?」

 ルームミラー越しに目が合った気がして、私は視線を外す意味も込めて隣のMに対して別の問いを投げかけた。

「おい、オマエ、この前火事がどうとか言ってなかったか?」

「え? あたし? ……言ってないけど」

 私はいったん腕組みをしながら座席に身を戻し、改めて記憶をたどることをした。そして思い至ったのは、「……そうか、あれはお前じゃなくてオオタニだったか

「オオタニ……って、またその話?」

 呆れたように言うMを無視し、私はZに呼びかけた。

「……だがまあいい、おいっ!」

「うるせえな、大声出すなよ」

 ヤスナガが前を見ながらそう言う。だがそいつに用はなかったので改めて呼びかけ直した。

「どの口がほざいてんだ? だが、お前じゃない、そこのババアだ、おい、ババア、お前だよ、さすがに聞こえてるだろ、無視するな」

「ババア……って、あたしのこと?」

「愚問だろ、むしろ他に誰がいるんだよ」

 その瞬間、赤信号でもないのに車が急停車し、前後に大きく身体が揺すぶられた。一歩間違えば大事故に繋がるところだったが、ため池か何かの脇に位置するその場所はたまたま人通りも車の通りもなくて、何とか全体的には事なきを得るに至った。Zがそこまで計算して、その場所に停車したのかどうかは知らない。

「あぶねえなっ! 何するんだよっ!」

「オリロ」

「あ?」

「今すぐ、そこから降りろっ!」

「……」

 どうやら「ババア」という言葉に反応したようだった。だが私としては事実をただ告げただけなので、訂正も謝罪もするつもりはない。むしろZは自分が「おかしいババア」であることをもっとよく自覚すべきだろう。そしてもし仮に「自覚」できないのであれば、誰かがそれを教えてやるべきなのだ。

 とは言え、形はどうあれ、降りさせていただくことが出来るというのは、正直願ったり叶ったりの状況だった。相変わらずサイレンに代表される物々しい喧噪は健在で、だからこそ私は一刻も早く、状況確認のために駅の方へ向かいたかった。

 それで指示通り、外に出ようとドアのレバーを引いたが、扉は全く動かない。何度繰り返しても同じで、どうやらチャイルドロック(内側から開かないようにする安全機能)がかかっているらしいと悟った私は、仕方なくいつも通り絶望的な気分に浸りながら窓を開けた。……心身ともに十分すぎるほどに成熟しているはずの俺も、Zからしてみればまだまだ「チャイルド」にすぎないというわけだ……。そうしてほどなく開いた隙間に、半ば無理やり身体をねじ込む。頭から落ちていく。ギリギリのところで受け身を取り、大けがは回避した。だがすぐに魚か何かの腐ったような生臭いにおいが漂ってきて、全身が嫌悪感の分厚い塊の中に埋め込まれた気分になる。……恐らく池から漂ってきているということなのだろう、つまり結局のところ、どこにも逃げる場所ないのだ……。私は立ち上がり、身体を払いながらそんなことをぼんやり考えていた。


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