9月24日㉖
……要するにこの親にしてこの子ありというわけだ。
私はひそかにそう冷笑することで精神的な平衡を保とうとした。
しかし「おかめ」が本領を発揮してくれたのはそれからだった。つまり容姿の奇怪さのみにもとづいて私はそいつをこき下ろそうというのではない。この欲望渦巻く汚辱にまみれた世界にあってなお、人倫に悖る振る舞いだけはしないよう私は自らを厳しく律しているつもりだ。容色の醜悪さを必要以上に論うだなどというあまりにバカげた振る舞いに、わざわざ手を染めるはずがない。
だからそうではなくて、事実はむしろ逆なのだ。
実際の「邂逅」の場面において、そいつの言動があまりに常軌を逸して癇に障るものであったがために、私はそれを振り返る形で行われている現在の「語り」において、くだんの「母親」の容姿について思わず不穏な物言いを弄してしまったのである。
ではその「言動」について、かいつまんでご紹介することにいたしましょう。
まず私がその席に座っているにも拘らず、テーブルの上に放り投げるようにして自分の手提げバッグを勢いよく置きくさってくれた時点でたわけていると言わざるを得まい。
だが残念ながら、私はそれがある種の「罠」であることだけは見抜いていたので、そこで大きく動揺することはなかった。……大方、どこからどう見てもおかしいことの自明なその「異常行動」をお披露目することで、私から何らかの反応を引き出し、その「反応」をある種の「手がかり」として因縁をつけ、挙句の果てに「席をよこせ」と喚き散らし始めるのだろう、実に見え透いた魂胆だ……。
それゆえ私は余裕を保ったまま頬杖を外し、大きく伸びをすると、今度はテーブル全体に覆いかぶさるように突っ伏し、目を閉じた。要するにコミュニケーションを拒絶する意志を見せつけることで、アプローチを無に帰してやったつもりだった。相手が普通の人間であれば、それで晴れて事態は収束に至ったとみてまず間違いあるまい。
だがこれまでの言動から明らかな通り、この時私の前に現れた「おかめ」は決して「普通の人間」などではない。恐らく「空気を読む」という機能もぶち壊れているようで、私の態度を見ても諦めるどころか即座に二の手を繰り出してきた。聞こえよがしに、「~ちゃん、やめなさい、ここ、ヒトいるから、やめときましょ、どっか別の場所、探しましょ、しょうがないじゃない、ヒトがいるんだから、でも疲れたよねえ、すごい歩いたもんねえ、早く座りたいわよねえ、でもしかたないわ、ここにはヒトがいるんだから」などとほざき始めたのだ。要するに「早くどけ」というわけだったが、もちろん無視した。
……いつもいつまでも何もかもが自分の思う通りになると思ったら大間違いだ、むしろ私は「名探偵」として活動を始めて以来、一度として「自分の思う通りになった」ことなどない、そもそも「疲れた」だと? そういうふざけた文句は、日々犯罪者たちから命を狙われながら、それでいて治安維持活動に邁進するという本当の意味での「難業」を経験してからにしてくれ……。
そんなことを考えながら目を瞑り、じっとしていた。慢性疲労が溜まっているせいだろう、テーブルと接している右半身と、椅子と接している臀部の辺りを起点として、すぐに色濃い眠気が全身へと回り始める。それのもたらす痺れに似た倦怠の感に、しばし身を委ねていた私は、不意に声をかけられたことで、安寧の沼地から無理やり引きずり出されることとなった。
「オキャクサン、オキャクサン!」
右目だけを薄く開けて見ると、異様なほど近い距離に初老の男がいた。上着やネクタイがなく、カジュアルに正装した身体をかがめ、中腰になってこちらをじっと眺めている。髪の毛が薄く、眼鏡をかけた容貌は、「ハゲネズミ」を連想させた。と言っても私は本物の「ハゲネズミ」をじっくりと見つめたことがなく、だからより正確を期せば、その男を視界の中に収めた瞬間、頭の中に突然「ハゲネズミ」との五文字が浮かんできたというのが正確だ。察するにその男に備わったいくつもの特徴のうちから、特に「ハゲ」という点が際立って浮上してきたということなのだろう。苦労していると抜け毛が増えるというから、私ももっと気を引き締めていかなければ……。
いずれにせよ、その所謂「ファーストコンタクト」だけで、既に私が気分をひどく害されたのは言うまでもない。「オキャクサン(=お客さん)」などと口にしてはいるが、その言葉には明らかにこちらを舐めくさったような感じが窺えた。そもそもアプローチを拒絶するような体勢をとっているにも拘らず、平気で話しかけられる神経がまず理解できない。幼児教育を受けるところからやり直してきた方がよいのではないか……?
反面、こちらの心内とは裏腹に、「ハゲネズミ」の方はと言えば、最高の「名探偵」と一瞬目が合っただけでとてもいい気分になったらしく、今度は私の肩辺りを掴むと、揺さぶりながらさらに言葉を連ねてくれた。
「オキャクサンオキャクサン、ここは食べる人の場所だから、何も食べないなら場所あけてもらっていいですか?」
体勢は変えずに今度は両目を開けてよく見てみると、「ハゲネズミ」のすぐ脇に先ほどの頭の沸いた「家族」、すなわちと「凡夫」と「おかめ」と「モグラ」の三副対が寄り添うようにして立っているのが目に入った。反射的にこめかみに手をやる。頭が鈍く痛み始めるのを感じる。……要するに店員にチクりやがったというわけだ、「ハゲネズミ」は、「あけてもらっていいですか?」などと一応便宜的に私に対してお伺いを立てている風を装ってくれおりやがっておりくさりやがるが、実際には身の程知らずなことに「邪魔だから今すぐどけ」と、そのように私に対して強気に脅迫なんぞをしておりくさりやがったというわけだ……。
思わず歯を強く食いしばり、口をつぐんだ私に対し、「おかめ」が所謂「してやったり」の表情を浮かべているのが気に食わない。……やはり容姿だけでなく性根まで腐りきっておりくさりやがるようだ、そろそろ制裁を加えてやるべきだろうか? いずれにせよこれ以上調子に乗らせてやるわけにもいくまい……。
恐らくこれまでやりたいことをやりたい放題やってきたのだろう「ハゲネズミ」や「おかめ」と、あらゆる所望の類いを全て封殺されてきた私とでは、人間としてのレベルという点で、どれだけ控えめに見積もっても「テントウムシ」と「ジープ」ぐらいに差があり、だとすれば見逃がしてやるのが本来「ジープ」(=圧倒的強者)の振る舞いとしては正当なのかもしれない。
だが、「正当」であることは実際に自分の目の前でふざけた態度をとって挑発し続けてくる文字通りの人でなしの不貞行為を許してやる口実にはならない。繰り返しになるが、「おかめ」の得意げな表情が私にはどうしても許せなかった。
それゆえ私はひそかに右の掌をテーブルの縁に宛がうと、それをひっくり返すべく力を込めようとした。
次の瞬間だった。




