接触Ⅲ①
駅へと続く太めの通りの左右には焼き鳥屋、不動産屋、交番、書店や銀行など、いくつかの店舗が立ち並び、さながら商店街とでも称されるべき一帯を形成していた。要するに頑張って駅前を開発しようしたということなのだろう。だが、残念ながらほとんどの店舗の営業時間が終了したことによる人気のなさと、どこからともなく漂ってくる濃密な草いきれの臭気とが相伴って、少なくとも今の時間帯においては鄙びた雰囲気のみが執拗に強調されるという結果がもたらされていた。大通りの先にはバスロータリーがあり、中央にそびえ立つ大仰な噴水は、実際には全く水を湛えておらず、既にただの邪魔くさいオブジェでしかなかった(もっとも、これは「時間帯」とは関係がない)。
だが、私がやがて大通りから外れて細い道に入ったのは、それらに共通して備わる虚飾めいた感じに嫌気がさしたからではない。むしろその「寄り道」は、完全に予定通りの選択だった。私はそもそも駅自体へ向かっていたわけではなく、その「細い道」の先にこそ、今回のそぞろ歩きの目的の場所(つまり今晩の第2の目的地)が存在したということだ。
道幅が少し狭まったためなのか、足音が高く響き始めたように感じられたが、定食屋、床屋、精肉屋、銭湯などが立ち並ぶ光景には、表の通りと比べてそれほど遜色があるわけではなかった。人通りも相変わらずほとんどない。薄闇よりもわずかに濃い黒色に覆われ、全てが曖昧さの中に溶けゆくかのように感じられる景色をぼんやり眺めながら歩き続けていた私は、しかしほどなくして場の組成に変化の予兆を見て取った。それを私に告知したのは、一つの電飾看板である。
だいたい臍ぐらいまでの高さで、両腕で抱きかかえればすっぽりと収まりそうな大きさのその自立式の看板は、ほとんど誰も見ていないという事実をものともせず、堂々と煌々とした光を放っていた。やはり立ち止まるのを待ちかねていたかのように噴き出した汗の玉が、顎の先を伝って虚空へと落下していく。明滅を繰り返す色とりどりの光の列によって露わにされたのは、「性感ヘルス」・「極上の体験を」といった、笑えてくるほど典型的な、蠱惑的な文字の数々……、そしてその中心に居座り、明滅を繰り返す「HEAVEN」の文字……。
それらの単語の間の微妙な隙間には、外国人と思しき女性を被写体とした円形の写真が全部で四枚、所狭しと掲げられていた。女性たちは皆、裸ではなく下着姿だったが、店の従業員では恐らくなくて、どこかの雑誌か何かに掲載されていたものを適当に切り取ってそこに貼り付けたということが窺えた。写真の外周がギザギザで、材質も印画紙ではなく再生紙のようで、とにかくあらゆる点で明らかにとってつけたような急ごしらえの感を醸し出していたということだ。
いずれにせよ、その時、私の目の前には、いきなり何の脈絡もなく、「風俗店」が出現してきたわけである。そう、まさしく「何の脈絡もなく」というのが適切で正しい。なぜならその店は銀行と美容室に両脇を挟まれており、また道を挟んだ正面には学習塾が軒を構えていたのだから。つまり風俗店が「出現」する地点として、その場所は絶対確実に間違いなく、最適ではない。というか、法律上その場所に軒を構えてダイジョウブなのだろうか……?
だが、「何の脈絡もなく」というのは、店舗自体の位置取りに関してのみ適用されるべき表現であり、私がその場所に辿り着いたのはもちろん偶然ではない。何しろその時私が抱いていた最大にして唯一の目標は、まさしく「童貞を捨てる」ことだったからだ。
確かに「風俗店へ向かう」ことと「童貞を捨てる」こととは、決して同義ではない。本来最も理想的な「捨て方」は、愛するパートナーとの間に交渉を持つ、というものだろう。だが反面悲しいかな、私には「愛する」者こそいれど、「パートナー」は存在しない。これまで存在しなかったし、これからも未来永劫、存在する可能性は薄いだろう。ただしそれは私にどうしようもなく魅力が欠けているということを意味しない。何しろ重戦車を彷彿させる人並外れた体格、片手で目薬を点しても一滴たりとも零れ落ちることを許さない大きな目、周囲の酸素を薄くしそうなほどの吸引力を備えた鼻の穴、ガムを一気に4個口に入れてもビクともしない顎の力、そして何より、日々自身の身の安全よりも街の治安維持を優先して行動することのできる卓越した人間性など、この世で唯一無二の魅力をいくつも兼ね備えた「超優良物件」がこの私なのであるからして、本島ならばフリーの状態で放置されるなどあり得るはずがない。それどころか、むしろ争奪戦の憂き目にあって然るべきはずだ。違うか?
だからそうではなくて、「名探偵」という立場上、私は他者に対して断じて気を許すわけにはいかなかったのである。Hの連中からすれば「目の上のたん瘤」以上の存在と思しき私は、いつどこから狙われていてもおかしくはない。そのことについては既に述べた通りだが、だからこそ当然、誰かと必要以上に接触を持つことなどできるはずがないのである。「裸」を晒すなどもってのほかだ。それは、「どうぞ命を奪ってくれと」とお願いしているのも同然、ということになる。身体を重ねるのはおろか、それ以上の段階にまで達せられるはずがない。
つまり先に散々こき下ろしてはみたものの、「童貞である」ことは、ある意味「名探偵」にとっての「宿命」であると言えるのである。いや、「必要条件」であると表現した方が適切だろうか。いずれにせよ、その意味で、カノジョとの間の甘々な仲睦まじさを、隙あらば世間の人々に頻りに見せつけてやまない「コ●ン」くんは、やはり名実ともに「名探偵」としての風上にも置けないクソガキでしかないと言えよう。
しかし反面私は、先に述べた通りの事情で、言うならば自らのさらなる「成長」のため、「童貞」を捨てないわけにはいかなかった。もちろん今のままでも十分超人的なレベルなのだが、私に合わせて、Hがメキメキと力を伸ばしつつある現状を鑑みるに、ここで納得して「成長」を止めてしまうことは、文字通り「死活問題」に直結すると見てまず間違いあるまい。
童貞を捨てなければならないのだが、特定の誰かに身を委ねるわけにはいかない。
そのようなカントもひれ伏すレベルのアンチノミー(二律背反)状況の下、手っ取り早く目的を達するには、「風俗店」に向かうことが最も合理的に思われた。なぜなら、「風俗店」にお勤めになられている方々は、性的な事象を「仕事」というフィルターを介在する形で捉えているはずだからだ。つまり「仕事」なのだから、「名探偵」を相手にしても特別扱いすることはなく、金額に則した働きのみに専念することができるはずであり、また顧客の側からの細かな要望や注文にも真摯にお答えしてくださるはずである。なぜならそれでこそまさしく、「プロ」というもののはずだからだ。




