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9月24日㉙

「ショウヘイ?」

 ……それは俺の本当の名前だが、と私は思いながら、それでもひとまず今の展開を先に進めることが先決かと思い、Mに話を振った。

「……と言ってるが、ハギワラヨウコさん、あなたはどう、お考えなのでしょうか?」

「ハギワラヨウコ?」ヤスナガが怪訝そうに言う。

「そう、この間、2人で家を調査しに行っただろ? そうしたら『むらさきババア』の奴が現れて……、さすがに忘れたとは言わせない」

「いや、忘れてないが……、だが、あれは俺たちの祖母の家だ、お前も本当はそのことを、重々承知しているはずだが……」

「ソボ? 誰が?」

「だからその、『むらさきババア』がだよ」

「は? 『むらさきババア』は妖怪なんだろ?」

「アホかっ! そんなのはお前の妄想に、探偵ごっこに、こっちが仕方なく合わせてやってただけの話だ、お前が本格的におかしくなり始める前に、気づいて手を打つことができなかった自らを戒めるために……、だがさすがに、そろそろ限界だ、現実に戻ってくれ、こっちまでおかしくなっちまう」

 誰がどう聞いても明らかに大事な話の最中だったが、存在を黙殺されていることにそろそろ我慢ならなくなったのか、Mがまたしても口を挟んできた。

「カンタ、いつまでくっちゃべってんのよ、いい加減にしなさい、兄なんていないって、前にも言ったでしょ? いいから早くこっち来なさい、そうじゃないとホントに、取り返しのつかないことになるわよ」

 吹き抜けを上下に突っ切る柱に埋め込まれた時計をチラチラ見やりながら、Mはそう言った。理由はわからないが、時刻が気になって仕方がないようだ。それに対してヤスナガは、あくまで自分のペースを保つべく、ダラダラと話を続けようとした。

「いやいやいやいや、あんた、いきなり現れて何言いがかりつけてくれちゃってんだよ、俺は間違いなくこのキクチカンタ25歳童貞の兄だ、戸籍を調べてもらってもよい、というか逆に問うがあんたは誰なんだ? 『ハギワラヨウコ』……ってのがこいつの妄想の産物なのは間違いないとして、あんたの正体は非常に気になる」

「正体も何も、さっきから言ってるじゃない、あたしはこのキクチカンタ25歳童貞の姉キクチヨウコよ、あたしが、あたしだけが唯一のキョウダイ(姉弟)なの、変なこと吹き込まないで」

「でも『迎え』がどうとかって」

 私が思わず発言を行うと、Mは目を引ん剝くような表情を見せ、「あ?」と言った。そのまま鋭い視線を送って睨みつけてくる。髪が短く、少年のようなシルエットでありながら、顔のパーツは整っているので、その分、目線や敵意を実際以上に厳しく感じた。

 だがいつもであれば余計な口出しをしないことをモットーとしている「名探偵」が、殊にこの時に限って横槍を入れてしまったことにはもちろん明白な理由があるのであるからして、たじろぐわけにはいかない。その「理由」とはすなわち、ごく控えめに言って私がブチ切れていたということである。

 どのような事情であれ、決して言明してならない所謂「禁句」が、事もあろうに続けて二度も同じ場に現出してきたということで、私は完全に切れていた。言うまでもなくその「禁句」とは、「童貞」である。

 もちろん本来であれば、2人共がそれを発したということで、私の「怒りの矛先」は、ヤスナガとMの両方に等しく向けられて然るべきだ。だが結果的にその「怒り」がひとまずMだけに向けられたのも、その実、理のないことではあるまい。なぜなら1度目であれば、ただ単に深く考えずにそのフレーズを発しただけという可能性が残っており、その場合、情状酌量の余地がほんのわずかだけ、ないわけではない。だが2度目の発言者は、そこに明らかに「追い打ちをかけよう」との意が含まれているということで、より救いがたい悪辣に該当し、確実に糾弾の対象たり得るのである。

 だから私はいったんその場を離れ、2つのコップに水を注いで戻ってくると、そのうちの1つをやはり一気に飲み干してから、満を持してMに対する詰問を開始した。

「俺がここに来る原因を作ったあのクソサザエは、確かに『誰かを「迎え」に行こう』などと、ほざいていたように記憶する、つまりその言葉を踏まえるならば、予め、我々が訪れるより前に、『デパート』に先回りしていた人物がいるということになる、『迎えに行く』という表現は、間違いなくそういうニュアンスを含んでいるはずだ、そして実際にどこからともなく現れ、尋ねてもないのに自分から『兄』と名乗り始めた人物が、Zが言っていた『誰か』である可能性は、そうでない可能性よりもよほど高いだろう、違うか? 俺の推理は、何か、どこか、間違って、いるか?」

