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9月24日㉘

 ところで当のヤスナガはと言えば、私の問いかけに気づかなかったのか、それとも気づいていて敢えてそうしたのかはわからぬが、自らの「喋り」がひと段落したところでいったんその場を離れ、セルフサービスの水を紙コップに入れて戻ってきた。そして断りもなく私の真向かいの席に腰を下ろすと、勢いよく水をあおり始めた。2つコップがあったので、てっきり私のために1つ用意してくれたのかと思ったが違った。奴は喉仏の出っ張りをこちらに見せつけながらそれらを一気に飲み干し、こう言ったのだった。

「こんな夜遅くに……、お前も大変だな」

「……なにが?」

 ヤスナガはやはりそれには答えず、代わりに全く同じ行動をもう2度繰り返した。冷水機のところまで行き、水を2つのコップに注ぎ、戻って来る。そして一気に飲み干すと、再び冷水機のところへ赴き……(後略)。つまり合計で紙コップ6つ分の水を堪能したということになる。……さすがに喉、渇きすぎだろ……。

 ほどなくして、このところ「持病」と化しつつある頭痛が兆し始め、それを緩和するべく上瞼の付近を中心にマッサージをしていると、ようやく口を開く気分になったのか、ヤスナガの方から声をかけてきた。

「そろそろいくか」

「……どこへ?」

「どこへ……って、選択肢なんて、ないだろ?」

「……ちょっと待て、まず俺の質問に答えてくれ、お前はヤスナガなんだよな? オオタニの知り合いの」

「ヤスナガ?」

「そう、この前会っただろ? ……いやそれよりも、もしかしてあんたがいるってことは、このあたりにあいつがいるのか?」

「アイツ?」

「もちろん惚けてるだけだよな、むらさきババアだよ、ムラサキムラサキムラサキ……」

「……いや、大丈夫かオマエ?」

 そう言いながらヤスナガが冷たい視線を向けてくる。

「大丈夫かって、お前が全て教えてくれたんだろ?」

 私がもう一度確認すると、いったん口をつぐんだのち、ヤスナガはこう言った。

「……もしかして、お前、まだ〝あれ〟やってんのか?」

 私はひどく驚いた。自らの言動を顧みず、他人に対して呆れたような態度を見せられる神経の図太さに対してではない。その一言が、かつて初対面でMが私に発したものとほぼ同一だったからだ。

「アレ……とは?」

 奇しくもそう尋ねるや否や、右後方、ちょうど通路になったところから別の声がかかった。

「ちょっとカンタっ! あんた何やってんのよ!?」

 今度は声を聞いただけでそれが誰なのかがわかった。言うまでもなくMである。この類の金切り声で、かつ私を「カンタ」という馴染みのない名で呼ぶのは、MかZのどちらかしかいない。そしてMの声はZのそれよりも高く澄んでいるという特徴があった。年齢的に幼さを感じさせる声だったと言ってもよい。だからと言って、別にどうということはないのだが、微妙な声音の差異から相手の正体を見極める能力は、「名探偵」としては大事な力であると言えるだろう。

 だから私は敢えて振り向いて視線を送ることはせず、ヤスナガとの会話を続けようとした。

「いいか、『アレ』などという抽象的な物言いをされてもわからない、聞いている側に『解読』を要求し、必要以上の負担を強いるなど、あまりに傲慢が過ぎる、違うか?」

「え? ……いや、俺はただ、はっきり言い切ってしまうと、お前が可哀そうかな……って」

「人のせいにするな、ただの怠慢だろ? それで、アレってのは何なんだよ」

「いや、だからお前がやってる探偵ごっこ」

「ちょっとカンタァ、きいてるの? もうとっくに集合時間過ぎてるんだけど」

 やはり大事なところでMが介入を図って来る。

「シュウゴウジカン? 何の?」

 身に覚えのない言いがかりに、私が思わず反応してやると、なぜかこの期に及んでMは私ではなくヤスナガに話しかけることを開始した。

「ちょっと、あなた、話し中悪いんだけど、弟を返してもらえるかしら」

「弟? 誰が誰の?」ヤスナガが小首をかしげる。ハムスターか何かが同じ行動をしたならば、あるいは可愛らしくも映ろうが、直立二足歩行のロバみたいな奴によって為されたのであれば、それはまさに軽くホラーであろう。

「話を逸らさないでっ! 悠長に話してる暇なんてないのっ! それともあんた、地獄を見たいわけ?」

「地獄だと? 何だそのどっかの三文小説から引用してきたようなセリフは……でも、いいよなあ、今この場所こそ、この世の地獄だってことが、わかってないやつは……」

 ヤスナガはそう呟くや否やもう一度席を立った。そして例によって紙コップ2つ分の水を用意し、全て飲み干すと言ったのだった。

「俺はキクチショウヘイ、ここにいる、キクチカンタの兄だ」


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