9月24日㉜
そうして再び気密性の高い閉鎖空間が出来上がったことに満足したのか、Zは今度は比較的柔らかな声で尋ねてきた。
「そうだ、あんた仕事どうするの?」
「……」
しかし車内の誰も、それに対して反応はしない。要するに「無視」というわけであり、本来であれば、人間として決して許されてはならない行動だが、残念ながら誰に対して投げかけられた質問なのかが定かでなかったために、仮に答えたくても答えようがないというのが恐らく真相だった。もっとも、殊に私の沈黙に関して言えば、それは「仮に答えたくても」という条件自体が不成立だったことに全面的に拠っている。
Zが私のことを本当に「息子」だと考えているのか、もしくはそういう設定を半ば無理やり突き通すことで、私の身分を「名探偵」から「(異常者の)息子」へと転換することを意図していたのかはやはり読めなかったが、いずれにせよ、当事者の私からしてみれば、頭の先から爪先まで「傍迷惑」でしかなく、一刻も早く関わりを断ちたいというのが本当のところだった。もちろん「潜入捜査」はまだかろうじて続けられているのであるからして、私が自らの欲求を優先して途中離脱することは間違っても絶対にあり得なかったが、だからと言って、積極的に関わりを持とうなどとはするはずがない。
それにもう一つ、私はZについてひどく気になっていることがあって、他の事にまで気を回す余裕がなかったというのも間違いではない。その「気になっていること」とはすなわち、Zの運転の下手さである。単に「ヘタ」というよりも、注意力散漫で、いつぶつかってもおかしくない感じなのだ。まずまっすぐ前を向いている時間が少なすぎる。ただでさえ夜で視界が悪いのに、こんな体たらくでは、歩行者や別の車の方に気づいてよけてもらうことぐらいしか、事故を回避する手立てがない。そして前を見ずに結局何をしているのかと言えば、車内に頻繁に身体ごと顔を向けて、先に示したようなわけのわからないことをほざき続けているのである。
もちろん私は死など恐れてはいない。「名探偵」であるためには自らの命を賭すことも厭わない覚悟が絶対に必要であり、私もまたそのような考えのもとで常に生きている。
だがこれは違う。私はヘッドレストの上にわずかに飛び出たZの後頭部を見ながら、そう考えた。……このような形で、つまり自分には全く何の非もないにもかかわらず、異常者の異常なほどに危険な運転が、その帰結として必然的にもたらすあまりにしょうもなさすぎる事故に巻き込まれて命を落とすこと、それはさすがに違う、そんなことが、まかり通ってなるものか……。
だから私としては殊にこの時点において、Zにはとにかく喋ることをせず、ただひたすら目の前の景色と自らの運転にのみ集中していてほしかった。それかハンドルを誰かに代わるか、そのいずれかだ。
しかしもちろんその「願い」が聞き届けられることはない。
Zはキョロキョロと絶対に見なくてもいい方向にまで目を向けながら、言葉の五月雨式の発出とスリル満点の運転技術の披露とを、しばらくの間継続し続ける。
「無視? 相変わらず都合が悪くなるとだんまり決め込むわけね、いい度胸してるわホント」
「……」
「でも、いいわよ、焦らなくて、まだ若いんだから、これから何だってできるわよ、もともとあんたにあの仕事は合わなかったのよ、次の仕事はゆっくり探せばいいわ、それにダメならずっと家にいればいいのよ、どうせあんたとあたしの2人しかいないんだから、そんなたくさんお金もいらないしね」
「フタリ……?」
誰か(もしかすると自分だったかもしれない)がそう呟くのが聞こえてきたのを機に、私は左右の手の小指をそれぞれ左右の耳の穴に突っ込むと、外から入ってくる音を遮断した。そのように聴覚刺激の類を一掃してしまうのは、「手がかり」を自ら手放すのと同義となるという意味合いにおいて、あるいは「名探偵」にとっては「致命傷」と言えなくもなかったが、そうすると、思考が内側を向き、考えることにのみ集中できるので、困惑に身を浸されるのを回避するにはそれなりに役立つのだった。指をわずかに動かしただけで、あらゆる音を上書きする擦過音が、やはり拡大された心音をBGMに存在を主張する。
そのまま目を閉じて内省の海に沈み込み、習い性となった無力感に内臓の内側まで浸透されきりそうになった時だった。
初めは空耳だと思った。
というか、空耳だと、思い込みたかった。
なぜならその音は初め、指で作った耳栓を突っ切るようにして、誰かが大音量で嘆きの声をあげているかのような形態を伴い届けられたからだ。
真っ暗闇を前にしてそこに怨霊か何かの姿を見て取るように、無音から逆に何かが響いているかのような感覚を受けるのは決して考えにくいことではない。
だがそうではなかった。




