接触Ⅲ③
しかし結局のところ、私には選択肢などない。なぜなら私は「名探偵」だからだ。人通りの少ない夜更けの裏道の、しかも人々がそれぞれの欲望を剥き出しにぶつけ合っているかのような「危険地帯」に、幼子がただ一人足を踏み入れ、さらに奥深くへと進もうとしている様子を目撃した手前、何もせずに済ましてしまうわけにはいかない。
とは言え私は当初、大方おもちゃ屋か何かと間違えたのだろうと、楽観的に考えていた。
風俗店というのは大人からしてみれば、外見や名称の語感(=フウゾクテン)など、随所に何となくいかがわしげでキケンな雰囲気を帯びているものだ。しかし翻って年端もいかないクソガキの立場に寄り添って考えてみれば、極彩色の照明や香しい芳香、さらに店頭からかすかに聞こえて来る軽快な音楽などを、「おもちゃ屋」を彩る華やかな装飾であるとして受け取ったとしてもおかしくはない。何しろ、わりといい年であるはずのオオタニでさえ、放っておけば「ユウコ」がどうたらこうたらとかいうのを大声で叫び散らすほどなのだ。その「少女」ぐらいの正真正銘の「お子様」が、自分にとって都合のよい仕方で物事を捉え、誤った行動に手を染めたところで、取り立てて意外とは思わない。
私はそのような想定のもと、「少女」(以下、Gと記載)との距離を詰め、早速コンタクトを図った。
「こんなとこにいたら危ないよ」
「……」
Gは伸ばしていた手を下ろし、こちらを振り返った。つまり呼びかけに対し、一定の反応は見せたわけだが、それでいて何かを答えることはなく、無表情なまま、怖いぐらいに視線をまっすぐこちらに向けていた。小さな顔の後ろで結ばれた髪がわずかに揺れている。特有の「笑顔」や「浴衣姿」が目立っていたせいでその時まで全く気づかなかったが、今にも折れそうなほど細く高い鼻や、切れ長の目、形のよい小さな唇など、尋常じゃないほどの「美人」の素質の持ち主であることに初めて気が付いた。それでも長い間瞬きをせず、平然とこちらを見据える姿は、可憐な装いとは対照的にひどくふてぶてしく、私はしばらくの間、暑ささえ忘れた。
しかしもちろんずっと見つめ合っているわけにもいかない。
ひとまず自らが怪しい者ではないということを示すために重ねて尋ねた。
「お母さんかお父さんは? 一緒じゃないの?」
Gはやはりまた何も返答をすることがなかった。いや、返答がないどころか、今度は聞こえているのかさえ疑わしく思えるほど、全く微動だにしなかった。その「(無)反応」を受け、私は場違いに狼狽し、逡巡した。本来であれば、オトナの言うことを無視したクソガキに対しては、相応の罰が与えられて然るべきだが、当該時点における私は、気を抜くと吸い込まれてしまいそうなほど澄んだ瞳に意識を奪われ、言わば「牙を抜かれた」状態に陥ったわけだった。
それゆえ「良心」の勧めに従って懲罰を加える代わりに、「少なくとも、今ここで事を荒立てるのは得策でない」と、自らに言い聞かせた私は、恥ずかしながら日和ったのだと言ってよいだろう。そのまま正体不明の焦りに駆られるようにして、「まあいいや、とにかくここは危ないよ、早くどこかに」と、今度は声に出して言い、Gの手首を掴んだ。予想以上の細さと冷たさに、やはり一瞬虚を突かれる。だがいったん行動を起こした手前、試みを中断するわけにもいかず、結局そのままGを引っ張り、店からできるだけ離れていこうとした。
しかしそれも結局長く続きはしない。
「おまえ、見かけによらずいいやつじゃのう」
「え?」
一瞬何が起こったのか、理解できなくなり、私はまたしても動きを止めることを余儀なくされた。それまで内裏雛のように上品に沈黙を貫いていた女児が、いきなり口を開いたかと思うと、今度は「~じゃのう」とか何とか、わけのわからないことを言い出したのだから当然と言えば当然だ。
しかしそんなのはまだ序の口に過ぎない。
その一風変わった言葉遣いに気を取られているうちに、気づけば掴んでいたはずの相手の手首が、わずかに離れた地点まで移動していた。いや、正確にはそうじゃない。Gのいる位置は変わっていなかったので(つまり風俗店の入り口の真ん前)、こちらの方がいつの間にか手を離して後ずさったということになる。だが、もちろん私にそんな記憶はない。……いったい何が起こったのか……?
事実関係を確かめる余地も与えず、Gは例の気味の悪い「満面の笑み」を浮かべると、いきなり私の背中に駆け寄った。先ほどまでの沈滞の感とは対照的に、非常に俊敏な動きだった。そのまま腰のあたりに手を回し、密着してくる。要するに、抱き着かれたわけだ。だがそれでいて、「抱き着かれた」という感じは全くなくて、本来布地を通じて届けられるはずの体温や息遣いを、私はほんのわずかさえ知覚することができないでいた。例えて言えばハリボテのように、Gの肉体はひどく無機質で空虚に感じられたのだ。私が愛用している長袖のアンダーシャツには、長らく使い込んだために肘の辺りに小さな破れ目があって、そこにGの頭髪が触れることで生じるくすぐったさだけが、件の状況下で唯一リアルなものと感じられた。
「……な、……にをしている?」
私が明後日の方向に視線を向けたままかろうじて尋ねると、Gはこう返してきた。
「おまえは、おまえだけは、最後まで見逃しておいてやるよ」
どこかの漫画かアニメかで使われていそうなセリフだなあと、傍観者然としたスタンスで悠長に構えていられたのは一瞬だった。抱き着かれている部位から下半身にかけての感覚が一挙に薄れ、反射的に踏ん張って体勢を保とうとしたが、既に全く足に力が入らない。というよりも、腰から下がどこかへ行ってしまったかのように、そこに自らの身体の一部があるという感じがしない。そのうちに視界が一挙に暗転して、気づいた時、右頬のすぐ下に黒いアスファルトのざらついた表面が横たわっていた。日が沈んでもなお、中に貯えられているらしい熱が香ばしい匂いだけを届けてくる。それが予想よりもずっと不愉快で、もうこれ以上息を吸いたくないと、私はどうでもいいことを真剣に考えた。どこからともなく現れた蟻の隊列が、時折立ち止まったりしながら、じっと私のことを見ていた。その「視線」を遮断するようにして、目を閉じる。ちょうど地面と接触し、押しつぶされるような位置にあるためか、心臓の鼓動がいつも以上に大きく感じられ、瞼の裏の視界を彩る不完全な闇を小刻みにかき乱す……。