 個人的には痛いところを突いたつもりだったが、Mは事前に答えを用意していたかのように、すらすらと淀みなくセリフを吐いた。

「あのねえ、何回も言わせないで、おかしい奴がまともなことを言うわけないじゃないの、残念ながら、この家でまともなのはあたしだけなの、それ以外はみんなおかしいの、だからあたしが苦労してるんじゃない」

「いい年して大声で坂ダッシュしてた奴がまともだと? よく言うよ」

 私がそう返すと、Mがため息をつき、言う。

「あんた、本当に何もわかってないのね、あれはどう見ても、お母さんのためでしょ、お母さんが、あの怪物が、ああすると喜ぶから、もう成人して久しいにもかかわらずまだ自分の子供が昔からずっと変わらずに『コドモ』の状態のままだと思い込むことができて喜ぶから、奴が精神的に不安定になった時に、敢えて見せつけてやってるのよ、あんたが野球のユニフォーム着てるのだって、元を辿れば同じ理由からでしょ? 違うの?」

「……まあ、そういうことにしといてやるよ、

「おいおい、2人だけで話を進めるんじゃねえよ」

 そう言いながら、ヤスナガが割り込んでくる。

「ハギワラヨウコさん、あんたはこの今目の前にいる図体だけ馬鹿でかい間抜けが、自分の弟であり、この俺は赤の他人なのだと信じてやまない、逆に俺はそいつが自分の弟であり、あんたが全く赤の他人だと考えている、つまり両立し得ない2つの可能性が、今まさに拮抗し出したという寸法なわけだ、だったら」

 ヤスナガは、私が持ってきた紙コップ(先ほど飲まなかった方)を無断で掴み、その中身を喉の奥へと流し込んでから言った。

「だったら、そいつに決めてもらえばいいんじゃないか?」

「ソイツ?」Mが聞き返す。

「そう、俺たちの弟だという、そいつだよ」ヤスナガが私を指さした。

「俺?」

「ああ、そうだ、お前が俺たちどちらかの『弟』だという事実は、どうやら間違いなさそうだ、つまりそこが試金石になる、だとすれば、お前に答えを委ねるのが筋というものではないか?」

「確かに……、で、カンタどうなのよ」Mが頷きそう言った。

「俺だよな、お前は俺の弟だ、そうだろ?」ヤスナガが、私の肯定を期待するような口ぶりと表情で、やはりそう言った。

「……」……たわけている、あまりにたわけていすぎる……、そもそも何回でも言うが、俺の名前はそもそも「カンタ」じゃないのだが……。

 まったく身に謂れのない「期待」に対し、頭が本格的に痛み始めた私は、「ちょっと考えさせてくれ」とだけ言うと立ち上がり、しばらくその辺りをうろついてみた。もちろん欲しいものがあるわけじゃない。……いや、違う。デパートの商品ではないのだが、欲しいものは確かにあった。それは「指針」である。つい先日まで、つまりまだ「名探偵」として、日々目覚ましい活躍を続けていた頃、特に意識するでもなく寄りかかっていられた「自信」もしくは「確信」のようなもの、それさえ信じていれば、どうすべきかに困った時などにも、最終的な面ではぶれずにいられる、そういう確たる「指針」が欲しかった。

 そして結局どれくらい「うろついた」のだろうか? 時間や距離はわからないのだが、当然のように何の収穫もないまま、だが他に選択肢などないということで、「フードコート」に戻らざるを得なくなった私に対し、不意に〝それ〟、すなわちある種の「指針」の類が与えられることになる。

「本日は、●●ンショッピングセンターをご利用いただき、誠にありがとうございます、お買い物中のお客様に、迷子のお知らせをいたします、O市からお越しのキクチショウヘイ様、ヨウコ様、カンタ様、O市からお越しのキクチショウヘイ様、ヨウコ様、カンタ様様、お連れ様がお待ちでございます、一階のサービスカウンターまでお越しください、繰り返します……」

「……」な、ん……、だと……?

 透き通ったように綺麗で耳ざわりのよい高音。だが「綺麗で耳ざわりのよい」ことは、もちろんその実、何の救いにもなりはしない。なるわけが、ない。

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